仙洞御所の紹介1 歴史と大宮御所 | みどりの木のブログ

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今日から仙洞御所の紹介をします。

2017年11月4日午前11時から参観しました。

この日は天候も良く、晴れ時々曇りでした。

 

これは京都御所です。この南東に仙洞御所があります。

左端には建礼門(木で見えません)があります。

 

仙洞御所の歴史

京都御苑内には京都御所の南東に仙洞御所があります。

これは1627年(寛永4年)に後水尾上皇のために造営さ

れたもので、正式名称は桜町殿といいます。仙洞とは仙人

の住む所です。そこから転用され退位した天皇(上皇・法皇

)の御所をいい、さらに転じて上皇・法皇の異称としても使

われました。

現在の仙洞御所です。

この写真の右側は

現在の仙洞御所です。

 

京都御苑全体絵地図です。(絵地図の仙洞御所南側の案にありました)

仙洞御所の南東には新島襄・八重夫妻の旧邸がありました。後日紹介します。

 

江戸時代の公家町だった京都御苑です。(左が北)

 

 天皇は退位後、上皇・法皇と名乗って平安宮内裏から

退去して仙洞御所に移るのを常としました。里内裏(現在

の京都御所は、もとは里内裏の土御門東洞院殿でした)

が多くそれにあてられました。そのうちに平安宮内裏が、

財政難などで再建されず、里内裏だった現在の御所が、

通常の皇居となります。仙洞御所はまた「院(いん)」とも

呼ばれ、院も上皇・法皇の別称として使われます。仙洞

御所には家政機関としての院庁が置かれたほか、白河

上皇の時(1100年頃)には近衛として北面武士が設置

され叡山などの強訴に備えました。後にこれが平家の武

家政権につながります。

 

現在の京都御苑内には、上図から京都御所の南東に、

仙洞御所があります。東部には広い池を中心に庭園が

あります。初め小堀遠州により築庭されますが、のちに

後水尾上皇好みに大きく改造されます。

仙洞御所(大宮御所ふくむ)の地は、かつて聚楽第の

後身として豊臣家の本邸「京都新城」のあった地であり、

当時は太閤御所・太閤上京御屋敷と呼ばれています。

豊臣秀吉が没した翌慶長4年9月に大坂から、秀吉の

正室おね(北政所のちの高台院)が入り居住しました。

彼女は寛永元年に没し、しばらくは甥の木下利房が住

みました。寛永4年に後水尾天皇が譲位の意向を示すと、

幕府はこの地を、仙洞御所と大宮御所の地として選び

御所建設工事に着手しました。譲位の意向は徳川和子

(のちの東福門院)の生んだ親王が夭折したためいった

ん撤回されます。1629年(寛永6年)後水尾天皇が譲

位を決行すると、工事が再開されます。翌7年12月に

後水尾上皇は新構の仙洞御所に転居しました。多くの

建物は二条城から、寛永行幸の際に使用した建物を、

移築しています。阿古瀬淵は豊臣家邸宅庭園の遺構

と伝えられます。

仙洞御所内にある阿古瀬淵(あこせがふち)です。下図③にあります。

 

仙洞御所・大宮御所の絵図です。(参観者休憩所にありました)

 

仙洞御所西北に隣接する京都大宮御所は後水尾天皇の中宮で

あった、東福門院(徳川秀忠の娘の徳川和子)の女院御所として

江戸時代初期に造営されたものが元となっています。1854年

(安政元年)の焼失後、孝明天皇が夙子皇太后のために再建し

ました。

仙洞御所の建築群は1854年(安政元年)の火災後再建されず、

現在では庭園のみが残っており、1867年(慶応三年)以降には

隣りの御常御殿が残る大宮御所に組み込まれ、京都大宮御所

は、御常御殿の改修(イギリス皇族来日時に宿舎とした)を行い、

絨毯敷きの窓ガラス付き洋室にしています。和室はありません。

 

①から撮影の御常御殿です。皇室の京都での宿舎で、

正面が御車寄せです。2013年(平成25年)宿泊に用

いる御殿棟について、震度6強の地震での倒壊可能性

が判明したため、6月の天皇皇后京都訪問に際しては

京都迎賓館で代替され、耐震工事が行われました。

 

②の辺りから撮影の御常御殿です。

向かって左が紅梅で右が白梅です。

 

②から撮影の御常御殿です。窓がガラス張りにリフォームされています。

 

それに伴い仙洞御所との塀を除きこれを組み入れました。

大正時代には大宮御所の御常御殿が内装などが洋室に

改装されるなど住居としての実用性が向上し、仙洞御所の

庭園を合わせた邸宅としての装いが整いました。現在で

大宮御所と仙洞御所を合わせた邸宅を、「大宮御所」と

呼び天皇、皇后、皇太子及び皇太子妃の京都府行幸啓

(帰京)の際の滞在施設として使用されています。なお現

在は秋篠宮家では使用していません。今上天皇が退位さ

れる平成30年以降は、秋篠宮家当主が皇太子となるよ

うなので、使用されると考えられます。

 

今日は此処までです。続きは明日UPします。

 

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