最近の事件の判決で感じたこと
1)自分の交際相手の女性の5歳の男の子が、元の夫に似ていることに嫉妬して、硫酸の入った目薬で男の子を失明させた事件の裁判で、懲役8年の求刑に対して裁判官は、事件は極めて悪質だが被告が反省している、と懲役5年を言い渡した。被告が反省しようがいまいが、そもそも本当に反省してるなんてどうしてわかるのか?事件が極めて悪質、と判断したならせめて求刑通りの懲役を科さないのか?もし私が裁判官なら無期懲役に加え、被害者に被告の角膜を提供させる。正に目には目を、だがそれが正義だと思います。
2)やはり交際相手の女性の連れ子に対して長期間の虐待を繰り返し、ついに殺してしまった事件。子供は平均体重の半分しかなく、食事もほとんど与えられなかったと思われる。この事件の求刑は懲役10年。これに対して裁判官はやはり、極めて悪質な犯行で許されない、と述べながら懲役7年を言い渡した。
この二つの判決から考えると、裁判官に国民が求めている正義の味方、と大きくかい離しているように思える。検察の求刑に対してその6掛けか7掛けで手を打とう、それで弁護士の顔もたつ、、、というような暗黙の了解があるような気がしてならないのです。
そもそも何の罪もない子供が虐待され殺されても、ほとんどの事例が殺人罪でなく傷害致死罪で裁判がおこなわれること自体、私には理解できません。