北御堂(本願寺津村別院)とイルミネーション2018 | みどりの木のブログ

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今年のイルミネーション昨日の続きです。

今回は大阪北御堂のイルミネーションです。

北御堂初めての試みです。

 

大阪市の御堂筋にある北御堂です。

 

大阪市と本願寺の関係は、1496(明応5)

年に本願寺第8代蓮如上人が、大阪城付近

に一宇の坊社(大坂御坊(おおさかごぼう)

を建立されたことに始まり、この大坂御坊を

中心に多くの門徒が集まり、寺内町を形成

したことに由来します。

1576(天正4)年楼岸門徒一万余、信長と

石山本願寺で戦う。その後、信長は大坂の

四方に十塁を設ける。本願寺は51箇所の

端城を構え籠城する。毛利輝元が海上から

兵糧米を石山へ搬入し支援します。しかし、

毛利水軍が海戦で信長に敗れます。

1580(天正8)年に正親町天皇の勅により

信長と講和。顕如上人が誓詞を出します。
顕如上人の長男教如上人が大坂退去を

拒否する。顕如上人、宗祖影像を奉じて

大坂を退去。翌日、紀伊(和歌山県)鷺森

に退去。教如上人も大坂を退去し紀州に

退去します。大坂石山本願寺炎上します。

その後、1583(天正11)年に和泉貝塚へ

移転します。

1584(天正12)年に秀吉が大坂本願寺
跡に大坂城を築城します。

1585(天正13)年には豊臣秀吉よりの命

で、本願寺は大坂天満へ移転します。
1591(天正19)年、豊臣秀吉の指示に

より、京都の現在地へ寺基を移転します。

本願寺が京都に寺基移転後、大坂の門徒

たちは、1592(天正20)年に「楼(ろう)の

岸(きし)」(現在の天満辺り八軒屋付近、

天満橋南詰以東)に集会所を設けます。

これが、北御堂(本願寺津村別院)の始

まりとなります。

大谷派の東本願寺教如上人は、1592

(文禄元)年に西成郡渡辺の地に一寺を

建立し、1598(慶長3)年に難波の地に

移転し、1605(慶長10)年には南御堂

が完成しています。

父子の対立で、京都市に東西の本願寺

が出来ていますが、大阪市でも北と南の

御堂が出来ました。

 

1937年の御堂筋が拡幅された当時の

北御堂です。

第2次大戦後再建されて

 

1964年に再建された現在の北御堂です。

 

山門前正面から見たところです。

 

本堂です。

 

先月掲示してあった今月の言葉です。

死にたくはないけれども、南無阿弥陀仏と

唱えて、極楽に行けるので安心という意味

です。根拠は仏説阿弥陀経などのお経か

ら来ています。このお経には「善行を積ま

ないと極楽に行けない」という前提があり

ます。人間は過ちを犯しますが、現代言

われるような善行を積むと良いようです。

 

さて、イルミネーションの方は

 

初めての試みだそうです。

 

新しいタイプのイルミネーション解説板です。

 

 

 

まだ明るいうちの撮影です。

 

 

 

 

 

明るいのでよく分からないところがあります。

 

暗くなってから動画撮影したの

で、それを是非見てください。

 

北御堂イルミネーション(1分39秒)

 

今日はここまでです。明日から淀屋橋中之島です。

 

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