陸奥國一之宮・都々古別神社(福島県東白川郡棚倉町八槻)
都々古別神社(つつこわけじんじゃ)。
福島県東白川郡棚倉町八槻に鎮座。
御祭神は味耜高彦根命(アヂスキタカヒコネノミコト)、日本武尊(ヤマトタケルノミコト)。
社格は明治十八年、国幣中社に列格。
延喜式神名帳に『陸奥國白河郡名神大社 都都古和氣神社』と名前の残る延喜式名神大社で、陸奥國一の宮。
同じ棚倉町馬場の都々古和氣神社 、茨城県大子町下野宮の近津神社とともに、近津三社と称される。
社伝によると、日本武尊が八溝山の東夷の大将を討ち果たした際、守護として示現した「天之御中主神 ( アメノミナカヌシノカミ ) 」 ・ 「 高御産巣日神 ( タカミムスヒノカミ ) 」 ・ 「 神産巣日神 ( カミムスビノカミ )」 の三神が、建鉾山 ( 現在の表郷村三森 ) に隠れた時に放った箭 ( 矢 ) の着いたところを 『 箭津幾 ( やつき ) 』
とし、都々古別神社を創建したのがはじまりといわれている。
また、別の話では、日本武尊が八目鳴鏑 ( やつめのなりかぶら ) で夷賊を射ちたおした時、その矢の落ちたところを 『 矢着 ( やつき )』と称し、都々古別神社を創建したとも。
そしてその後、神亀三年 ( 726年 ) には矢着の字を 『 八槻 』と改めたのだとか。
御祭神の味耜高彦根命と日本武尊は古くから農耕神として崇められてきたそうだが、源義家が奥州征伐の際に 『 千勝大明神 (千勝=ちかつ=近津) 』と改称したところから、武神としての性格が加わったとされる。
八槻都々古別神社の別当寺院は大善院で、十五世紀ごろには広範囲に及ぶ熊野参詣先達職を掌握して絶大な勢力を誇り、白川領主・結城氏の代替わりごとに神人等の支配権を安堵されていたのだとか。
十六世紀に入ると、常陸太田城主・佐竹氏の勢力が久慈川沿いに北上。
天正三年(1575年)には白川領全土が佐竹氏の占領下に入ってしまう。
しかし領主が佐竹氏に代わってからも、八槻別当は新領主・佐竹氏から神主職と神領を安堵され、重要視されたのだそうだ。
明治初期の神仏分離令により社内の仏教色と取り払われたものの、それまでは神仏両道の信仰を持つ場所だったため、観音堂・仁王堂・阿弥陀堂などの仏堂などがあったのだとか。
明治以降の近代社格制度の施行では、明治六年に馬場都々古和氣神社 が国幣中社に列格すると、これに強く抗議。
どちらの都々古別神社が陸奥國一の宮かという論議が長い間重ねられたが、明治十八年に両社ともに国幣中社とすることで終息している。
さてさてさて。
そんなわけで手持ちのストックの中では福島県の神社はラストになってしまいました。
また頑張って県内をお参りしなきゃ(`・ω・´)
きっと緊急時ナントカ区域の指定が解けて、南相馬市あたりの神社も活気が戻ってるんじゃないかと思うんだよねえ。
あっち方面にお参りに行きたいもんです。
で、今回ご紹介する八槻都々古別神社。
同じ棚倉町の馬場都々古和氣神社 からは車で10分程度で着いたかなと思います。
ひとつの町の中に2つも国幣中社があるなんてうらやましすぎです。
宇迦神社という県社もあるらしいし、棚倉町は神社好きにはたまらない土地ですねえ。
【 社頭の様子 】
さて、こちらが境内の様子。
神社の周りは高い木々で囲まれていて、遠目にも目立つ森になっている。
そのため、参拝に行く時も比較的見つけやすいのではないでしょうかね。
ちなみに、鳥居の手前向かって左側が駐車場。
【 鳥居 】
石造りの明神鳥居。
注連縄はかけられていたような感じなんですが、お参りした時には無く……
お参りしたこの日は昨年の11月。
同じく昨年の9月にお参りした時には注連縄があったので、その間に何かあったんでしょうかね。
さて、鳥居をくぐって境内へ。
苔が生えて年季を感じる石畳の敷かれた参道を進んでいきます。
参道にこういった街路灯があるのはなんだか珍しく感じてついつい撮影してしまった一枚。
【 参道途中の左右の狛犬 】
先ほどの街路灯のちょっと先にある狛犬。
こちらは古殿八幡神社 、石都々古和氣神社 の狛犬を造った名工・小林和平の師匠である、小松寅吉の作品。
左右で表情がまったく違うというのも面白いねえ。
右側のなんか、バリの魔物みたいなイメージ。ランダだっけ?あれのお面みたいな表情の印象。
【 縁結び 夫婦杉 】
先ほどの狛犬のすぐそば、参道左手にある縁結びの夫婦杉。
小さなお社と賽銭箱があったので、もちろん拝んでおきましたとも!(`・ω・´)
……こういうのを見かけるとほぼ必ずお参りしてるんですが、まだ御縁が結ばれる気配は無く。
御縁を見落としているだけなのか……?
それとも、当分先なのか……(´・ω:;.:...
【 手水舎 】
参道左手にある手水舎。
大きなひとつの石をくりぬいて作られた感じで立派。
柄杓を置くところにさりげなく添えられたモミジの一枝が風流でねえ。
神職の方のもてなしの心を感じました(´∀`)
こちらの神社さんは女性の神職の方が多いようで……こういうのは女性ならではの心遣いなのかもしれません。
【 随神門 】
さて、参道をまっすぐ進んでいったところの随神門。
こういう、ちょっと色褪せてきた感じの朱塗りもおもむきがあって素敵。
秋なので菊花が門の周りに並べられていて彩りを添えておりました。
それより何より、見て下さいよ!この額!
デカい!デカいよ!
万が一、こんなのがドリフ式に倒れてきたら、脳天唐竹割りですよ!
で、こちらがその額。
陸奥國一の宮として有名な都々古別神社ですけど、奥州一の宮を称しているということなんでしょうかね。
奥州は陸奥國の別名なのか、はたまた陸奥・出羽を含むのか……
おいらは詳しくないのでよく分かりません (´・ω・`)
こちらの随神門、装飾もなかなか華やか。
木鼻もそうですが、それぞれの彫刻も繊細で見ごたえ十分。
随神門を通して拝殿を見た様子。
門がある神社では必ずと言っていいほど、この構図で画像を撮ってしまいます。
外と内とを隔てる場所から撮るっていうのが好きなんですねえ。
ちなみにこちらは昨年9月に参拝した時の門。
菊花の鉢が無かったんでこちらの方がよく見えると思うんですが、天皇陛下・皇后陛下から賜った幣饌料の木札が建てられておりました。
【 拝殿 】
旧国幣中社だけあって立派な拝殿。
武神の性格をもっている神様を祀っているものの、なんだかちょっと品の良さを感じさせるような風貌に思うのはおいらだけでしょうかねえ。
こちらにも随神門と同じく、秋らしい菊の花が飾られておりました。
ちなみに、拝殿の屋根には菊の紋が入っているんですが。
賽銭箱には違う紋が入ってるんですよね。
どちらが御神紋なんでしょうか。どっちも御神紋?
拝殿でお参りが済んで、ふと右手を見るとこんな大きなイチョウの木。
日の光を浴びて、葉の色は黄金色というより光り輝くように白く見える部分も。
白秋という言葉はこういうところからきているんでしょうかね。
どうれ、もっと近くで見てみるか!と思って拝殿の右手に回って見ると、
こんな様子に!
すごいよ!あたり一面、金色のじゅうたんだよ!
黄金色の地面に深く沈んだ朱色の社殿が映えて素敵ですねえ。
【 本殿 】
かなり大きな屋根の立派な本殿。
本殿周りの囲いのところだけ、下の部分が石垣になってまして。
まるでお城のような様相。
このあたり、ちょっと武神らしさを感じてしまいますねえ。
【 社務所 】
さて、そんなわけで参拝を済ませて社務所へ。
社務所は鳥居をくぐってすぐ右手にあります。
社務所のうしろにもイチョウの木があって、そっちも立派だったんだ、これが。
ちなみに、昨年9月にお参りした時も、11月にお参りした時も、社務所の中には女性の神職さんしかいらっしゃらなくてですね。
もしかしたら女性だけしかいらっしゃらないんでしょうか。
御朱印を頂くのを待ってる間に撮った画像。
見ていただくと分かるんですが、社殿の右側だけイチョウの落ち葉でびっしり。
同じ神社の境内でも別世界ですねえ(´∀`)
(通常の御朱印帳)
で、いただいた御朱印がこちら。
女性の神職さんが書かれたためか、なんだか墨書も女性的で優しい印象の字。
(全国一の宮御朱印帳)
さて、こちらは陸奥國一の宮ということで、全国一の宮御朱印帳にも御朱印をいただきます。
もうひとつおまけに、この前に参拝した時の御朱印。
こちらは堂々とした書体で、また別な魅力がありますね(`・ω・´)
そんなわけで、陸奥國一の宮の三社の御紹介が終わったところで、福島県内の神社の御朱印のストックが終了。
今後は福島県内の神社を参拝してある程度ストックが出来るまでの間、他の県の神社をランダムに更新していこうかなーと思ってます(´∀`)
……あ。
陸奥國一の宮の三社はいずれも秋の景色が素敵な神社なので、これからの季節お勧めですよ(`・ω・´)
車でなら三社だけのお参りなら二時間くらいで行けるのではないかと。
秋の行楽に、ぜひどうぞ。
■ 都々古別神社(八槻) への地図
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◆ 神社の情報
都々古別神社 つつこわけじんじゃ
御祭神 : 味耜高彦根命、日本武尊
社格等 : 陸奥國一の宮、延喜式内名神大社、国幣中社、別表神社
鎮座地 : 福島県東白川郡棚倉町八槻字大宮224


























