岩国城 3 佐々木小次郎銅像など | みどりの木のブログ

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1日おきに更新しています。

昨日の続きです。

今回は佐々木小次郎銅像からです。

 

「祖先以来、岩国の住、姓は佐々木といい、

名は小次郎と親からもらい、また 剣名を

"巌流"とも呼ぶ人間は、かくいう私である

が・・・」吉川英治の小説「宮本武蔵」の一

節です。ということで銅像があります。

しかし、実際は小次郎が生まれたのは、

岩国ではないようです。

下図④の左にあります。

背後に見える広い道は内堀跡です。今は

空堀になっています。

 

 

 

梅の花が満開です。

 

梅の花が満開です。

 

次に⑤にある目加田家住宅です

 

 

 

屋根瓦に特徴があり、岩国独特のものです。

お金持ちでないとこういう屋根瓦に出来ない

そうです。

 

⑤の辺りです、この日は休館日でした。

目加田氏は、藤原氏の出で鎌倉時代より御家人

格として近江守護佐々木氏に仕えました。

目加田氏には分家も多く、周防岩国の吉川氏も

元々は目加田氏の出です。目加田氏の近江の

城は信長に没収されて、安土城になりました。
ここの目加田家は天正年間に吉川元春に召し

抱えられ、その後、吉川家が岩国に移封され

た際に藩主広家に従い、この地に居を構えた

家系です。
旧目加田家住宅は、18世紀中頃と見られる

中級武家屋敷の数少ない遺構として、国の重

要文化財になっています。

 

 

 

錦川の洪水があるために、避難用に2階

もあります。

 

次に、⑥の御土居の方に行きます。

 

途中シロヘビの館があります。

 

シロヘビの館です。

 この左外に錦帯橋で使っていた板で

出来たベンチがあります。古い錦帯橋

の板は高値で売買されるそうです。

 

錦帯橋で使用していた板のベンチです。

 

下図⑤から⑥方向を見たところです。

この内堀の中に御殿がありました。

この土橋は江戸時代にはありません

でした。現在は吉香神社です。

 

 

 

⑥にあった御殿です。明治の初めに

売却などで、取り壊されました。

 

江戸時代にあった御殿です。

現在は上図⑤左側の堀に土橋が造られています。

 

土橋の前で左右を撮影しました

 

右斜め方向です。

⑦の錦雲閣が見えます。

「錦雲閣」は明治18(1885)年に、旧岩国

藩主吉川家の居館跡が公園として開放さ

れた際、旧藩時代の矢倉に似せて造られ

た旧岩国藩主吉川家の歴代を祀る吉香

神社内にある絵馬堂です。

 

斜め左方向です。

2階の土蔵が見えます。

 

今回はここまでで、明日に続きます。

 

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