愛宕神社(福島県会津若松市)
愛宕神社(あたごじんじゃ)。

福島県会津若松市に鎮座。
御祭神は火産霊命(ホムスビノミコト)、伊邪那美命(イザナミノミコト)、月読命(ツクヨミノミコト)。
天応元年(781年)、門田小田の里・谷地沼に18メートルもの大蛇がいて人々を害していた。
そこへ玉泉という僧が沼のそばに祠を営み、大蛇を退治。
その場所へ愛宕山権現を勧請したとのこと。
僧によって勧請されたことからか、当社は古来より当山派によって管理されてきた。
当山派は修験道の一派で、平安時代から江戸時代まで存続したものの、明治時代の神仏分離令・修験宗廃止令によって真言宗に強制的に統合させられている。
至徳元年(1384年)、当時の領主である葦名直盛が黒川の地へと遷座し、愛宕町とした。
その後、会津に移封された蒲生氏郷により天正十八年(1590年)に現在地へ再遷座。
明治時代に入ると神仏分離令によって仏式の愛宕山権現ではなく、社号を愛宕神社に改称した。


【 鳥居 】
こちらの愛宕神社さん、ご覧の通りながーーーーい石段の参道があります。
こちらの石段は全部で275段あるらしいです。

参拝したこの日は祭礼だったのか、参道のあちこちに国旗が掲げられておりました。


そして何より特徴的なのはこの石段。
幅広く大きな石で階段が作られています。
なぜこんなに大きいのかというと、お城の残石で造られたためらしいです。
そして、歩きやすい所を皆選んで歩くために決まった石がすり減って次第にデコボコになったとの話。

振り返ってみると結構な傾斜。
ここからは手すりがありますが、石段の最初の方は手すりがないので登るのが大変かもしれません。


【 狛犬 】
石段を登りきった先にある狛犬。
目と鼻の大きさが特徴的。


【 手水舎 】
参道右手にある手水舎。
長い石段を登った人のためにか、隣にはベンチがありました。
ちなみに、この手水舎の後ろに見える建物が社務所兼宮司さんのご自宅ですね。

手水舎の近くにあった社号標。
火伏せの神さまだからか、昭和十年に鍛冶職人の方が奉納したもののようです。

【 松平容保公の像 】
そしてこちらは会津藩の実質的な最後の藩主にして京都守護職、松平容保公の像。

手水舎のちょっと先から社殿を見上げた様子。
実はここまでの登りでバテバテです。





【 拝殿 】
こちらの拝殿は江戸時代の享保十五年(1730年)に造られたもの。
江戸時代までは修験道の社であったため、扁額も『愛宕山』と山号になってますね。

【 本殿 】
そしてこちらが御本殿。
実はこちらの本殿の右手後ろのほうには新選組局長・近藤勇のお墓があるとのこと。
ただしお墓といっても遺骨ではなく、遺髪か遺品のいずれかを納めたのではないかと言われている。
愛宕神社の隣は曹洞宗・天寧寺の境内になっているのですが、その間くらいの場所にあります。
……が、この時はそれを知らなかったので神社へお参りだけして帰ってきてしまいました。残念。
さてさてさて。
そんなわけで無事にお参りも済みまして、御朱印をお願いします。
宮司さんへは上記の手水舎付近の場所へ伺ってお願いしました。

そして頂いた御朱印がこちら。
修験道の拠点だったからか、「来山」の文字が印象的です。
登りの石段は体力が無いとキツいですが、近藤勇のお墓もありますしぜひ幕末ファンの方々はお参りされてみてはいかがでしょうか。
そしてその帰り道、石段を下っていると……

……何かが目の前を横切りました。
この獣は一体……?
◆神社への地図
◆神社の情報
愛宕神社 あたごじんじゃ
御祭神 : 火産霊命、伊邪那美命、月読命
社格等 :
鎮座地 : 福島県会津若松市慶山2丁目1−45

福島県会津若松市に鎮座。
御祭神は火産霊命(ホムスビノミコト)、伊邪那美命(イザナミノミコト)、月読命(ツクヨミノミコト)。
天応元年(781年)、門田小田の里・谷地沼に18メートルもの大蛇がいて人々を害していた。
そこへ玉泉という僧が沼のそばに祠を営み、大蛇を退治。
その場所へ愛宕山権現を勧請したとのこと。
僧によって勧請されたことからか、当社は古来より当山派によって管理されてきた。
当山派は修験道の一派で、平安時代から江戸時代まで存続したものの、明治時代の神仏分離令・修験宗廃止令によって真言宗に強制的に統合させられている。
至徳元年(1384年)、当時の領主である葦名直盛が黒川の地へと遷座し、愛宕町とした。
その後、会津に移封された蒲生氏郷により天正十八年(1590年)に現在地へ再遷座。
明治時代に入ると神仏分離令によって仏式の愛宕山権現ではなく、社号を愛宕神社に改称した。


【 鳥居 】
こちらの愛宕神社さん、ご覧の通りながーーーーい石段の参道があります。
こちらの石段は全部で275段あるらしいです。

参拝したこの日は祭礼だったのか、参道のあちこちに国旗が掲げられておりました。


そして何より特徴的なのはこの石段。
幅広く大きな石で階段が作られています。
なぜこんなに大きいのかというと、お城の残石で造られたためらしいです。
そして、歩きやすい所を皆選んで歩くために決まった石がすり減って次第にデコボコになったとの話。

振り返ってみると結構な傾斜。
ここからは手すりがありますが、石段の最初の方は手すりがないので登るのが大変かもしれません。


【 狛犬 】
石段を登りきった先にある狛犬。
目と鼻の大きさが特徴的。


【 手水舎 】
参道右手にある手水舎。
長い石段を登った人のためにか、隣にはベンチがありました。
ちなみに、この手水舎の後ろに見える建物が社務所兼宮司さんのご自宅ですね。

手水舎の近くにあった社号標。
火伏せの神さまだからか、昭和十年に鍛冶職人の方が奉納したもののようです。

【 松平容保公の像 】
そしてこちらは会津藩の実質的な最後の藩主にして京都守護職、松平容保公の像。

手水舎のちょっと先から社殿を見上げた様子。
実はここまでの登りでバテバテです。





【 拝殿 】
こちらの拝殿は江戸時代の享保十五年(1730年)に造られたもの。
江戸時代までは修験道の社であったため、扁額も『愛宕山』と山号になってますね。

【 本殿 】
そしてこちらが御本殿。
実はこちらの本殿の右手後ろのほうには新選組局長・近藤勇のお墓があるとのこと。
ただしお墓といっても遺骨ではなく、遺髪か遺品のいずれかを納めたのではないかと言われている。
愛宕神社の隣は曹洞宗・天寧寺の境内になっているのですが、その間くらいの場所にあります。
……が、この時はそれを知らなかったので神社へお参りだけして帰ってきてしまいました。残念。
さてさてさて。
そんなわけで無事にお参りも済みまして、御朱印をお願いします。
宮司さんへは上記の手水舎付近の場所へ伺ってお願いしました。

そして頂いた御朱印がこちら。
修験道の拠点だったからか、「来山」の文字が印象的です。
登りの石段は体力が無いとキツいですが、近藤勇のお墓もありますしぜひ幕末ファンの方々はお参りされてみてはいかがでしょうか。
そしてその帰り道、石段を下っていると……

……何かが目の前を横切りました。
この獣は一体……?
◆神社への地図
◆神社の情報
愛宕神社 あたごじんじゃ
御祭神 : 火産霊命、伊邪那美命、月読命
社格等 :
鎮座地 : 福島県会津若松市慶山2丁目1−45