同志社大学神学部を卒業後、外務省に入省、その後鈴木宗男の収賄事件がらみで背任罪で逮捕された「知の巨人」こと佐藤優氏によるキリスト教神学の入門書である。
以前書いたことがあるが、佐藤氏の本の中で唯一面白いのはこの神学に関する文献である。
反面、外務省時代における経験談は眉唾ものなので面白味に欠ける。
まあ、佐藤さんは同志社神学部の大学院を卒業後、外務省に行かずに神学者の道を辿れば良かったのだが、彼が(まず間違いなく)無実の罪で執行猶予付きの判決を外務省のおかげで受けたため、却ってクローズアップされたため、彼の神学の素養も副次的効果として脚光を浴びたので、その点外務省には感謝(?)しなければならない。
さて、キリスト教神学の内容だが、やはり難しい。
神学と言う分野は、哲学の発達とともに変遷を遂げており、また真理の探究と言う点で、数学の分野(特に論理学、証明法)にも多大な影響を与えている点でその相乗効果は大きく、神学書は広い意味での実務書とも言える。
すなわち、キリスト教とは無縁ではあっても、神学の文献にあたることは、同時に哲学や数学の勉強にもなるので有用とも言えようか。
さて、数ある神学者の中で、佐藤さんが推薦する神学者が二人いる。
一人はナチスに抵抗したスイスの神学者カールバルト。
もう一人は、プラハの春弾圧後もチェコに残り、「人間の顔をした社会主義」を擁護した(つまりはソ連に抵抗した)フロマートカというチェコの神学者である。
バルトは日本でも知られているが、フローマトカはあまり知られていない。
いずれにせよ、二人の神学者は強大な権力に屈しなかった神学者だったが、思うに、宗教とは、政治権力を持つべきではないし、同時に政治権力に迎合してはならないものだと考える。
神学など、キリスト教徒でさえあまり係ることはないだろう。
一般的な学問分野ではないが、人生や社会を考えるうえで、意義深い示唆を与えてくれることには相違ないようだ。


神学の思考/佐藤優

¥2,484
Amazon.co.jp

佐藤優氏の本は大きく別けて四つある。
一つは外務省時代に培ったインテリジェンス(情報分析)に関するもの、及び外務省時代の経験談。
一つは国際情勢に関するもの。
一つはマルクスに関するもの。
そして最後は神学に関する文献である。
最後の神学に関する文献は、彼が同志社大学神学部在籍時において勉強した経験がベースとなる。
本書は、佐藤氏の同志社大学における経験を書いたものである。
この本を読んでいくと、同志社大学神学部は「哲学部」と言っていいほど、狭義の神学から離れた幅広い哲学教育を行っていることがよくわかる。
思うに、佐藤氏の著作は、この神学・哲学関係以外の分野の著作についてはあまり面白味はない。
特に外務省時代の経験談は、いかに外務省と言う官庁が腐敗しているのか暴露しているだけの内容なので、それほどの魅力は感じられない。
神学と言う分野は一般大学では教えない哲学分野なので、佐藤氏の書籍を通して学ぶことは価値あるものと言えるのかもしれない。
本書は神学を勉強するための入門書と言えようか。




同志社大学神学部 私はいかに学び、考え、議論したか (光文社新書)/佐藤 優

¥994
Amazon.co.jp

第二次世界大戦前に、何故にドイツ国民は進んでナチス・ヒトラーに服従し、ユダヤ人虐殺、そして無謀な戦争に突入していったのか?

これは、ドイツ人が愚か者だったという訳ではない。


思えば、人間と言うのは、「個人」が確立していない場合、進んで「全体」に従属する道を選択する心理的傾向にある。


ナチスが台頭する際、個人の確立を前提とする自由民主主義が発達していなかったドイツ人は、「個人」の確立がなかったが故に、「全体主義」を主張するナチスに共感し、その棟梁たるヒトラーに進んで服従していったのである。

これが冒頭の問いかけに対する本書の回答である。

本書の著者、エーリッツヒ・フロムは、戦後ドイツを代表する心理学者であり、戦時中はナチスにドイツを追われ、アメリカに亡命していた。

ナチスに対する分析の書は数多くあるが、殆んどの書は、ナチズムをある種の「集団発狂」として捉えており、歴史上特異な現象であるとして片づけてしまっている。

だが、エーリッヒ・フロムの上記の指摘は、人間が陥るありふれた心理現象であり、条件が合えば、人間は進んで「自由からの逃走」を選択すると彼は説く。

このエーリッヒ・フロムの指摘は正しいだろう。

「自由からの逃走」の例は今でも見られるからである。

90年代に日本において台頭したオウム真理教、そして現在シリア・イラクの一部を支配するIS(イスラム国)もまた「自由からの逃走」の代表的な例と言えようか。


人間と言うのは、「個人」が確立していない場合、進んで「全体」に従属する道を選択する心理的傾向にある。


エーリッヒ・フロムのこの指摘、悲しいかな、人間の性(さが)なのかもしれない。


自由からの逃走 新版/エーリッヒ・フロム

¥1,836
Amazon.co.jp

戦前、ドイツにおいてはナチズムを、日本においては軍国主義を理論的にサポートした哲学者が二人いた。

ドイツのマルティン・ハイデガーは当初ナチスを支持したが、後にユダヤ人を擁護したために、ヒトラーにより学界から追放された経歴を持つ。

彼の著作、「存在と時間」は実存主義哲学のバイブルであり、今を生きる人間の存在とその終焉である人間の死までをいかに意義ある時間として生きるべきかについて説いている。

要はナチズムとは全く関係ない。

反面、日本の田辺元という哲学者は現在殆ど知られていない。

本書によれば、彼は陸軍統制派に軍国主義の正統性の理論を指南したと説くが、彼の著作である「哲学通論」はとっくの昔に絶版になっており、現状、私も読んではいない。

だが、「哲学通論」が戦中陸軍を批判した学徒兵から支持を受けていた点を考慮すれば、この本もまた「存在と時間」同様に軍国主義の理論的支柱となった書とは考えにくい。

本書において、著者は、ハイデガーも田辺元も戦後封印された哲学者だと説くが、それは言いすぎであり、少なくともハイデガーの「存在と時間」は上述の通り実存主義哲学のバイブルとなり、ハイデガーは20世紀最大の哲学者として評価されている。

では、田辺元の方はどうか?

彼は単に忘れ去られているに過ぎないと私は思う。

思えば、日本哲学界の代表格である西田幾多郎の著作だって、今の日本では忘れ去られつつある。

要は哲学教育が大学においてすら義務化されていない我が国にとって、洋の東西を問わず、哲学者や哲学書は本気で語れることはないのである。

田辺元とハイデガー。

封印された哲学者ではなく、哲学教育が徹底されていない今の日本においては、単に知られていない存在なのである。


田辺元とハイデガー: 封印された哲学 (PHP新書 884)/合田正人

¥842
Amazon.co.jp

「マキャベリズム」という言葉がある。

権謀術策の士という意味で使われるらしい。

語源は「君主論」の著者であるマキャベリから来ているが、マキャベリが「君主論」やその他の著作で説く理論はあまり権謀術策を感じさせないものばかりである。

マキャベリよりも謀略の書として名高いのがこの「韓非子」である。

「韓非子」は法による統治を説く法家思想に基づいている。

ここまで書くと、現代民主主義の礎となる法の支配と似ているように聞こえる。

だが、実相は全く異なる。

「韓非子」が説く法家思想とは、法を道具として人民を厳格に統治し、場合により法を謀略の道具としても使えと説く。

法の悪用という点で、「韓非子」の方がマキャベリの著作よりえげつないと言えようか。

だが、この「韓非子」の登場もやむを得ない部分がある。

「韓非子」が書かれたのは古代中国の戦国時代末期。

動乱の時代を生き抜くためには、このような権謀術策の書も必要だったと言えるのかもしれない。

だが、えげつない「韓非子」も、実は古代中国最初の倫理書を尊敬すべきと説いている。

その書とは「老子」。

「老子」は「孫子」にも影響を与えている。

「韓非子」も「孫子」も徹底した現実主義の書だが、そんなリアリズムの書が実は真逆の倫理哲学の代表作である「老子」を尊重している点は興味深い。

本書は「韓非子」の入門編だが、入門編を読まれたら、是非「韓非子」全作と「老子」の併読をお勧めしたい。


韓非子 (角川ソフィア文庫―ビギナーズ・クラシックス 中国の古典)/西川 靖二

¥679
Amazon.co.jp