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今回からは岡崎城の紹介です。

以前2017年にも紹介をしている

ので、重複しますが、出来るだ

けそうならないようにします。

城内を通る東海道も紹介します。

2026年4月5日に訪問しました。

この日は第67回家康行列まつり

がありました。

 

2017年紹介の岡崎城です。全4回あります。

 

岡崎城の歴史は

 

1450年頃に明大寺の地に、

三河守護の仁木氏家臣の西郷

頼嗣(稠頼)によって築城さ

れたのが始まりです。

1531年に松平清康(家康

の祖父)が現在の位置に移し

て以来、ここが岡崎城と称さ

れるようになりました。岡崎

城は当初、「岡竒城」と記され

ました。また、『三河国名所図

会』には、「岡崎は享禄(1528

年 ~1531年)以来の名號にし

て、其以前は菅生郷なり」と

記されています。
1542年112月26日)に、

徳川家康はここ岡崎城内で生

まれました。

 

下図①の現在の大手門です。

大手門は1993年(平成5年)に再建され、

現在は岡崎公園の玄関口になっています。

瓦葺き入母屋造りの屋根を載せた、高さ

約11m、幅約16.4mの大きな木造門で、

石垣には地元で採掘された御影石が使わ

れています。

 

岡崎公園の現地解説板です。

 

上図⑯の東の丸にある

東隅櫓です。下図赤枠内

外側から見ると

東の丸の外側は崖になっています。

東隅櫓は2010年3月に再建されました。

 城の中核となる二の丸に繋がる切り通

しを守る最後の砦で明治初頭まで存在

していました。 「望楼式二重櫓」と呼

ばれる木造2階 です。
 

下図赤枠内

 

江戸時代中期頃の岡崎城

 

松平元康(家康)は6歳で織田信秀

(信長の父)、8歳で今川義元の人質

となります。

彼は少年期を他国で過ごしましたが、

永禄3年(1560)の桶狭間の合戦で、

今川義元が戦死したことを契機に、

19歳で自立しました。このとき松平

を徳川に改めています、以来岡崎城

を拠点に天下統一という偉業への基

礎を固めました。
1570年に家康は、本拠地を遠江

浜松(静岡県浜松市)に移し、嫡男

信康を岡崎城主としました。しかし、

信長からの指摘で、信康が今川に通

じて謀反を企てているとして、1579

年に信康を自刃させます。

その後は、重臣の石川数正、ついで

本多重次を城代としました。

1590年に家康が、秀吉によって

関東に領地替えされると、秀吉家臣

の田中吉政が城主となります。のち

に徳川家康が江戸に幕府を開いてか

らは、譜代大名に岡崎城を守らせま

した。

江戸時代


江戸時代には岡崎城は「神君出生の城」

として神聖視され、本多氏(康重系統)、

水野氏、松平(松井)氏、本多氏(忠勝

系統)と、家格の高い譜代大名が城主と

なりました。石高こそ5万石前後と少な

かったのですが、大名は岡崎城主となる

ことを誇りとしたそうです。西郷氏が築

いた当初の岡崎城は、砦のようなもので、

城域も本丸程度であっただろうと考えら

れますが、家康の頃までには近世の城郭

としての原型ができあがりました。

1592年に田中吉政は、大規模な城郭

の整備拡張を行い、城の東・北・西に総

延長4.7kmに及ぶ惣堀を造りました。

 

 

1617年本多康紀が城主のとき、

三層三階地下一階で、東に井戸櫓、

南に附櫓をもつ複合天守閣が建て

られました。

 

明治初期の天守古写真です。

天守右に井戸櫓が見えます。

 

角度を変えて撮影された

明治初期の天守古写真です。

建物はすべて撤去されました

が、市民の要望で、模擬復元

されています。

1959年にはほぼ昔どおりの

外観の天守を復元しました。

ただし、築城時とは異なる部

分もあり、完全な再現ではあ

りません。例えば、復元され

た天守の最上階に当時は存在

していなかった廻縁が設けら

れています。

 

現在の天守です。

左側に付け櫓と、

右側に井戸櫓が

あります。

 

大手門を入った下図C地点です。

家康行列まつりのために、

いろいろな飾りつけがあ

りました。

本来の大手門は下図A

の所にありました。

上写真では背景にある

高層ビル付近に大手門

がありました。

 

 

家康の関東転封後に、尾張国には

豊臣秀次が入った。田中吉政には

三河国岡崎城5万石が与えられます。

田中吉政は岡崎城を石垣の城にし、

城郭整備にともない東海道が城下

に引き入れられて、岡崎は東海道

有数の宿場町として繁栄しました。

 

赤い線が城内に引き込まれた

東海道です。城防衛のために、

27曲がりの街道にされました。

右端の伝馬町付近を拡大すると

 

東海道でも3番目に大きい、

大きな宿場になりました。

 

資料は天守内展示より引用

しています。

 

今回はここまでで、次回に続く

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