3月の末に、姉たちに向けて、ラインをして苦情を言った。
ママはデイサービスに行くようになって、少しは楽になったけど、疲労はじわじわと蓄積して、たぶん早いうちに私の方が無理になりそうです。この気詰まりな空気に耐えられない。
週一でデイサービス行って、月一で〇〇姉さんのところに行ったところで、基本的に私の精神的負担は変わらない。
先日、ペースメーカー外来に連れていったけど、考えてみたらもう30回目くらいの通院。
それを当たり前みたいにやってきたのかと思うと悲しくなる。
はっきり言ってどうして自分ばかり、という思いしかない。
施設入所を進めてください。良さげなところを探して、ママを説得してください。
そこまで私に押し付けないで。
●●姉さんが紹介してくれた施設も良いと思うし、それが高すぎるというなら、他を探してみてください。
私はパパの時だっていくつか見学して探したんだから。もう勘弁してください。
老人ホームを探すなら、コーディネーターに頼んだほうがいいと思う。
予算とか内容とかに合わせて色々紹介してくれるから。
もしそういう人が心当たりなければ紹介してもらえます。
うちから離れたら、そこからはキーパーソンを他の方に変わってもらおうと思います。
キーパーソンになると、医療、介護の手配を全て担うことになるので、結構大変です。
要するに、同居するだけという単純な話ではないということです。
私はずっとその役割をしてきたので、疲れ果ててしまいました。後よろしくお願いします。
というわけでようやく姉が動いてくれて、母と話をして、施設の見学まで漕ぎ着けた。
このままでは何も物事が動かないんじゃないかと思えたので、私も少し強い言葉を使った。
実際は、そこまで追い詰められているわけではない。ただ、この状況が続けば、本当に追い詰められてしまうだろう。タイミングとしては良かったと思っている。
最近は、よく山に行っている。家にいたくないからだ。
そういえば、以前、取り憑かれたみたいに山に登っていた時も、本当を言うと、色々向き合いたくないことがあった。
山を歩いていると癒される。嫌なことを考えなくて済むし、心が穏やかになる。
母は少しずつ老いている。1年前とはずいぶん違う。もうそろそろ、私も限界かなと思う。
何よりも、疲れてしまった。それだけだ。誰が悪いとか、何が悪いとか、そういうことよりも、私自身が疲れ果ててしまったんだと思う。
そのことを認めたら、いろいろなことが気にならなくなった。
全部、それを言い訳にしている。
疲れたから…って。だってそれは本当だもの。
病気になる程ストレスを溜める前に、ストレスの源を手放したい。それだけのことだ。
もう十分頑張ったし、これ以上頑張りたくない。
頑張ることは美徳ではない。ただ自分を追い詰めるだけだ。
誰に何と言われようと、母がどんなに悲しもうと、私には何もできないし、これ以上何もしない。
楽しいことしかしたくないし、美味しいものしか食べたくない。
誰かのために自分を犠牲にしたくないし、誰かの人生を生きたくない。
そういう自分を認めたら、もう、迷いもなくなった。
ブログにもあれこれ書いたけど、もう、今は大して書こうと思うことはない。
なるようになって、私は手放す。それだけ。ホッとした。
でも、自分の心の変遷を書いておいて良かったと思う。忘れてしまうから。
もしも、母を引き取らなかったら、私はずっと後悔したんだろうなとも思う。
もっとやってあげれば良かったとか、もっと優しくしてあげれば良かったとか、
でも、多分、私は後悔しない。
自分がこんな気持ちになるまでやったのだから、もう十分だ。
私にはこれ以上やる能力も体力も気力もない。これが精一杯。
犬の介護の時もそう思った。そして私は今も後悔していない。
あれ以上はできなかったと思う。
十数年も認知症の母親の介護をしていた人が、
母親が亡くなったら鬱病になってしまったという話を聞いてとても怖いと思った。
辛い辛いと思いながら我慢を続けるうちに、
介護することがその人の人生になってしまっていたのだろう。
解放されたと思ったら、ポカンと心に穴が空いてしまったのだろう。
そんなふうにだけはなりたくない。
早く逃げ出したい。
「一度は同居したのですが、色々あって介護施設に入ってもらいました」
という話はよく聞くけど、色々っていう中に、ものすごく色々あるんだろうなって思う。
その人にしかわからないようなことが。
一年で音を上げた私だけど、ちゃんと音を上げられた自分を褒めてあげたい。
我慢しなかった自分を、自分を守ることができた自分を、
我慢していることに気づけた自分を褒めてあげたい。
たぶん、我慢できている時は、我慢していることに気づけなかったのだろう。
なぜイライラするんだろうとか、なぜ腹が立つんだろうとか、
なぜ罪悪感を抱くんだろうとか、
でもそれは、我慢していたからだ。自分ではそうと知らずに。
こんなことを書くと、母と私の関係が最悪みたいに思われるかもしれないけど
客観的には、全然そんなことはない。
ただ、ほとんど会話がなく、上辺だけは優しい言葉を掛け合っている。仮面親子みたいに。
母が施設に行くことは、暗黙の了解で、お互い、口には出さない。
そうやって、最後まで仮面を被り続けて、微笑みながらさよならするんだろうなと思う。
まぁ、ずっとずっと、ぞういう親子だったのだから。
そういう親子の形もあるということだ。
山歩きは最高のマインドフルネスだ
