淡々と日々を過ごしている。

母との距離も、適度に保って、お互いに穏やかに暮らしている。

母は施設に入ることがかなり不安なんだろうなとも思う。

進んで行きたいという気持ちではないだろう。

それでも、不思議と、以前よりずっと気持ちがしっかりしていて

おかしなこと(せん妄っぽいことや勘違い)を言うこともなくなったし

本当に96歳でよくここまで明晰でいられるなと驚くほどだ。

デイサービスでも優等生ぶりを発揮して、

他の利用者さんの心配までしている。

 

それでも、やはり一緒に暮らすことは限界だと思う。

認知症の親を介護している人のブログや動画などを見ると

自分だったら絶対無理だと思うし、どうしてここまでしているんだろうと不思議に思う。

もちろん経済的な問題もあると思うが、自分が壊れてしまって、働くこともできなくなって、ストレスで病気になってしまったら、もっともっとお金がかかるではないかと思う。

きっと私がとらわれていたみたいに

「親の介護は子供がすべき」

と思い込んで、その思考から離れられないんだろうなと思う。

 

母の施設入所が決まったら、私自身、後悔とか罪悪感とか感じるかなと思ったけれど

その後、日々暮らしながら、やはり、あと何日で解放される、という期待の方が大きい。

残された時間を、大切に、母との思い出づくりをしようという気持ちにはなれない。

それよりも、自分の時間を大切にしようという気持ちの方がずっと大きい。

そう思うようになってしまったのは、きっと母と暮らした1年ちょっとが

自分にとってあまりにもストレスフルだったからなのだろう。

 

相変わらず、母との関係は全然悪くない。

ただ、ほとんど会話はない。母が話しかけて、私が穏やかに返事をするだけだ。

私から何かを話すことはない。それは多分、子供の頃からそうだから。

相変わらず母は他人の話にはあまり興味がないし、自分のことで精一杯な感じで

それは元の性格に加えて、老いがそうさせているのだろうと思う。

 

それに対して、苛立ちを感じることはもうなくなった。

多分、私自身が、母の老いを受け入れたからなのだと思う。

お年寄りなんだから、仕方ないんだ…って。

だからと言って一々相手をする余裕はないので、静かにスルーしてしまう。

「そうなんだね」というのがいつもの返事。

もうすぐ終わりだから、何とかそこで終えられる。

イライラしたのは。少し期待があったからなのかもしれない。

でも今は全然、期待などしていない。純粋にお年寄りに対する労りの気持ちしかない。

 

デイサービスに行って、リズムができたのか、他人と関わることで緊張感が生まれたのか

母はとても物分かりが良くなり、精神的にも落ち着いているように思う。

あんなに嫌がって抵抗していたことなんて嘘のようだ。(多分忘れてると思う)

そうやって、一つ一つ、時間をかけて、現状を受け入れて来た人なのだろう。

最後は「仕方ない」と思って。全てのことを。

 

そういう母を、最後に理解できたのは良かったかもしれない。

 

最近の母は、以前みたいに、鬱々としていることがなくなった。

日々を楽しんでいるように見える。何しろ表情が違う。

施設に行って、いろいろ不自由するのではないかと心配はなくはないけれど

もうそこは手放して、姉に一任するつもりでいる。

私はもうここまでやって来たから。

 

兄弟姉妹が多いと、親の介護の問題で関係性が悪くなるというのはよく聞くが、

それはもう仕方ないと思う。公平になんかできないんだから。

一番、余裕のある自分が引き受けるのが当たり前と思って引き受けたけれど

結局は私自身に精神的余裕がなくなって、もうお役御免させてもらうというだけのことだ。

父が亡くなってから、16年間も母を近くで見て来たのに、

それはいつか当たり前のことになり、私が「母担当」になってしまったことが

やはり我慢できなかったのだろうと思う。

一人っ子だったら、そんな思いは抱かなかったかもしれない。

 

子供がいるから老後は安心とか、娘がいてよかった、とか

以前はそういう話を普通に受け入れていたけど

子供は親の面倒を見るために生きているわけじゃないし、

娘は気が利く召使ではない。

ケアラーになるために生まれて来たわけじゃない。

 

自分が親に対してそう思うように

我が子にはそういう思いをさせたくない。

 

久しぶりに昔の日記を読んだら、私は離婚した夫の父親の面倒まで見ようとしていた。

あの頃は、誰かの面倒を見ること、誰かのために生きることが正しいことで

自分の生きがいだと思っていた。自己犠牲を美徳だと思い込んでいた。

今思えば、誰かの役に立たないと自分には価値がないという

自己肯定感の低さの裏返しだったんだろうなと思う。

 

最近は、そういう自己犠牲の精神からやっと抜け出すことができたので

自分が何をやりたいかが、明確にわかってきた。

やりたいことには積極的に取り組めるし、

やりたくないことはやりたくないと言えるようになった。

65歳にしてようやく。

 

母との同居は、そういう意味でも私の目を覚させてくれた

実りある時間だったのかもしれない。

 

最近一番楽しかったのは、奥多摩の白丸ダムの魚道見学だった。

 

 
ブログも、誰かに読まれることなんか気にしないで
どこまでもマニアックに、自分の好きなことを書いている。

 

最近、奥多摩が気に入って毎週のように出かけていたのだが

行った翌日に熊による事故があり、ちょっと怖くて行けなくなってしまった。

無駄に長生きはしたくないが、クマに襲われるのも困る。

 

鳩ノ巣渓谷