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益子神社(福島県伊達郡桑折町)

益子神社(ましこじんじゃ)。



福島県伊達郡桑折町に鎮座。
御祭神は伊邪那岐尊(イザナギノミコト)・伊邪那美命(イザナミノミコト)・羽山祇命(ハヤマツミノミコト)・大山祇命(オオヤマツミノコト)・金山彦命(カナヤマヒコノミコト)。
社格は明治九年、村社に列格。


奈良時代後期、延暦年間の創建。
しかしながら江戸時代・寛文三年(1663年)の大火で古文書等がすべて焼失してしまったため、創建の経緯については明らかではないとのことだが、平安時代以降に乱立・創建(裕福な有力者による寄進や政治的意図による創建など)されたものとは異なり、もともとこの地域の守り神として信仰を集めていた神社であるらしい。


創建の経緯については明らかではないものの、いくつかの説が伝承として残されている。

説①
現在の神社名の益子をひらがなにした「ましこ」には古代日本において「猿」を指す言葉であり、山の神としての『猿』を祀る神社として「ましこじんじゃ」となったという説。

説②
坂上田村麻呂の東征の際に大竹丸を打ち取るため下向した際、当地で大竹丸の仲間の豪族「赤頭太郎」を討ち取った。
しかし村人は赤頭太郎の祟りを恐れて社に祀り、霊を鎮めるために「赤頭大明神」と称したのが始まりだという説。なお、一時期「赤瀬明神」と称された時期もあるのだとか。

説③
茂庭地域に残る「大蛇伝説」で、平将門に仕えた桔梗御前が俵藤太への恨みから大蛇へと姿を変え、茂庭から当地に移る際に茂庭周防・阿部道学に退治され、その祟りを鎮めるために「増子大明神」を祀ったのだという説。

……などなど、いろいろな説が言い伝えとして残されている。


いずれの説もなるほどと思うのですが、現在は「益子神社」なのに「増子大明神」と呼ばれていたり、
「赤頭大明神」と称されていたのが一時期「赤瀬大明神」と変わったり、
「なんでだろ?」と思うことがあったりで興味が尽きません。
②と③に共通するのは祟りを恐れて……ということなんですが、じゃあ現在の御祭神はどの時点で祀られたんだろう……と興味津々です。


ちなみにこちらの神社のある半田山なんですが。
以前は「石見銀山」「生野銀山」と並び称される三大銀山として有名だった「半田銀山」として栄えておりまして。
御祭神に金山彦命が祀られているのは地域の鎮守様であるとともに銀山の守り神として篤い信仰を集めたからなんでしょうね。



【 鳥居 】
堂々とした構えの両部鳥居。
境内にあった欅を使って平成十五年に再建したものだそう。
いやあ、立派ですねえ。


【 手水舎 】
鳥居をくぐって左手にある手水舎。
なんだか風流な造りですごくステキです。


手水舎の奥にそびえ立つ大きな木。
注連縄が巻かれているということは御神木でしょうかね。













【 拝殿 】
震災の影響なのか、補強工事が施されている拝殿。
やっぱり結構ダメージが残っているんでしょうか。気になりますね。
拝殿の建物自体は昭和四十二年に改修工事が行われたとのこと。
御神紋は巴の紋のようです。

ちなみに拝殿に掲げられた「益子神社」の扁額は霊山神社宮司・北畠通城の書によるもの。
霊山神社宮司の息女が半田村の氏子に嫁いだ縁によるんだとか。





拝殿の隣にある建物。
「神輿堂」と書かれているように見えるんですが……
神社なのに「堂」なのが不思議だったり。

ちなみに神輿は重さ八十貫(300キロ)を超える胴太の大型神輿だそうで、近隣でも珍しい物だとのこと。




【 本殿 】
江戸時代・寛政三年(1791年)に再建されたという本殿。
赤瀬明神(赤頭明神)の名の通り、朱の色が鮮やかですねえ。


本殿の真後ろの三つの祠。
大同二年(807年)に半田銀山の鉱脈が発見される前から自然の脅威を恐れるとともに山の恵みを受けた感謝をしていたと考えられ、この祠は神聖な場所として崇めていたものの名残なのではないか、と言われているそう。



さてさてさて。
そんなわけで無事お参りが済みまして、御朱印をお願いに伺います。
拝殿右手の宮司さんのお宅にお声掛けしてお願いしました。



で、頂いた御朱印がこちら。
丁寧な書体で良いですね。

ご由緒を読めば読むほど気になることが出てきて興味津々な益子神社さん。
祟りを鎮める……とかご由緒を見るとちょっとコワイのかな?なんて思ってしまいますが、銀山で有名な半田山も近いのでぜひお参りされてみては如何でしょうか。



◆益子神社への地図





◆神社の情報

益子神社   ましこじんじゃ

御祭神:伊邪那岐尊、伊邪那美命、羽山祇命、大山祇命、金山彦命
社格等:村社
鎮座地:福島県伊達郡桑折町北半田熊野1