またまたコラム的な記事を投下。 | あいどる@らんなー宣言

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おひさしぶりです。

 

 

 

9月上旬のハーフマラソンに備えて

相も変わらず同じ練習場所でひたすら走り込んでいます。

(報告日記的に何の変化もなくてスイマセン;;)

 

この調子でいけば8月の走行距離は

600kmを少し超えるくらい行きそうですが、

なぜここまでやるのかといいますと、

レースのために仕込んでいるというだけです。

 

大会にエントリーしなければ

夏は丸サボり休養するつもりでいましたのでw

 

 

さて、単なる報告だけでは面白くないので

「ランニングとはどういうもの?」というのを

ある漫画の2コマ(「3コマだろ」というツッコミはナシでお願いします。

使用するのは2コマなのでw)を用いて論じようと思いますので

暇つぶしの感覚でお読み下さい。

 

※あくまでも個人的な見解なので厳しいツッコミはご遠慮下さい。

あまり責められると泣いてしまいますので;

 

 

 

その一

主観や温情で結果(タイム)が左右されるわけではないという点に関しては

ほぼ同感です。

 

☆(居住地/練習場所が)雪国だからってスタートラインを100m手前にしてくれるわけではない

☆フォームが美しいからといって芸術点が吟味されてタイムを短縮してくれるわけではない

 

これらは有名な監督の台詞ですが、

情けや容赦でどうこうなるものではないという真理を

ずばりついていると思います。

 

 

その二

(選考の)基準に達することができずに不合格だったとしても

「一生懸命頑張った(←根拠のない主観)から合格!」とするのは

間違っているという観点からすれば

(こういうのを出来合いといいます)

前半の部分は同意できます。

 

ただ後半の部分に関しては、

それはあり得ないという観点から同意しかねないところがあります。

 

まず持久力というのは付きにくく落ちやいもので、

なおかつ技術として身につくものでもないので

たとえ100年に1人のセンスを持っていたとしても

練習を積まなければ結果は出せません。

 

というかセンス云々よりも

心血を注いだつもりなのに結果が出なかった(駄作だった)ということはあっても

(これは自分のした少しの努力を過大評価していただけだというケースがほとんど)

鼻唄まじりの適当な練習しかしていないのに結果が出た(傑作が生まれた)なんてことは

まずと言っていいほどあり得ないことなんですよね。

 

結局はその程度の練習しかしなければその程度の結果しか出せず、

ちゃんと練習をすればちゃんと結果がついてくるもので、

 

☆記録(結果)が全てじゃないけど絶対

☆記録(結果)が絶対じゃないけど正直

 

だと思います。

あ、これは有名な監督の台詞ではなく私の持論ですw

 

 

と、以上ではありますが、

中高生や保護者の方がこのブログを読んでいるらしいので

教科書寄りのコラム(のつもり)を書き綴ってみた次第です。

それにここのところブログの更新頻度も低いので(不徳の致すところです;;)

一球入魂的な感じで書いても罰は当たらないってものでしょ?

 

読み返してみれば当たり前のことしか言っていない感じではありますが、

「なぜ私が毎朝走り込みをしているか」の答えを

今回のコラム内に散りばめたと思って頂ければこれ幸いです。

 

それではノシ

 

 

近々アメブロの顔文字の機能が無くなるらしいので

今回は試験的に顔文字を用いずに記事を書いてみましたが、

とりわけ不便ではなさそうです。

 

しかしどうしてこう改悪とも取れるリニューアルを行うのでしょう;

もう世間的に顔文字の需要は無いのかな?

でも機能が改善されて以前のように編集途中でフリーズしなくなったのは

大いに評価しています(←という上から目線w)