昨日は竹内街道(日本初の国道)の灯ろう祭を
見に行きました。なので、ここで1枚だけUPしま
す。あとの写真は後日のUPとします。
竹内街道にある春日神社です。月が満月に近い状態です。
参道に灯路が並んでいます。社殿ライトアップ用のライトが
眩しいですね。
それでは、神田明神からの散歩に戻ります。
散歩経路をピンクの線で示しました。
神田明神から湯島天神方向です。最初に谷があります。
一番低い所です。
古代の江戸地図です。濃い緑の所は海です。
赤い線が歩いたコースです。
さらに歩くと、上の地図③の
がありました。
妻恋神社鳥居です。
妻恋神社です。
同上
妻恋稲荷です。
日本武尊を祀る神社です。古代はこの辺りまで海が
せまる所でした。東征を続ける日本武尊が湯島の地
に滞在したので、郷民は尊の妃を慕われる心をあわ
れんで、尊と妃を祭ったのがこの神社の起こりなので、
日本武尊の妃だった弟橘姫は船魂神として祀られて
います。
江戸時代後期には王子稲荷と並び、多くの参拝者が
あったそうですが、現在は小さな神社になっています。
江戸時代の古地図にも小さく描かれていますが、
現在はさらに小さくなっています。
さらに歩くと実盛坂があります。
実盛坂です。古代にはこの下まで海が迫っていました。
実盛坂の説明板です。
もう一度の地図です
実盛坂をピンクで囲っています。
さらに歩くと、湯島天神が見えてきます。
正面が湯島天神の、下図⑧の鳥居です。鳥居の左に梅園が見えます。
社殿配置図です。菅原道真といえば梅ですね。
正面が湯島天神の鳥居です。
湯島神社の解説板です。
社伝によれば、雄略天皇2年1月、雄略天皇の勅命により、
天之手力雄命(あめのたぢからをのみこと)を祀る神社とし
て創建されたと伝えられています。南北朝時代の正平10年
(1355年)、住民の請願により菅原道真を勧請して合祀しま
す。この時をもって正式な創建とする説もあります。湯島天
満宮では458年創建(雄略天皇2年を機械的に西暦に換算
した年数)としています。
徳川家康が江戸城に入ってから徳川家の崇敬を受けます。
江戸時代には多くの学者・文人が訪れ崇敬を集める一方、
享保期には富籤の興行が盛ん(江戸の三富の1つ)になり
庶民に親しまれました。
明治5年近代社格制度においてに郷社に列し、明治18年
に府社に昇格します。平成13年(2001年)、神社本庁別表
神社に指定されました。平成12年(2000年)3月31日に、
「湯島神社」から「湯島天満宮」に改称しました。
湯島神社の解説板2です。
鳥居の下脚部を拡大すると
鳥居に唐獅子の装飾があるのは珍しいですね。
鳥居をくぐると
鳥居をくぐった境内社殿です。
ヨウムのバズ君のおしゃべり動画をお借りしました。
「う〇〇した」と言っています。意味が理解出来ているようです。(52秒)
今日はここまでです。明日に続きます。
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