こんにちは(^^)
IRM認定インストラクターの
奥山リエ子です。
一昨日5日日曜日は
IRMアカデミーでした。
台風が近づく中にもかかわらず
名古屋からもお2人も参加者が。
ありがとうございます!
毎月アカデミーでは、
その月のお誕生日のお祝いを
しているのですが、
この10月は開発者の幸田先生の
お誕生日ということで、
いつもよりさらにみんなで盛り上げて
みんなでお祝いしました^^
とても賑やかで楽しい会になりました♪♪
はじめて参加された方にも、
とても楽しんでいただけてよかったです。
今日は、
アカデミーで私がお話しした内容を
書こうと思います。
私が少し前に考えていたことです。
最初に、あなたに質問です。
「あなたの一番大切なものは何ですか?」
失いたくないもの。
ものでも、人でも、
形のないものでもいいです。
何でこんなことを聞くかと言うと、
「絶対的な安心と幸せ」
について考えていたからです。
このブログでもよく書きますが、
「絶対」の反対は「相対」。
相対的な安心や幸せというと、
この人がいるから幸せ。
いないと不幸。
これがあると安心。
ないと不安。
自分の幸せや安心が
自分以外のものに左右されてしまう
ということです。
それに対して
絶対的な安心や幸せというと、
誰に何を言われようと、何がなくても、
自分が安心で幸せでいられるという心境。
(注)
この人がいて幸せ!ならいいけれど、
「いないと不幸」だと、
苦しむことになってしまうますよね。
人生がうまくいかないと感じる元には、
安心感・幸福感を自分以外のものに
求めていることが多い・・・ということから、
IRMでは、絶対的な安心感や幸福感を
目指しています。
それで、私には子どもが2人いますが、
例えば死んでしまったりして
今いなくなったら
絶対に安心でも幸福でも
ないと思うんです。
でも絶対的な安心や幸せって、
例え親でも子どもでも、
いるから幸せじゃなくて、
いなくても幸せいることが
できるということ。
それってどうなんだろう・・・
そういうことを考えていて
思ったのが、
子どもって、生まれる前は
いなくて(当たり前ですが)
いない結婚生活は
幸せじゃないのかと言ったら
そんなことはないわけです。
(実際結婚して5年は子どもがいませんでしたし)
例え結婚していなかったとしても
幸せでいられると思います。
と考えると、
いないことではなくて、
「あったものが無くなった」
という部分が
不幸に感じる元なんだと思ったら、
きっとどんな時でも
絶対的な安心や幸せを
得られるんじゃないか?
という
可能性というか
光みたいなものが見えました。
あったのが無くなったの
ひとつ前には、
もともとなかったけど、
あって(手に入れて)、
無くなった。
元に戻ったともいえますよね。
これは考えてみると何でもそうで、
命でも、ものでも全て、
もともとなくて、
手に入れて、それも必ずなくなる。
だから、
今あるものに対しての価値が大きくなって、
4才の長女がお花が好きで、
お花が売っているのを見かけると
一緒に買うことが多いです。
こないだ花瓶に入っている
お花をみていて、
「何でお花は枯れちゃうの?」
という話になりました。
その話の流れで、
枯れちゃうから、
長くキレイに楽しめるように、
大切に手をかけて世話をするんだよっ
て話していたんですね。
1年前の七五三に
地元のお寺で祝祷してもらったときに
きいたお話で、
とても心に残っていることがあります。
たくさんいいお話をされていたのですが、
「人は死ぬのをわかっていて生まれてくる」
その一言に強く惹き付けられました。
IRMでも魂の存在を考えているので、
知ってはいることでしたが、
この言葉がとても私に
フィットしたんです。
「人は死ぬのをわかっていて生まれてくる」
そして
「そこに人生の喜びがある」
これを意識したとき、
命の価値が高まり、
使い方の意識が変わりました。
「人は死ぬのをわかっていて生まれてくる」
だから、
今生きている間に
どれだけのことをできるか、
どれだけ楽しめるか
どれだけ成長できるか、
どれだけ絶対安心・絶対幸福を
感じられるか。
なくなることがわかっていると、
あるものに対しての価値が変わってくる
と思ったんです。
「私は死ぬのをわかっていて、
わざわざ生まれてきたんだ。」
「そこに人生の喜びがある。」
ということを
ぜひあなたにも意識して
過ごしてみてほしいと思い、
シェアしました^^
この意識で過ごすことが、
絶対安心・絶対幸福を感じるためにも
とても大切ではないかと思っています。
最後までお読みいただきまして
ありがとうございました♪
今日も大切に一日をお過ごしください。
IRM認定インストラクター
奥山リエ子