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前回の続きです。

今回は 中川五郎治石碑と桜見本園です。

寺町跡の墓地にある 中川五郎治石碑と

桜見本園です。

 

中川五郎治の顕彰の碑です。

 

下図O付近にある、 中川五郎治

の古写真です。

中川五郎治は択捉島番屋で、

番人小頭として、漁場取締

りをしていました。

1807年にロシアの軍人フ

ヴォストフの襲撃で捕虜と

なり、シベリアに連行され

ます。このとき、ロシア人

医師の助手となり種痘法を

習得します。

1812年に帰国したとき、

ロシアの種痘書2冊を持ち

帰っており、このうちの

1冊を馬場佐十郎が「遁花

秘訣」として訳しました。
中川五郎治は1824年ごろ

から種痘を実施しますが、

中川の種痘術は青森・秋

田までしか知られません

でした。

日本で種痘(牛痘)が普

及するのは、バタヴイア

に注文した痘痂が長崎に

伝わった1849年以降です。
1857年~59年、桑田立斎

・深瀬洋春らによりアイヌ

への、強制種痘が実施され

ます。これは、北海道のみ

ならず、樺太や千島でも実

施された大規模なものです。

吉川昭/著『北天の星上下』

は中川五郎治を主人公とし

た歴史小説で、
上巻はロシアのエトロフ島

襲撃で中川五郎治らが逮捕

され、シベリアで脱走を試

みて相棒の左兵衛が腐った

クジラ肉を食べて死ぬとこ

ろまで。
下巻は中川五郎治が死ぬま

でで、ゴローニンとの捕虜

交換で帰国するところや、

種痘の話を含んでいます。

この本の中で、痘苗はたま

たま入手できた、天然痘に

罹患した牛の瘡を使ったと

しています。
また、この本の最後には、

法源寺の墓は中川五郎治

両親の墓で、五郎治の墓

の場所は不明と書かれて

います。

 

O付近から中川五郎治の墓

方向は

 

O付近から中川五郎治の墓

方向です。

どれが墓か分かりませんでした。

 

この一帯には桜の花が咲いていま

す。函館戦争で焼けた跡に、1万

本近い桜の木があるそうです。

 

花見本園もあります。

 

花見本園です。

 

 

 

拡大すると、桜の解説があります。

 

松城小学校の中庭が松前桜

の原点です。

 

桜資料館もあります。

 

桜とタンポポ

 

 

 

 

 

八重紅枝垂れ桜です。

 

花見の露店が出ています。

 

椿の花が咲いていました。

 

本丸広場まで戻りました。

 

今回はここまでで、次回が最終回です。

 

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