京都御所の北にある冷泉家の歴史
なのですが、上冷泉家のことです。
や東海地方の駿河守護今川氏を頼り地方に下向しており、
山城国(京都)にいませんでした。織田信長の時代には
京都に戻ったのですが、豊臣秀吉が関白太政大臣に任命
された1586年(天正14年)には勅勘を蒙り、再び地方に
下向します。このまま地下として埋もれてしまう可能性もあ
りましたが、秀吉が亡くなった1598年(慶長3年)、徳川
家康のとりなしによって、都へ戻り堂上に戻ることができた
とされます。ここは家康に許されて、1万石の大名になれた
後北条家に似ています。
秀吉は天皇が住む御所の周辺に、公家たちの屋敷を集
め公家町を形成します。上冷泉家は公家町が完全に成立
した後に許されて都に戻ったため、公家町内に屋敷を構え
ることができませんでした。旧公家町に隣接した現在の敷地
は家康から贈られたものだそうです。江戸時代には上冷泉
家は徳川将軍家に厚遇されて繁栄します。とくに武蔵江戸
在住の旗本に歌の高弟が多くいました。仙台藩主の伊達家
とも姻戚でした。
明治時代以降は、上冷泉家の冷泉為紀は伯爵に、下冷泉家
の冷泉為柔は子爵にと華族に列せられます。下冷泉家の家柄
は上冷泉家に劣るものではないのですが、戦国時代に別所氏
によって当主が殺され所領を失い、親しい間柄であった豊臣家
も没落し、徳川家が台頭したことが江戸時代の官位に影響し、
明治以降の爵位の差にもなりました。明治維新によって多くの
公家は明治天皇に従い東京に移住しますが、上冷泉家はその
後も江戸時代の屋敷と御文庫を守り、京都の屋敷に住み続け
ました。御文庫を擁する上冷泉家が京都に残ったことで、古今
和歌集・明月記など国宝5点と重要文化財25点)は関東大震災
と東京大空襲による被害を免れました。ほんとに幸運な事です。
(ウィッキペディアより引用)
冷泉家の屋敷内は撮影禁止で、前回の写真は表門から撮影
させてもらいました。見学も庭や土間からだけでした。
座敷の絵をUPします。

下の座敷図の手前が中の間(12畳)で、向こう側が上の間
(13畳)と床です。
上の間は身分の高い客用です。中の間はそれ以下の身分の
客を接待するところです。
使者の間は8畳で、身分の低い客や使いの者が使いました。
上の間の壁の中央に床があります。書院造りでないので床だ
けです。何故、壁の中央に床だけかと言うと、家で神事がある
時に3つの間を襖なしにして、一室化し床を神の座として使う
ためだそうです。また、襖には牡丹唐草の唐紙が貼られてい
ます。この季節感の無い唐紙は歌を詠むときに、絵柄に邪魔
されないようにするためだそうです。
庭には東に紅梅(桜ではない)、西に橘が植えられています。
桜でないのは、国風化する前の中国の古制によるそうです。
また、植樹されたのは昭和57年に来られた宮様方だそうです。
これらの部屋の北側には広間(17.5畳)があり、この広間は
書院造りで、床・書院・違い棚のある正式なものです。近代的
な客間として、大正時代に新設されたものです。皇族などの
最高位の人のために造られたようです。広間の床の間の掛け
軸は天皇の書でした。また、天皇からの頂き物を上と中の間に
展示していました。
松の間と御高居間が当主の日常生活空間です。

この写真はウイッキペディアからの引用です。
手前の土蔵が御文庫で、当主以外は中に入れません。
ここには国宝5点
古今和歌集(藤原定家筆)、拾遺愚草(藤原定家自筆本)、
古来風躰抄(藤原俊成自筆本)、明月記(藤原定家自筆本)、
後撰和歌集(藤原定家筆)があります。
写真向こう側が新御文庫で、江戸時代の古文書が多く
所蔵されています。
重要文化財は25点あるそうです。
今のこの屋敷も重要文化財で、1788年の天明の大火で、
御所も冷泉邸も消失ましたが、1790年に再建されました。
このとき御文庫だけは焼け残りました。御文庫は置き屋根
の土蔵造りでした。この御文庫も危険な時は、横に空井戸
があり、そこに投げ込んで守るそうです。

グーグルの地図からの引用です。
現在のご家族の日常生活は、北側の建物のようです。
この古い公家屋敷では、現代的な生活し難いですね。
上冷泉家の第25代当主(現当主)の冷泉為人さんは、
近世京都画壇研究の第一人者の学者で、大学の先生
をされています、旧姓名は松尾勝彦(本姓藤原氏か)
さんでしたが、第24代の為任の長女貴実子さんの婿
として第25代当主を継承するために、家庭裁判所の
許可を経て改名したそうです。
為人さんは、今の屋敷を維持するために苦労をされ
ているそうで、平成になってからの大修理(平成12年
竣工)では10億円かかったそうです。重要文化財なので、
そのうち半分の5億円は公的補助ですが、残り5億円は
冷泉家の出費でした。近世公家住宅として、ほぼ完全
に保存されている唯一の遺構なので何とか後世に残し
てほしいです。以前UPした世田谷代官屋敷のように、
南側の重要文化財部分だけを市などに寄贈して、北側
に住み続ける方がいいかも分かりませんね。
住宅の一番右端が駐車場になっています。そこが出口
になっています。
奥に見えるビルは同志社大学の校舎です

出口の様子です。
公益財団法人冷泉家時雨亭文庫では、
冷泉家の文化財維持保護のために、会員を募集しています。
正会員の会費は年間1万円です。七夕会への招待などがあります。
事務局のTELは075-241-4322です。
今日はここまでです。
明日は京都御所の紹介です。
読者登録の方には、すべて読者相互登録します。読者登録お願いします。
お手数をおかけして、誠に申し訳ないです。
ブログボタン押し、よろしくお願いします。
ブログボタン押しよろしく→
お願いします。
ブログボタン押しよろしく→
お願いします。街・建物写真 ブログランキングへ

