母との同居を解消して、母が介護施設に入って一月経った。

6月15日に施設に入居し、母はなんと7月1日に今度は反対側の大腿骨を骨折した。

今回も人工骨頭置換手術をした。病院も前回と同じところだ。

 

母が施設入居してから、私は一度も会いに行かなかった。

とてもそんな気分になれなかったからだ。まぁ、いろいろあって。

キーパーソンは私から、長姉に移った。

 

骨折して入院した病院には面会に行った。

さすがに知らんぷりという気持ちにはなれず。

母は孫が来たかと思うくらい、涙を流して歓迎してくれた。

私の方も、まるで最愛の母が大変なことになってる、というくらい優しく母の手を握った。

30分ほどではあったけど、感動の再会というシーンだった。

 

そんなものだ。

距離が離れれば、何事もなかったかのように、全て綺麗事になってしまう。

母は私の手を強く握りながら、骨折した経緯やその後のことを一生懸命話してくれた。

私の方も、母がちょっとわけのわからないことを言ったって、イライラしないで聞くことができるし、以前のとても気が利く優しい娘に戻ることができた。

そんなものだ…と思いながら。

 

久々に会った母は、骨折の直後だったにもかかわらず、血色が良く、表情が明るかった。

うちでやることもなく、首を項垂れていた老人とは別人だった。若返ったかもしれない。

人は、誰かに頼ってしまったら、そこでどんどん老化してしまうのかもしれない。

 

母の置いていった家具は、仏壇も含めて、市の粗大ゴミに出した。

ありがたいことに、横浜市では高齢者や身障者に限り、無料で粗大ゴミを取りに来てくれる。(粗大ゴミの手数料は変わらない)

民間の廃品回収などに頼んだらいくらつくかわからない。

仏壇は数万円払って「魂抜き」をする人もいるらしいが、代々引き継いでいるものでもないし、私は信心深い人間ではないので、1000円の手数料を払って粗大ゴミに出した。

 

母のものを整理するのは結構、精神的にも負担になる作業だった。

例えば、着物一枚、多分何十万もしたのだろうけど、今は相場が1枚百円だそうだ。

家具も同じ。昔の家具は重厚で、品質が良くて、高級なものが多いが、でも需要が無いから誰も買い取ってくれない。東南アジアで売れるっていうけど、まぁ輸送量だけで大変だろう。というわけでお金を出して粗大ゴミとして引き取ってもらうしかない。

たくさんの高価そうな洋服も、みんな「古着deワクチン」に寄付した。数千円払って。

他にはよくわからない置物とか。

 

まぁ、何でもいいのだ、自由になれるなら。

結論として、私は絶対に家族に介護はさせない。家族関係壊れるから。

できれば、介護されるような年齢まで生きたくない。

 

7月3日に、村上春樹の小説が3年ぶりに発売されたとニュースになっていた。

3年ぶり…って、3年前の小説も知らなかった。

母との同居も解消されたことだし、晴れて自由の身になり、ゆっくり本でも読もうかと思い、3年前に出た小説「街とその不確かな壁」を買った。もう文庫になっていた。

本を買うのも久しぶりで、文庫が上・下巻で、一冊900円もしたのには驚いた。

着物9枚分か…。

 

もう読み終えたのだけど、まぁ懐かしい村上ワールド全開だった。

村上春樹の小説は大学の頃流行って、よく読んだ。あの頃は、それがちょっとしたトレンドだった記憶がある。40年以上前の話だ。

その後も結構コンスタントに読んでいて、2018年に、図書館で「騎士団長殺し」を借りて読んだのが最後だったと思う。それももう8年前。

 

「街とその不確かな壁」は、結婚した年に出た「世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド」と同じ舞台設定だったので懐かしかった。「世界の終わりと…」は結構、ハマった小説で、今もハードカバーの本が家にある。当時ピンク色だったカバーは色褪せて肌色になってしまったけど。

相変わらず、最後は何となく置いていかれる感じ(笑)

私の解釈だけど、村上春樹の小説は「絵本」に似ている。言葉は優しくて、読み易いけれど、現実離れしているので、ついて行くのが大変(笑)

ファンタジーのような、メタファーのような、現実と幻想、意識と無意識がないまぜになって、その迷宮を読者は彷徨っているうちに迷子になる。

 

まぁそんな小説を読めるようになったくらい、余裕ができたということだ。

本当に良かった。私にとっても、多分母にとっても。

 

 

霧ヶ峰のニッコウキスゲ

 

八島湿原のコバイケイソウ