七尾城の紹介6 温井屋敷跡から二の丸・三の丸 最終回 | みどりの木のブログ

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昨日の続きです。

今日は 温井屋敷跡から二の丸へ歩きます。

 

温井(ぬくい)屋敷跡から見た二の丸です。

下図⑧の2段石垣は、能登地震で石垣の

崩壊した所があります。

カメラを右に回すと

この坂道を上ると二の丸です。崩れた石垣が見えます。

 

 

この坂道の登り口辺りに

サイカチの木があります。左側の方がガイドさんです。

この木は城内で、石鹸代わりに使われていました。

莢(さや)を水につけて手で揉むと、ぬめりと泡が出る

ので、かつてはこれを石鹸の代わりに利用しました。

石鹸が簡単に手に入るようになっても、石鹸のアルカリ

で傷む絹の着物の洗濯などに利用されていました。

背景の土塁は温井氏邸の土塁です。

 

石鹸の無かった時代に、石鹸代わりに使われたサイカチの木です。

 

サイカチの木のさやです。(ウイッキペディアより引用)

 

温井屋敷の想像CGです。(七尾市製作)

 

坂を上る途中で温井屋敷跡を撮影しました。

青いビニールシートの所が大手門です。

 

レーザー測量による高度差地図です。(国土地理院より)

 

坂を登った二の丸で、振り返り温井屋敷跡を撮影しました。

青いビニールシートの所が大手門です。

 

二の丸です。

この左側は

二の丸です。

先に進むと

三の丸への階段があります。

ここにある想像CGを拡大すると

二の丸にある想像CGです。右端が温井屋敷です。

 

二の丸にある七尾城の解説板です。

国宝「松林図屏風」を描いた長谷川等伯が、

1539年に京風畠山文化の地である、七尾

で生まれています。七尾城は平成18年に

日本百名城に選ばれました。

 

この階段を下りると、堀切があり

その上が三の丸です。

 

二の丸現在地にあった地図です。

階段を下りて空堀底から少し登ると三の丸です。

 

三の丸の想像CG画です。

 

三の丸跡です。

 

 

三の丸跡です。曲輪としては一番大きい曲輪で、

南北110m×東西25mと七尾城の曲輪の中で

は最大規模です。
安寧寺の上に位置しています。本丸を中心とした

主郭群とは別の曲輪群を形成しています。

 

上杉氏の勢力が謙信亡きあと衰えると、織田氏

によって支配されます、城代として菅屋長頼が入

って政務にあたった後に、信長から能登を預かっ

た前田利家が入ります。既に山城の時代ではな

く、拠点を1582年に小丸山城に移しました。

1583年に前田利家は金沢に移ります。七尾城

は兄の安勝が城代となりますが、1589年(天正

17年)に廃城としました。

1593年に秀吉より利家次男利政が、能登21万

石を賜ります。前田利政が城主となっていたまし

たが、1600年関ケ原の戦いで、利政が石田方

についたと家康に訴え出て、兄前田利長は関ケ

原に遅れた理由にします。弟利政が改易されて、

能登国は兄利長の加賀藩領となります。

 

以上で七尾城の紹介を終わります。

明日からは金沢城紹介にしたいのですが、藤の

花が満開でしたので、西国33か所札所葛井寺

の仏像開帳と藤の花です。

 

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