名古屋城の紹介 12 本丸御殿5 湯殿・黒木書院 | みどりの木のブログ

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1日おきに更新しています。

昨日の続きです。

今日は 湯殿・黒木御殿です。

ここに行くには一旦外に出て

下図の入口から入ります。

 

左が湯殿・黒木御殿で、下図Dの入口です。

右端の建物は上洛殿です。

 

焼失前の本丸御殿間取り図です。

Dの湯殿・黒木御殿は上洛殿と繋

がっていますが、そのまま行けず、

南側の外を回って入口に行けます。

 

中央が徳川家光の上洛殿です。

屋根は杮葺きです。これは創建

当時のもので、燃えやすいので

すぐに瓦葺にされていました。

この本丸御殿は御成御殿となり、

江戸時代を通じて大切に管理さ

れました。藩主御殿や政庁は二

の丸にありました。

1697年の名古屋城です。右下が二の丸です。

赤穂浪士討ち入りの、5年前の名古屋城です。

 

右の階段を上がり湯殿書院に入ります。

 

湯殿書院の解説板です。

 

湯殿書院一之間です。正面ふすまの向こうが上段の間です。

 

湯殿書院一之間です。正面ふすまの向こうが二之間です。

 

湯殿書院二之間です。

ここはお風呂から出てくつろぐところです。

 

上段の間は未完成のため非公開でした。

 

上図のHから撮影の風呂屋形です。

蒸し風呂で、下女のサービスで

殿様が洗ってもらえます。

紀州藩では下女に手がついて

徳川吉宗が生まれています。

 

第二次大戦で焼失する前の風呂屋形です。

復元と違い左上に窓があります。

 

扉を開けてもらい風呂屋形の中を撮影出来ました。

床に隙間があり、下から蒸気が出てきます。

 

風呂屋形の現地構造解説板です。

温泉や行水もあったので、近世

以前にも湯舟につかる風呂は

ありました。豊臣秀吉が有馬の

湯を利用しています。

 

次に黒木書院です。

 

黒木書院に行く廊下です。

 

中庭です。右側が黒木書院です。

 

清須城のにあった家康の宿舎を移築

したとの伝承があります。

黒木と言われたその理由は、松の木

で造られたため、松材は時間が経つ

と黒く変色したためです。

 

 

 

角のIから撮影した二之間です。

 

二之間です。松の木が新しいので、まだ白いですね。

家光は祖父の家康を尊敬していたので、ここを使用

出来ることは、彼にとってはとても嬉しいことだったで

しょう。また、ここは質素で飾りもなく狭い部屋なので、

落ち着けるところです。


 

 

一之間です。庶民の家と変わらない8畳間です。

家光はここで寝たのではと、私は思います。

 

今日はここまでで、明日は本丸東南隅櫓内部です。

 

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