昨日の続きです。
今回は最終回で春日神社とその周辺です。
14世紀後中頃までの今井は、興福寺の荘園
で、春日神社を中心に神仏混交の興福寺の
寺があったと考えられます。
春日神社拝殿です。
春日神社は左下にあります。
ここには明治初期まで常福寺がありま
したが、神仏分離令で廃寺となりまし
た。旧常福寺観音堂と、表門が残って
います。廃寺となっても残っているの
は観音信仰があったからでしょう。
称念寺が出来る前の①では、春日神社と
常福寺のみが見えます。
豊田本家の横から回り込みました。
グーグル地図で①の門は
小さく見えています。
右側は十市県主今西家保存会建物です。
今西家はもとは武士の十市氏出身で、
豪族の十市氏は古代県主であったそう
です。1621年に、徳川家康の外孫で
郡山城主松平忠明が当家へ赴き宴を
催し杯を酌み交わし、河合権兵衛改め
川井長左衛門正冬は、大坂夏の陣の際
に、今井の西辺において大野治房らを
撃破した、義勇と功績をたたえられて、
今井の西を守ったことから今西を名乗
るように薦められて今西與次兵衛正冬
と改め、徳川家康からことづけられたと
いう薙刀来国俊などを拝領しました。
下図①の門です。
右側のお堂が旧常福寺観音堂です。
常福寺は1681年から天台宗多武峰の
末寺となり、明治初年までありました。
元々は環濠村の在郷寺院だったので
しょう。
グーグル地図です。
門をくぐると
左端が旧常福寺の山門で、次に赤い
春日社鳥居があります。
この写真の右外側は
春日神社の拝殿です。
環濠と今西家の方に行くと
復元された2重の環濠です。
今西家の方に進むと
今西家西側です。
1650年に再建されています。
惣年寄りの筆頭格で、城郭の
ような造りで「八つ棟造り」と
呼ばれています。
西側の大正時代古写真です。(十市県主今西家保存会より引用)
3階蔵・牢屋が残っていました。
今西家内部は戸が締まっていて見学でき
ませんでした。
昔来たときは見れたんですが、事前連絡
が必要です。外見の写真は
今西家の入口です。
③の辺りから撮影した写真です。
東側です。③の辺りから撮影した写真です。
修理前の東側古写真です。(十市県主今西家保存会より引用)
③の辺りから撮影した写真です。左端が今西家です。
華甍館にあった写真では内部が
今西家内部です。(華甍館より)
薙刀や床の間のある部屋もあります。(十市県主今西家保存会より引用)
周辺に花が咲いていました。
最後に再建された今井町南門です
復元今井町南門です。
これで今井町の紹介を終わります。
明日は京都の下賀茂神社・上賀茂神社の
元となった奈良の神社紹介です。初詣で
2019年元旦に3社を参拝しました。
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