母の日 | 近鉄八尾駅前にある鍼灸整骨院 東洋医学の事なら、いど鍼灸整骨院。

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5月12日(日)は、母の日ですね。

 

ある評論家によると、「経営者にインタビューしたとき、母のことを切々と語る人物は本物だ」ということです。

確かに、人はいくつになっても、母の温もりの中で生きているのかも知れません。戦場においても、多くの兵隊が「おかあさーん」と叫んで死んでいったということを聞くにつれ、母と子の絆ほど強いものはないのかな、と思います。

 

 

今日は、『おかあさん』 (日本童詩研究会・編、理論社)の中から、母の日にちなんだ詩を数篇紹介したいと思います。児童詩誌『きりん』より)

 

 

 

 母の日  おくの かずえ (四年)

「おかあちゃん、きょうなんの日かしってる?」
「母の日でしょ」
「なにも、ほしいものない?」
「そのきもちだけでたくさんや」
「ほんまになにもこうていらんか?」
「またらいねんこうてもらうわ」
おかあちゃん ふとんたたみながら
わたしのかおをみた
おかあちゃんは力いっぱい
ふとんたたんでいた

 

 

 

 母の日  金子恵子 (四年)

 

きょうは

お母さんをゆっくりさせよう

道ろそうじから

帰ったら

朝ごはんのしたくが出来ていた

ばんごはんのしたくこそ

しようと思ったのに

外で遊びすぎているうち

お母さんがやってしまった

六十円の茶わんの

プレゼントだけだ

それでも

お母さん にこにこだった

 

 

 

…いつまでもお母さんには元気でいて欲しいですね。

 

一方、すでにお母さんが想い出の人になってしまった子どもたちの詩も紹介します。

 

 

 

 くせ  まつやま かずこ (三年)

 

わたしは おかあさんが

なくなってから

すいじをします。

すいじをするときに

なにかのうたをうたいます

なぜ

そんなくせがついたのでしょう。

 

 

 

 母の日  ひらみね よしこ (四年)

 

わたしが カーネーションこうたら
はしもとさんが ゆいやんねん
「ひらみねさんは 父の日やね」
わたしのおかあちゃん
四ねんまえの春のばんに しんでん
4月15日7じに しんでん

だまったまま しんでん

 

 

 

 

 

 母の日  志津千留波 (四年)

みんな
むねに赤いカーネーションつけている
わたしだけ
白いカーネーション
みんな
「お母さんありがとう」と言っている
わたしには 言う人がいない。

 

 

 

 

 死  尾上光子 (六年)

 

二月十九日

あさ九時二十分のおかあちゃん

ねえちゃんのふとんの中で

つめとうなっていた

白いきれを顔にかぶせて

おかあちゃん

うちに顔みせてくれへん

 

おとうちゃんないてた

ねえちゃんも台所でないていた

ふうちゃん うちの目こすりつけて

便所の前でいっしょにないてた

 

おとうちゃんと

おかあちゃんと

なかよかったで

 

 

 

 母の日  若生栄司 (六年)

 

いつもせんこう一本

きょうは、五本

せんこうのけむり

かあちゃんの

笑顔になった。

 

 

 

 ぼくのゆめ  佐藤孝一 (五年)

 

ぼくがねていると、

おかあさんがまだ生きている。

「おかあさん、おかあさん」と

なんども呼んだけど、

おかあさんはへんじをしなかった。

ぼくは、

「おかあさん」と

もう一度よんでみた。

おかあさんのへんじが聞こえたようだ。

そして目がさめた。

となりでおとうさんがよくねむっている。

いつのまにかまたねむってしまった。

目がさめたら

台所でかたかたと

ねえさんのほうちょうの音が聞こえてきた。

 

 

 

 おかあさん いらない  松村三千夫 (四年)

 

先生が、

「三千夫さん、おかあさんがいないのよ」

と、みんなにいわれた。

ぼくは

だんだん目に涙がたまった。

したじきとノートの上におちてきた。

「ぼくだって一人で成長できる」

と心で思った。

ぼくはおかあさんの顔もしらない。

もうおかあさんはいらない。

家には ねえちゃんがいる。

遊びにいくとき、

「六時までに帰っておいで」

というねえちゃんがいる。

六年生のねえちゃんがいる。

 

 

 

 

 

白いカーネーション

 

 

 

 

 

上記の詩篇は児童詩誌『きりん』に掲載されたものです。


児童詩誌『きりん』
敗戦後まもない一九四八(昭和二十三)年二月、井上靖と竹中郁によって大阪の尾崎書房から創刊。五〇年十月号より星芳郎・浮田要三らが運営する日本童詩研究会(竹中郁代表)の発行となる。六〇年からは東京の理論社で続刊する。
通算二二〇号を出し、七一年三月、終刊となる。『きりん』は、「日本で一番美しい詩とお話の本に」との願いで出発し、竹中郁を中心に坂本遼や足立巻一らの詩人が児童詩の選にあたる。戦後の児童詩の中では、鋭い社会批判の目で現実を端的に切りとり、しかもユーモアが溶け込んで明るく、一つの時代を築いた。

 

 

 

 

 

 

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