将棋界には名人戦と並ぶ最高格付のタイトルとして、竜王戦というのがあります。今のタイトル保持者は全8タイトルを制覇して一般にも有名な藤井聡太さんで、現在はその挑戦者を決める予選のような段階にあります。


私見になりますが、今の将棋界は藤井さんが頭一つ抜けた絶対王者で、勝敗は別にしても、藤井さんと同じレベルで戦うことができるのは数人しかいないように思えます。その「数人」には、昨年最後に残ったタイトルである王座を巡って藤井さんと壮絶な戦いをした永瀬拓矢九段とともに、昨年の竜王戦を含めてこの1年間で3度も藤井さんにタイトル戦で挑戦している伊藤匠七段が入っていることについては、おそらく異論のないところだと思います。


伊藤七段は藤井さんと同学年で、小学生時代の大会で藤井少年に勝ち、その時に藤井さんが大勢の観客の前で大泣きしたエピソードは、今でも多くの将棋ファンが記憶しているところです。プロ入りしてからの公式戦でのこの2人の対戦では伊藤七段の11戦全敗なのですが、伊藤七段は藤井さん以外にはほとんど負けておらず、非公式な棋士の実力ランキングとも言える「レーティング」でも、藤井さんに次ぐ2位、あるいは永瀬九段に次ぐ3位に評価されていることが多いようです。


そんな伊藤七段は、今年も竜王戦の挑戦者の最有力候補と目されていたのですが、先週その予選で佐藤康光九段に敗れました(ただし、伊藤七段にはまだ挑戦者になるチャンスは残っています)。


佐藤九段は1969年生まれの54歳。つい最近まで将棋連盟の会長をしていて、その激務の傍ら現役棋士としてもトップクラスの成績を維持していた、いわば「レジェンド」です。もちろん、将棋界の「レジェンド」と言えば、羽生善治永世七冠(1970年生まれ、現在の将棋連盟会長、19世名人)ということになるのですが、この世代は「羽生世代」と言われていて実力者が多く、特にこの佐藤九段と森内俊之九段(1970年生まれ、18世名人)は羽生さんがいなければ一時代を築けたのではないかと言われるほどの名棋士です。


将棋は基本的には頭脳の勝負だし、経験が生きる側面があるとはいえ、一局が終わると3キロ痩せると言われる体力勝負でもあり、最新情報を取り入れた日々の勉強、また最近ではAIを駆使して研究することが必須とも言われています。50代になると記憶力、理解力が格段に衰えることは凡人の自分の経験からも明らかですし、AIを使った研究のような新しいものを取り入れることがだんだん億劫になってくることも否定し難い事実です。レジェンドとは言え50代半ばの佐藤九段が、21歳、日の出の勢いで活躍している伊藤七段とまともに勝負するのは難しいだろうと思っていました。


ところが、結果は正々堂々と戦っての快勝。天衣無縫と言われる佐藤九段の棋風どおりの、素人が見ていても気持ちの良い勝ちっぷりでした。


50代後半以降、何かにつけて老いに伴う衰えを言い訳にしてきた私にとっては、自分を恥じるとともに、まさに勇気をいただいた一局でした。


米国出張から帰ると、いよいよ今年の短答試験まで、そして38年勤めた会社の退職まで、あと3ヶ月を残すのみとなります。勉強にも仕事にも悔いの残らぬよう、加齢による気力、体力、能力の衰えを言い訳にせず、全力を尽くして頑張らなければ、と思わされました。