全体が知りたい人は、是非お出かけ下さい。
1階の案内図です
1階に入ると、順路として古墳コーナーがあります。
百舌鳥古墳群の大きな写真コーナーです。
この大仙公園は仁徳天皇陵と履中天皇陵に
挟まれた所にあります。
先ずは古墳の話です
上の地図の履中天皇陵の少し南にある、大塚山古墳
(現在は宅地になっています)から出土した鎧と兜です。
この兜は美原区にある黒姫(仁徳天皇の妻)山古墳
出土の兜と兜飾りの復元品です。
そして、鎧のお試しコーナーがありました。
こんな感じでした(私の顔はアメンバーさんに公開しています)
鉄製?なので、ずっしりと重かったです。
堺の産業・文化コーナーには
家康が大坂の陣のために、堺の鉄砲鍛冶職人の
芝辻理右衛門に造らせた大砲です。
豊臣方が使用していた大筒は、16世紀にヨーロッパで生産されていた
「仏郎機砲」(フランキ砲のフランキとは中国でポルトガル人を指す)
有効射程距離は330~440メートル。おまけに時々暴発する厄介な
代物でした。大坂の陣が始まる前、家康はイギリスからカルバリン砲
(弾丸重量約8kg)4門、セーカー砲(弾丸重量5ポンド)1門を購入し
ています。
このカルバリン砲の有効射程距離は1800メートル、最大射程距離
6300メートルです。家康が堺の鉄砲鍛冶・芝辻理右衛門道逸に作ら
せた芝辻砲は1100匁(約4.1kg)の弾丸を飛ばせる大筒で、大坂城
天守閣から700メートルの位置(古地図に砲台とあり)から砲撃した
らしいです。有効射程距離は1000mほどと思われます。大阪城内の
フランキ砲や鉄砲の攻撃を受けない位置に、砲台があったと考えられ
るので、総構えから700mとしても有効射程距離(天主閣破壊が有効)
になり、高度差(天守閣の位置は高い)を考慮して、天守閣に命中した
のは芝辻砲ではなく、射程の長いカルバリン砲だと思います。
カルバリンという名称は、ラテン語のcolubrinus(ヘビのような)という意味で、
上図写真では砲身約5m鉄製です。 カルバリン砲とフランキ砲(銅製)は
砲弾を飛ばすだけで炸裂しませんでした。なので当時の大砲は威力の無い
ものです。
炸裂弾を使っているのはアームストロング砲で、明治維新に新政府軍が使い
ました。
今日はここまでにします。
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