堺台場の紹介5 旧堺港から灯台へ | みどりの木のブログ

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昨日の続きです。

今回は旧堺港から灯台へ歩きます。

 

下図①のところから②方向を撮影しました。

旧堺港です。現在はヨットハーバーのように

なっています。遠くに見える像が下図⑤の

龍女神像です。

 

現在地にあった地図です。北が下でしたが、

見難いので北を上にしました。

地図は上を北にしてほしいですね。

 

次に①から④方向は

①から④方向です。

拡大すると

ヨットの後ろに見えるのは④の水門です。

 

②の辺りからズーム撮影した④の水門です。

 

②の辺りからズーム撮影した龍女神像です。

明治36年(1903年)第5回内国勧業博覧会の際に、

堺会場の東洋一を誇った大浜水族館前に設置され

ました。博覧会終了後、水族館とともに堺市が譲り受

け、像は平和と繁栄のシンボルとして、「乙姫さん」

の愛称で親しまれましたが、臨海工業地帯の建設

や第2室戸台風の影響などで、廃館となった水族館

の閉館とともに撤去されました。
2000年7月に、堺旧港周辺が世界民族芸能祭

「ワッショイ!2000年」の会場となった時に、市制

110周年記念事業として、北波止突堤の付け根

に復元建設されたものです。高さ16mの石張りの

台座上に10mのブロンズ製龍女神像があります。

 

②の南側は堺南台場です。

 

②の南側です。

 

②から④の水門方向です。

 

②から③方向を見たところです。

 

②から振り向いて⑤の龍女神像方向です。

旧堺港の入口がよく分かります。

 

 

②から③の途中で灯台方向です。

 

③から灯台を見たところです。

 

 

 

③から対岸の堺北台場跡を見たところです。

北台場にはほとんど何も残っていません。

 

大正15年に描かれた、幕末堺港の古絵図です。

 

さらに灯台に近づくと

 

 

 

石碑があります。

 

旧堺灯台の解説板です。

明治10年に、木造の灯台も土台の石垣も日本人が造りました。

点灯機械だけが英国人の手によります。昭和43年まで使われ

ました。

 

戦前の古写真です。

旧堺灯台が写っています。

 

内部は海の日に見れるそうです。

 

回り込んで⑥の方に行くと

 

 

 

石垣が外海に向かって、波切になっています。

 

対岸には戦国時代に南蛮貿易で栄えた頃

の、巨大な絵が描かれています。

 

今日はここまでで、次回は移築された、

後北条氏の狭山藩表門に行きます。

 

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