米子城の紹介3 小原家長屋門から内膳丸まで | みどりの木のブログ

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1日おきに更新しています。

昨日の続きです。

 

左側が旧小原家長屋門です。ここを直進して突き当りを右に曲がります。

 

現在地にあった地図です。

この番号順に歩きました。

 

グーグルより引用の地図です。

 

この米子の位置は、、鳥取城よりも島根藩の島根城に近い位置にあります。

グーグルより引用の地図です。海は中海・宍道湖に繋がります。

商圏としては鳥取よりも島根圏側です。

 

撮影の写真に戻ります。

二の丸御殿のあった所です。ピンクの線のように歩きました。

 

二の丸御殿跡です。

 

二の丸御殿が描かれています。(江戸時代の古絵図)

今はテニスコートです。

 

②の所には御殿で使用した井戸があります。

 

②にある御殿御用井戸跡とあります。

 

さらに進むと

③の位置です。ここの石段を上ります。

 

さらに上がります。

 

④から内膳丸に行く道です。直進して突き当りを右に行けば内膳丸です。

 

右に曲がると

内膳丸の石垣が見えます。

 

左側は

下に下りる道と

もう一つは

中海展望所に行く道があります。

 

④の方向に行くと

 

内膳丸への階段です。

行けなかったのですが、この階段を上がると

内膳丸内部です。(グーグルストリートビューより引用)

先端には休憩所があります。

 

内膳丸を造った横田 村詮(よこた むらあき)は、横田内膳と言わ

れて、伯耆国米子藩執政家老のときに、城主中村一忠に二の丸で暗殺されました。

三好家臣だった横田は、三好氏の滅亡を経て、

1583年に豊臣秀吉から岸和田城主にされた、

中村一氏によって召抱えられて、中村一氏の

妹を妻とし、一氏の息子の一忠は身内として、

横田は義理の叔父にあたります。1590年に

駿府城主となった中村一氏に同行しています。

静岡では、検地、交通路整備、土木施策など

の実績があります。秀吉の死後、東軍と西軍

の争いのなかで、重病になっていた中村一氏

は嫡男・一忠の将来と、中村家の存続を願う

横田村詮の意見を聞き入れ、駿府城下の村詮

内膳屋敷で徳川家康との会談を行い、東軍の

徳川方に加わることを決めます。関ヶ原の戦

いの後、1600年11月に、家康による論功に

より、11歳の一忠は17万5000石米子城主

に任ぜられ、横田村詮は中村一忠の後見役

および執政家老として6000石を、徳川家康

より与えられます。徳川家からの付け家老と

いう立場になります。

  横田村詮は一忠のために、五重の天守

をもつ米子城を築城、更に一忠のため米子

感応寺を建立し、伯耆領国内の検地のほか、

城下町建設のため藩内各地から民衆を集落

ごと移住させ、米子十八町と云われる職業別、

集落別の居住地を構築し、さらに、加茂川を

米子城の外堀にする一方で運河として造成し、

職人商人町と中海に繋げ物資の大量輸送を

実現するなど、現在の米子市の礎を築きまし

た。ところが、この村詮の優れた才覚を妬み、

出世を目論んでいた一忠の側近である安井

清一郎・天野宗杷らは、村詮を亡き者にしよ

うと陰謀を企て、まだ14歳の一忠の命によ

り、1603年11月14日に催した慶事の際に

二の丸で殺害しました。享年52でした。

本丸を守るために内膳丸が造られましたが、

忠一の横田暗殺で、横田6000石は内膳丸

に立てこもります。島根の月山富田城からは、

堀尾氏の応援も来て、横田一族が滅ぼされ

ました。この事件の報告をうけた徳川家康は、

自ら派遣した村詮の殺害に激怒し、首謀者

の安井清一郎、天野宗杷をなんら吟味もなく

即刻切腹に処します。また、一忠側近の道上

長衛門、道上長兵衛には事件を阻止出来な

かった理由により江戸にて切腹。江戸幕府は

中村一忠には、品川宿止めの謹慎にとどめ

お構いなしとします。

しかし、中村一忠は20歳の時に、子供をつ

くらないまま急死して、中村家は断絶します。

 

一方、本丸方向は

下図④から⑤の本丸方向への道です。

 

下図④から⑤の本丸方向への道です。

 

 

今日は此処までです。明日に続きます。

 

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