堺台場の紹介1  歴史など | みどりの木のブログ

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今回から堺台場の紹介をします。

幕末に外国船打ち払い令が出て、全国に200

ヶ所以上の台場(大砲を備えた陣地)が造られ

ました。東京のお台場は特に有名ですが、ほと

んどの台場は、その後開発や破壊で消滅して

います。堺台場は公園となって、石垣や堀の

跡が残っています。2018年12月1日に訪問

しました。安政元年9月に築造された大波止堤

に大鉄砲台場に2箇所(後の南台場)小波止堤

に1箇所(後の北台場)が原型でした。

 

堺台場跡の布積石垣です。手前草地は堀でした。

下図③の辺りです。彦根藩によって改修された石垣です。

 

グーグルより引用の堺台場地図

堺港は沿岸が住吉から続く砂浜でしたので、

砂浜を掘りこんでハート型の港になっていま

す。江戸時代に大和川が付け替えられたた

め、堺港の北側に河口が出来て、港出入口

に砂が流れてくるので、港出口の浚渫(しゅ

んせつ)工事を行っています。

堺台場は港出入口の南北2か所に造られ

ました。現在は埋め立てが進み、陸地化し

ている部分が西側にあります。

 

大正15年に描かれた堺台場地図です。

堺港南北の出入り口を守っています。

 

台場解説板です。

 

現地案内板の、1866年頃の堺南台場です。(右が北)

 

 堺警備を担った彦根藩によって、1865年

(元治元年)6月頃から開始され、彦根藩退

役後は堺奉行に引き継がれ慶應2年正月に

洋式の砲台場が完成しました。

井伊直弼の暗殺後だったので、彦根藩は頑

張ったようです。1868年には鳥羽伏見の戦

いがありました。

稜堡式(りょうほしき)と言われる、石垣の上

部に土塁があり、全方向に攻撃できる形の

要塞です。土塁は石垣よりも大砲攻撃に耐

えるそうです。改修後は北・西・南側は石垣

で囲み、南北に堀を設けて、大砲18門を備

えていました。南台場について描かれている

堺浦両御台場絵図が堺図書館にあります。

 

堺市図書館から引用の南北堺台場絵図です。

 

 

南側⑩の方の堀跡は

 

上写真⑩の辺りの堀跡です。

整備されたのですが、堀を復元して欲しかった

です。

 

明治時代になっても,台場として使われましたが、

国内内国博覧会天王寺会場の第2会場ととして

使われました。その後は堺水族館となりました。

 

堺水族館にになっていた堺南台場跡です。

 

堺水族館全景です。

 

1961年に閉園になっています。

現在は公園として整備されています。

 

現在の台場内部の様子です。

 

今日はここまでで、明日に続きます。

 

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