昨日の続きです。
今回は代官屋敷跡と真教寺です。
下写真⑦から⑧方向を撮影しました。
右側が旧三日市交番で左側が三日市宿代官所跡です。
奥の方に見える門は真教寺です。
グーグルより引用の地図です。
上図⑦から⑧方向を撮影した古写真です。(河内長野市史より)
右側が旧三日市交番で左側が三日市宿代官所です。
奥の方に見える門は真教寺です。
⑦から⑧方向を撮影した古写真です。(河内長野市史より引用)
明治13年の地図(南北逆)で、数字は屋敷番地です。
三日市村は江戸時代に高野街道の宿場として繁栄
します。享保年間の1732年頃から領主は幕府と
膳所藩本多家の相給(あいきゅう)となっています。
一村が天領(幕府)255石と膳所藩85石に分割
統治されました。
膳所藩本多家の代官所はここのリンクにあります。
今回の天領の代官が林家で、商人(油商)であり
経営に優れ、家柄も良いということで、幕府から
この三日市村の代官に任命されました。税金を
徴収することが主な目的なので、明治維新後す
ぐにどこかに転居したそうです。 宿場の人々に
嫌な思いをさせていたのでしょう。代官所の屋敷
は地元の資産家吉年家が買い取りました。現在
はアパートになっています。
旧三日市宿代官所跡です。手前の電柱は同じ位置と考えられます。
代官林五兵衛家の跡地の現在です。奥の方に⑥の民家が見えます。
手前が代官所で奥の白い建物付近が代官林家の自宅だそうです。
代官林家の自宅部分ですが、現在は地区集会所です。
ここは旧三日市村役場跡でもあります。
合併して三日市村はなくなり河内長野市
になっています。
この地図は下が北です。
1064番の方が林家役宅でした。
高野街道を挟んで向かい側には
高札場がありましたが、現在は
宅地となりありません。
下図⑧から東方向の代官林家役宅土蔵です。(河内長野市史より引用)
グーグル地図です。(上が北)
長くなるので今回はここまでです。
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