『鎌倉殿の13人』が終わってしまった。
一年間、本当に楽しませてもらった。

あんなふうにテレビドラマを楽しみにしたのは何年ぶりだろう?
しかも一度も『中弛み』がないまま、回を追うごとに面白くなっていった。

残酷で悲惨な話なのに、コミカルな場面が挟まれることで

「これはドラマだから…」という安心感がどこかにあって

心を傷めることなく、見ることができたということもあるかもしれない。

その一方で、心から感動できたのは、普遍的な人間の本質が描かれていて

心の琴線に触れるものがあったからなのだろう。

 

義時の死については、以前から、三谷幸喜氏が

「あれだけのことをしたのだから、ただで死ぬわけにはいかない」と話していて

どんなに壮絶な死に様なのだろうと、多くの人が予想したり推理したりしていたが

私は、父の死に際して、それと同じような思いを持っていたことを思い出した。

 

父はもちろん、義時ほどの大物ではないけれど、

戦後の無一文から身を起こして、一財産を築くまでに、

多くの『悪事』をしてきたのは確かだし、何人かの人を窮地に追いやり、絶望させ、

多くの人に恨まれ、憎まれたのも確かだと思う。

昭和という激動の時代を生き延びるために、家族を養うために、

人を裏切ったり欺いたり陥れたりして、必死に人生の荒波を越えてきた人だ。

現代の価値観から考えると、ちょっと考えられないようなことをしてきたのだろう。

同時に、情に厚く、他人の面倒を見たがるようなところもある人だった。

 

三十年ぶりに弟に会い、

ちょっと世捨て人みたいな弟と山に登りながらあれこれ話して

長男だからということで、あの家のために犠牲になった弟の半生を思うと

自分から両親や家を捨ててしまった弟の気持ちがとてもよくわかった。

そして今も、彼が両親を許していない気持ちも伝わってきて

何の責任も負わされず、自由奔放に生きてきた四女の自分には、何も言えなかった。