■体験のタネは必ず自分が持っている | 感情は魂からのメッセージ

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感情のコントロールとなりたい自分への最短メソッド【IRM感情科学プログラム】

おはようございます!
エキスパートガイドの奥山リエ子です♪

だいたいこのブログは早朝娘が寝ているときに書いているのですが、
今日は途中で娘が起きて寝かしつけているとき、娘をみながら、
本当に生命って、命ってすごいな~と思いました。
子どもがいてもいなくても、自分が母親のお腹で育って生まれてきて
今こうしていること、不思議ですよね!?不思議じゃないですか??

変な問いかけから始まってしまいました・・・
きっと誰もが感じたことがあると思いますが、何度感動してもいいものです・・・・



さて、
年上の人は敬いましょう。
よく言われることです。

でも、ただ年が上なだけで、尊敬するっていうのが納得できない。
長く生きていればいいわけじゃない。
私はそんな気持ちがあって、素直に年上だからという敬い方をしていませんでした。
だから部活などの上下関係も本当に嫌でした。
(というか、それを体験しないようにしてきました)

そのことについて今日は書きたいと思います。


私が自己観察していたことなので、私にとっての答えです。

同じような問題を抱えていても、

ひとりひとり、浄化の感性というのは違うと思います。

正しい正しくないは置いておいて読んでいただけてら嬉しいです。



ただ長く生きているだけで上下ができるのが嫌なのかな?など考えていて・・・
上下というもの何?という感じですが。

自分が長女で、偉そうにしていたということが一つあると思いました。
母は小さいころから、お姉ちゃんなんだから…と言って
弟や妹に対して、‘お姉ちゃんを敬うように、えらいのよ’
という感じで言っていました。
他のことはほとんど覚えていないのに、それを覚えているということは、
かなり印象的なことだったのだと思います。

それでか、凄く威張っていました(笑)
なんでも私の言うことを聞くべきだというように。

でも、私が別に妹弟の世話もしていない、
何も威張れるようなことはしていないということはわかっていました。
(記憶に残っているのはしていない自分で、もしかしたら
もっと小さいころはしていたのかもしれないけれども)

そんな、お姉ちゃんなんだから・・・など言われて、
別に何も違わないし何もしていないのにと違和感がありました。
年齢なんて関係ない
ただ数年早く生まれただけ。
と結構頑固に思っていた気がします。

私は妹や弟に対して、別に何もしていないのに、えらいなんて思えない。
母からお姉ちゃんは偉いのよ…なんて言われて
そうできていない自分を責めていたのでした。
だから他人に対しても自分自身を観るのと同じような観方をしてしまっていたのですね。
年齢だけで敬わないといけないという違和感のタネはここにありました。
今体験していることのタネは必ずどこかにあるのですね。


気づいたのは、生きてきた年数は関係ないのだと思っているけど、
それって、「生きる」ということの価値を認めていないということではないかということ。

一日生きる。一カ月生きる。一年生きる。
当たり前には生きられない。
それができたのは凄いこと。
毎日毎日いろいろな経験をして成長する。

年が上だからって何?という、
そういう年齢は関係ない部分は確かにあると思うのですが
生きることに対しての価値をうけとっていないということは、
新たな発見でした。


そして私は妹や弟に対して、別に何もしていないのに、えらいなんて思えない。
だったけど、でも、かなり我慢はしてきたことはわかります。
妹や弟のため、あとは母のためだろうけど、
どんどん、弟、妹、弟・・・と生まれてきて、
いっぱい我慢してきたんだ・・・。その気持ちを感じたら涙が出てきました。
何もしていなくはないと思いました。

私は小さいころ、我慢することを学べたんだなと、受け入れることができました。

例えば、弟妹からみたら、何もしないのに威張っている姉でも、
弟妹、母のために我慢していたという視点からみたら、
その点は何もしていなくはない。

同じように、私たちが今生きていることの背景には、
過去これまでのいろんな人たちの恩恵を受けているわけです。
快適に暮らせるシステムがあって、お金を出せば必要なものが手に入って、
いろんな交通手段を使って地球の裏側にだって行けたりもできる。
それは例えば研究者だったり、政治家だったり、
そういう大きなことをしてくれた方はもちろんですが、それだけではなくて、
過去の全ての人が今の私の存在、生活に、
何らかの形でかかわっているのではないか・・・
と思いました。

今自分が生きているのは、たくさんの人の、
今までかけてきた命とエネルギーの結晶を、
タダ(じゃないのもあるけど)で分けてもらっている。
だから、一見ただ早く生まれただけ・・・でも、尊敬できる部分というのは
いくらでも探せば出てくるんだということ。



多分私は、年下年上関わらず、尊敬しなくていい理由を探していたのかもしれません。

人を敬うことが、自分を貶めることになる・・・・

とセットにいつの間にかなっていたようですが、全然そうではないですね。

人を尊敬することで、自分が本当に豊かになることがわかりました。

尊敬する人も、自分の鏡です。

尊敬できる人がたくさんいる豊かな世界に生きたほうが幸せだと私は思うんです。

自分がどんな世界に生きていたいか?どんな鏡を周りに置きたいか?

与えたものが返ってくるのだから、
それにはどういうエネルギーを与えたらいいのかな?
そう考えることが本当に大事だと思います。

毎日毎日、周りの人の尊敬や感謝できるところを探して、

生かされていることに感謝して、命を大切にしていきたいと、改めて思いました。


最後までお読みいただきましてありがとうございました。


奥山リエ子