瀧谷不動尊2019 前編 開創1200年 | みどりの木のブログ

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今回から大阪にある、日本三大不動尊である

滝谷不動尊の紹介です。

毎年お参りして、破魔矢などをいただいています。

 

下図①から見た、駐車場から見た滝谷不動さんです。

お寺ですが玉垣がたくさんあります。

 

滝谷不動尊の境内図です。

 

縁起です。

 

歴史

 

821年(弘仁12年)に空海が龍泉寺に

参籠したときに、国家安泰、万民化益を

願い、一刀三礼で不動明王・矜羯羅童子

(こんがらどうじ)・制多迦童子(せいたか

どうじ)の像を刻み、それら3体の仏像を

祀るために、諸堂が造営されたことを起

源とします。造営当初は今より南へ、約1

km離れた嶽山(だけやま)の中腹にあり、

広壮優美な堂塔・伽藍があったそうです。

南北朝時代になると楠木正成が嶽山

に築城し、守護仏として瀧谷不動明王

寺の不動明王を崇敬します。1369年

(正平15年)に、足利義詮が嶽山城・

金胎寺城(こんたいじじょう)を攻め、

そのときの兵火で諸堂が焼失します。

伝承によれば、このときに不動明王・

矜羯羅童子・制多迦童子は滝の下に

移されて焼失を免ましたた。その後、

盲目の老僧が現れて、瀧谷不動明

王寺の不動明王の霊験を人々に説

いて、二間四面の小堂を建立して礼

拝していたが、まもなく老僧は晴眼

(せいがん)(眼が見えること)になり、

姿を消したといいます。この盲目の

老僧は、弘法大師の化身であるとも、

また、弘法大師が作った不動明王が

霊験あらたかであることを教えたと

伝えられています。この説話により、

眼病平癒を願う参詣者が多数います。


1462年(寛正3年)に、畠山政長と

畠山義就との間で獄山において合戦

があり、そのときの兵火で再び焼失

します。慶長年間(1596年〜1615

年)に、現在地に三度目の再興が行

われています。

         (ウイッキペディアより引用)

 

右下にあります。(グーグルより引用)

 

スイセンの丘から見た嶽山城跡

(遠くにみえる山)です。

 

下図②の所です。

 

 

門の中に入ると

 

開創1200年を記念して、客殿と寺務所を

新築するそうです。

 

記念事業の待遇表です。

3万円以上で、寄進者名簿を客殿に

納めて、永く繁栄を祈念してもらえます。

 

現代は少子高齢化でお墓の維持が困難

になりつつあり、玉垣を寄進するとか、上

にあるような寄進もいいですね。末永く生

きた証になります。

 

③にある手水舎です。

 

 

④の所の鐘楼です。

自由に無料で鐘がつけます。

 

④の所です。

手前の高い石柱は、藤井毛織の社長が

滝谷不動に参ることで、目が見えるよう

になり、感謝して寄贈したものです。

 

今日はここまでで、明日に続きます。

 

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