昨日の続きです。
今回は佐々木小次郎銅像からです。
「祖先以来、岩国の住、姓は佐々木といい、
名は小次郎と親からもらい、また 剣名を
"巌流"とも呼ぶ人間は、かくいう私である
が・・・」吉川英治の小説「宮本武蔵」の一
節です。ということで銅像があります。
しかし、実際は小次郎が生まれたのは、
岩国ではないようです。
下図④の左にあります。
背後に見える広い道は内堀跡です。今は
空堀になっています。
梅の花が満開です。
梅の花が満開です。
次に⑤にある目加田家住宅です
屋根瓦に特徴があり、岩国独特のものです。
お金持ちでないとこういう屋根瓦に出来ない
そうです。
⑤の辺りです、この日は休館日でした。
目加田氏は、藤原氏の出で鎌倉時代より御家人
格として近江守護佐々木氏に仕えました。
目加田氏には分家も多く、周防岩国の吉川氏も
元々は目加田氏の出です。目加田氏の近江の
城は信長に没収されて、安土城になりました。
ここの目加田家は天正年間に吉川元春に召し
抱えられ、その後、吉川家が岩国に移封され
た際に藩主広家に従い、この地に居を構えた
家系です。
旧目加田家住宅は、18世紀中頃と見られる
中級武家屋敷の数少ない遺構として、国の重
要文化財になっています。
錦川の洪水があるために、避難用に2階
もあります。
次に、⑥の御土居の方に行きます。
途中シロヘビの館があります。
シロヘビの館です。
この左外に錦帯橋で使っていた板で
出来たベンチがあります。古い錦帯橋
の板は高値で売買されるそうです。
錦帯橋で使用していた板のベンチです。
下図⑤から⑥方向を見たところです。
この内堀の中に御殿がありました。
この土橋は江戸時代にはありません
でした。現在は吉香神社です。
⑥にあった御殿です。明治の初めに
売却などで、取り壊されました。
江戸時代にあった御殿です。
現在は上図⑤左側の堀に土橋が造られています。
土橋の前で左右を撮影しました
右斜め方向です。
⑦の錦雲閣が見えます。
「錦雲閣」は明治18(1885)年に、旧岩国
藩主吉川家の居館跡が公園として開放さ
れた際、旧藩時代の矢倉に似せて造られ
た旧岩国藩主吉川家の歴代を祀る吉香
神社内にある絵馬堂です。
斜め左方向です。
2階の土蔵が見えます。
今回はここまでで、明日に続きます。
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