長篠の戦いこぼれ話 最終回 「片端の葦」伝説の弥陀が池 | みどりの木のブログ

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今日は最終回で「片葉の葦」伝説がある

弥陀が池の昔話です。

 

1万5千人の大軍を甲斐・信濃・上野の3か国から動員して、

長篠城を包囲・攻撃していた武田軍です。織田・徳川の援軍

が来たので、1573年5月19日に、長篠城近くの勝頼本陣

の医王寺で軍議を開きました。

 

長篠城址と地図上にある医王寺です。(グーグルより引用)

 

医王寺と手前が弥陀が池です。(ガイドさんの資料写真)

 

馬防柵を造り攻めてこない織田・徳川連合軍に対して、

軍議が沸騰しました。馬場などの老臣達は、攻めてこな

い事が明らかなので、長篠城を力攻めして、逆臣の奥平

貞昌を討ち取り、引き上げる方が得策で、正面切って戦

うのは愚策と言いました。勝頼の側近は設楽原に進軍し

て、雌雄を決するべきだと言いました。この時点で、織田

信長は後方に兵を隠し、馬防柵付近の鉄砲も多くを隠し

ていたと考えられます。総攻撃してきた時に始めて鉄砲

を出す体制だったと考えられます。

そこを見抜けなかった、側近や陣代の勝頼の経験の無

が悔やまれます。表面的に見てこれなら勝てると思っ

たのでしょう。この医王寺で、5月20日に進軍して決戦

と決まりました。

 5月20日医王寺で眠りについた勝頼の枕元に白髪の

老人が音もなく立ち、「明日の戦いは無謀の限りである。

今すぐ兵を引き甲斐へお帰りなされ・・・。もし、我のこの

言葉を聞かぬとあらば、今宵限りで汝を見限るであろう

・・・。」と言いました。

 この言葉を聞いた勝頼は、傍らの太刀で老人の肩口

を切りつけました。老人はすーと煙のように消えました。

翌日、医王寺の前の弥陀が池では、葦の葉がすべて

片葉になっていました。村人は「老人は葦の精に違い

ない、勝頼の行動を諫めたのだ」と、ささやき合ったと

いうことです。

 

片葉の葦が生えている弥陀が池です。

 

弥陀が池の片葉の葦の写真です。

 

 この老人も信玄の姿に化けて出たら、効果があった

かもしれませんね。何故老人が現れたかについては、

信玄から3年は動くなと遺言されたのに、奥平憎しで

遺言に反して大軍を動かした。勝頼の心の底では

そのことへの咎めがあったのでしょう。

 

 

 

これでこぼれ話のは終わります。明日から女城主で有名な岩村城の紹介です。

 

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