鉢形城の紹介 2 長尾氏と鉢形城歴史館 | みどりの木のブログ

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昨日の続きです。

その前に昨日のブログの訂正です。

白井長尾影中と書きましたが、正しくは白井

長尾影仲と人偏付きの仲でした。すいません。

ついでに長尾氏について調べました。

一番有名な人は長尾景虎(上杉謙信)ですね。

 

長尾の家名は、鎌倉景明の息子で大庭景宗

の弟である景弘が、相模国鎌倉郡長尾庄

(現在の横浜市栄区長尾台町周辺)に住ん

で長尾次郎と称したことに始まリ、坂東八平

氏のひとつに数えられます。

源頼朝が挙兵したとき平家の側につき、平家

滅亡後は同族・三浦氏の配下となります。

長尾新六定景は公暁を討ち取るという功績も

挙げますが、宝治合戦で一族がほぼ全滅して

没落します。長尾家のわずかな生き残りは、

鎌倉時代末期から南北朝時代初頭頃に関東

へ入部した、関東管領の上杉氏の筆頭家臣

として栄えます。長尾景基が婚姻関係によっ

て上杉藤成らの外祖父となり、家中での地位

を上げて上杉家臣筆頭格となった。その後も、

長尾氏は上杉氏との婚姻を繰り返して、外戚

関係を強化していきます。上杉氏が関東管領

として関東・越後に勢力を広げると、その家宰

や越後・上野・武蔵の守護代として分家を分

立させ繁栄しました。

 

諸説ありますが長尾氏の系図です。

景行が景弘ともいわれています。

宗家は鎌倉長尾氏です。

 

山内上杉家の祖上杉憲顕に仕えて、

上野国と越後国の守護代を兼ねて、

長尾氏を中興させた、長尾景忠が

上野国に土着し、景忠の孫のとき

白井(群馬県渋川市)を本拠地とす

る白井長尾家と、総社(群馬県前橋

市)を本拠地とする総社長尾家に

分かれました。

右端景行のひ孫が長尾影仲です。

長尾影仲の孫長尾景春が鉢形城

を築城しました。

 

次に鉢形城歴史館です。

 

下図赤丸で囲んだところにあります。

 

現在地にある案内板です。

荒川と深沢川にはさまれた断崖の上に

築かれた、天然の要害です。

 

冠木門をくぐると見える鉢形城歴史館です。

日本100名城鉢形城を紹介をしています。

展示の一部を紹介します。

 

中に入ると

 

受付から進んだところです。

階段を1階に下りると

 

大手門の模擬復元があります。

中に入ると

 

鉢形城のジオラマがあります。

手前は荒川です。

 

手前の川は深沢川です。

 

グーグルより引用の鉢形城です。

 

ビデオでいろいろな紹介があります。

 

ビデオの一場面です。

 

江戸時代に描かれた絵図です。

同じ名前があったりで不明な所もあり

ます。(新田家文書のコピーです)

 

拡大すると

 

中心部拡大絵図です。

この絵図に1590年の小田原攻め

布陣を書き込んだものがあります。

 

1590年の小田原攻め布陣図です。

1か月間籠城して、北条氏邦が仏門に

入り開城しています。

 

今回はここまでで、明日に続きます。

 

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