今井町の紹介12 最終回 春日神社とその周辺 | みどりの木のブログ

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1日おきに更新しています。

昨日の続きです。

今回は最終回で春日神社とその周辺です。

 

14世紀後中頃までの今井は、興福寺の荘園

で、春日神社を中心に神仏混交の興福寺の

寺があったと考えられます。

 

春日神社拝殿です。

 

春日神社は左下にあります。

ここには明治初期まで常福寺がありま

したが、神仏分離令で廃寺となりまし

た。旧常福寺観音堂と、表門が残って

います。廃寺となっても残っているの

は観音信仰があったからでしょう。

 

称念寺が出来る前の①では、春日神社と

常福寺のみが見えます。

 

豊田本家の横から回り込みました。

グーグル地図で①の門は

 

小さく見えています。

右側は十市県主今西家保存会建物です。

今西家はもとは武士の十市氏出身で、

豪族の十市氏は古代県主であったそう

です。1621年に、徳川家康の外孫で

郡山城主松平忠明が当家へ赴き宴を

催し杯を酌み交わし、河合権兵衛改め

川井長左衛門正冬は、大坂夏の陣の際

に、今井の西辺において大野治房らを

撃破した、義勇と功績をたたえられて、

今井の西を守ったことから今西を名乗

るように薦められて今西與次兵衛正冬

と改め、徳川家康からことづけられたと

いう薙刀来国俊などを拝領しました。

 

下図①の門です。

右側のお堂が旧常福寺観音堂です。

 

常福寺は1681年から天台宗多武峰の

末寺となり、明治初年までありました。

元々は環濠村の在郷寺院だったので

しょう。

 

座敷撤去

グーグル地図です。

門をくぐると

左端が旧常福寺の山門で、次に赤い

春日社鳥居があります。

この写真の右外側は

 

春日神社の拝殿です。

環濠と今西家の方に行くと

 

復元された2重の環濠です。

 


②から見た今西家です。

今西家の方に進むと

 

今西家西側です。

1650年に再建されています。

惣年寄りの筆頭格で、城郭の

ような造りで「八つ棟造り」と

呼ばれています。

 

西側の大正時代古写真です。(十市県主今西家保存会より引用)

3階蔵・牢屋が残っていました。

 

今西家内部は戸が締まっていて見学でき

ませんでした。

昔来たときは見れたんですが、事前連絡

が必要です。外見の写真は

 

今西家の入口です。

 

③の辺りから撮影した写真です。

 

東側です。③の辺りから撮影した写真です。

 

修理前の東側古写真です。(十市県主今西家保存会より引用)

 

③の辺りから撮影した写真です。左端が今西家です。

 

華甍館にあった写真では内部が

 

今西家内部です。(華甍館より)

 

薙刀や床の間のある部屋もあります。(十市県主今西家保存会より引用)

 

周辺に花が咲いていました。

 

 

 

 

 

 

最後に再建された今井町南門です

 

復元今井町南門です。

 

これで今井町の紹介を終わります。

明日は京都の下賀茂神社・上賀茂神社の

元となった奈良の神社紹介です。初詣で

2019年元旦に3社を参拝しました。

 

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