こんにちは!
IRMエキスパートガイドの奥山リエ子です♪
明日から木曽の御嶽山へ幸田先生とIRMエキスパートガイドの仲間と行ってきます^^
毎年この季節は富士登山だったのですが、今年は御嶽山。
とても楽しみです~^^
ご来光見てきます♪
今日は「気づきが起こらなくて苦しいとき」 の続きを書きたいと思います。
「気づきとは、能動的なものであり、積極的な心構えによるもの。」
私たちは24時間365日幸せになる情報をもらっている。
そのことに気づくために自己観察をする。
その自己観察する時の気づこうという意識・心構え・姿勢
というエネルギーがそのまま気づきとして返ってくる。
何となく気づくのではなくて、気づこうという意識が返ってきたのが気づき。
・・・ということを以前には書きました。
一昨年のIRMアカデミーでのテーマでした。
私は、
「気づきは勝手にやってくるもの」
という感じで、自分の意志ではないように思っていたので、
気づきが得られない。自己観察がうまくいかないことに対して
(自分以外の何かに)文句を言っていたのでした。
同じように、感謝するということについて考えてました。
感謝するのはいいこと。
感謝というエネルギーを与えると、また感謝したくなるようなことが起こる、
人から感謝される。
なんてよく聞きます。
でも私自身は、感謝が足りないな・・・とずっと思っていました。
すぐになんでも当たり前と思ってしまう傾向があります。
これも、
「感謝は勝手に起こるもの。」
「何かしてもらって感謝するもの」
という思いがあったことに気づきました。
IRMでは、「自己観察」ともう一つ、「創造的自己観察」ということをします。
当たり前と思うところ、プラスもマイナスもないところから、感謝感動親切を見つける。
(または、感謝感動親切したことを大きくする)
感謝できることに、気づこうとする・・・ということです。
創造的自己観察をしていくと、
ありがたいものに囲まれているんだな~貴いものばかりなんだな~
という実感が出てきます。
そう感じられるようになってくると自分が貴いと感じられるようになってきます。
「気づき」の言霊を知っていますか?
「貴付き」
ということです。
気づくことで、貴い(尊いも一緒だそうです)ものが付いてくるということ。
これを聞いて、
自分ははダメだな、自分なんて・・・という自己否定感(奥山もよくあるのです)というのは、
そうなる理由はいろいろとあると思います。
育った環境とか、そう思ってしまうもっともな理由があるはずです。
でも、
自分の尊さに気づいていない。
それはつまり、「気づこうとしていない」というところからくるのだとわかりました。
本質は絶対安心・絶対幸福、その部分は天命であり、
天職へと繋がる部分でもあります。
それに気づくため、自己観察、創造的自己観察をするのですね。
その時の気づこうという意識が、とても大切ということ。
勝手に気づくとか気づかされるではなく、
その意識、積極性が、自分が全てを創造しているという自覚と比例しているのかなと思いました。
最後までお読みいただきまして、ありがとうございました。
今日も暑いですね、どうぞご自愛ください^^
素晴らしい一日を♪
奥山リエ子