湯殿山神社(山形県鶴岡市)
湯殿山神社(ゆどのさんじんじゃ)。
山形県鶴岡市、湯殿山山頂に鎮座。
御祭神は大山祇命(オオヤマツミノミコト)、大国主命(オオクニヌシノミコト)、少彦名命(スクナヒコナノミコト)。
社格は明治七年、国幣小社に列格。
出羽三山の奥の宮。
現在は神社庁包括の別表神社。
出羽三山は、第三十二代・崇峻天皇の御子である蜂子皇子が開山した修験の山。
崇峻天皇が蘇我馬子の謀反により暗殺されると、御子である蜂子皇子は都から逃れ、丹後國から海路で北上。
その後、出羽國に入ると、三本脚の霊烏の導きによって羽黒山へと向かう。
そこで難行苦行の末に羽黒権現を感得し、羽黒山を開山。
続いて、月山・湯殿山を開山し、出羽三山という修行の地として人々の強い信仰を集めるようになった。
出羽三山で信仰されてきたのは、修験道という山岳信仰と神道・仏教が混淆されたもの。
神仏混淆の思想であるために、本地垂迹説により御祭神は御仏が仮の姿で現れたものだという思想も広まり、湯殿山の本地仏は大日如来であるとされた。
また、羽黒山は観音菩薩。月山は阿弥陀如来を本地仏とする。
これらの仏さまにはそれぞれ役割があったそうで、それぞれ次のようなものだと言われている。
羽黒山の観音菩薩には現世利益を願い、月山の阿弥陀如来には来世の極楽浄土を乞い、湯殿山の大日如来には功徳を得て再びこの世に生まれることを祈るのだとか。
すなわち、三つの山で死と再生をあらわし、三山で修行することによって生まれ変わるということをあらわすようだ。
さて、そんな修験道の一大拠点として栄えた出羽三山だが、明治時代に入ると神仏分離令で別当寺院を廃し、神社への転換を迫られる。
さらに明治五年になると修験禁止令が発布。
湯殿山神社は明治七年には国幣小社に列せられた。
時代の流れや制度の変遷によって寺社の有りようは大きく変わったものの、出羽の三山は今も変わらぬ雄大な姿のまま人々の信仰を集めている。
さてさてさて。
そんなわけで、出羽三山の奥宮と言われる湯殿山神社にお参りに。
こちらの神社には毎年夏ごろにお参りに来ているのです。
【 鳥居 】
巨大な両部鳥居。
こちらは平成五年に建てられたもの。
朱塗りの色が山々の緑と青い空に映えて綺麗だね。
雪が積もった時もこの朱色は鮮やかに映えそう。ちょっと見てみたいかも。
【 手水舎 】
こちらは上記の大鳥居の手前にある手水舎。
二匹の龍の口から注がれる水は、大きな石に溜められていた。
……というわけで、湯殿山神社の御紹介はここまで。
「あれ?短いじゃん。鳥居しか出してないし」
……なんて思われる方もいらっしゃるかも知れませんが、この湯殿山神社。
『語るなかれ、聞くなかれ』
と昔から言われていて、どのような御神域なのかは語ってはならぬ、と伝えられているのです。
あの『 奥の細道 』で有名な俳人・松尾芭蕉もその旅程の中で、月山に詣で、そこから湯殿山へと参拝したんですが、その時には
『 語られぬ 湯殿に濡らす 袂かな 』
と、その思いを句に残しているのだそうで。
いずれにしても、俗世とは切り離された御神域。
語られぬ山、神秘の息づく場所。
鳥居の先がどうなっているのかは、ぜひ御参拝の上、ご自身の目で見ていただければと思います。
そんなわけで、頂いた御朱印がこちら。
こちらは御神域の中の授与所で頂きました。
初穂料は300円。
御朱印帳見開きいっぱいに大きな朱印を押していただけます。
ちなみに、こちらにはオリジナルの御朱印帳もあります。
出羽三山が描かれている御朱印帳。
初穂料は1000円。
ちなみに、出羽三山ともに同じデザインで統一されているんですが、一か所だけ違うところが。
それが御朱印帳の最初のページ。
このように、御朱印帳を購入した場所の印が押されているんです。
こうやって見ると、月山や羽黒山のがどんな印なのか、ついつい気になっちゃうよね(`・ω・´)
また、鳥居付近の仙人沢参籠所でも御朱印がいただけます。
それがこちら。
こちらも初穂料は300円でした。
この湯殿山神社、雪深い土地なために参拝できる期間が限られています。
例年、だいたい6月上旬から10月下旬が開山期間なんだとか。
参拝の際は、開山期間内かどうか御確認をお忘れなく。
■ 湯殿山神社への地図
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◆ 神社の情報
湯殿山神社 ゆどのさんじんじゃ
御祭神 : 大山祇命、大國主命、少彦名命
社格等 : 国幣小社
鎮座地 : 山形県鶴岡市田麦俣字六十里山7








