大学の法学部での授業にて、仕事に何ら役立ちもせず、飯の種にもならない授業がある。
その授業とは法哲学。
そもそも、哲学は最も広範な分野をカバーする割には、実学ではない宿命(?)からか、日本の大学の授業においては、文学部哲学科を除き必須の科目ではないケースが多い。(但し、欧米の大学では哲学は必須科目である)
法学部においても御多分に漏れず、法哲学は必須科目ではない。
思えば、法学とは法律と言う社会技術(特に解釈技術)のテクニックを教えることが主流の学問であり、経営学同様に社会科学の分野では最も実学に近い学問であると言えるのかもしれない。
と言うことで、法哲学は実学志向の法学の中では浮いた存在である。
しかしながら、直接仕事に役立たず、飯の種にもならない法哲学だが、「法とは何か?」と言う根本的な問題を考えるこの学問を勉強するのとしないのでは、その他の法学分野の理解度に差が出てくるのも事実であり、技術偏重の法学教育のベースとして本来は法哲学は置かれるべきなのである。
話が長くなった。
本書はそんな法哲学の代表作である。
法とは何か?法と道徳、慣行との関係はどうあるべきなのか等について問題提起をする本書を読むことは、法と社会を考察するうえで必要不可欠な「報酬」を与えてくれる。
ちなみに、著者のH.L.A.ハートはイギリスの法哲学者だが、もともとは法廷弁護士であり、第二次世界大戦中はイギリスの諜報機関MI5で働いた経験を持つ。
言わば哲学とは無縁なキャリアを持つ男が、後に法哲学の代表作である本書を世に問うことになる。
こんな著者の経歴を見ると、実は哲学が最も実用性の高い学問だと言えるのかもしれない。
法の概念 第3版 (ちくま学芸文庫)/H.L.A. ハート
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現代の英米系の哲学は倫理学が主流である。

もっとも、ドイツ哲学の重鎮であるエマニュエル・カントもまた、倫理の問題について真正面から取り組んだ。

カント以前のギリシャ哲学においても、倫理の問題は主要な哲学の課題であった。

言わば、西洋哲学において、今も昔も倫理学は主要なトピックだと言って良い。

ところで、本書の著者フィリッパ・フットは、現代倫理学上最も有名かつ重い質問を世に投げかけた哲学者である。

「暴走する路面電車」と名付けられたこの質問は以下のものである。


「暴走する路面電車を運転士と作業員6人が止めようとしている。作業員が、線路を外して電車を止めようとするものの上手く行かない。そうこうしているうちに、5人の作業員が作業している場所に電車が突入しようとしている。5人の作業員を助けるべく運転士は止む無く電車を右側の待避線に入れようとするがさせようとするが、右側にはもう一人の作業員がいた・・・。
一人を犠牲にして5人を助けるか、それとも5人をそのままひき殺して一人を助けるか・・・」


この質問に答えはない。

敢えて優等生的な答えを引き出すとすれば、「一人を犠牲にして五人助けることも、五人を犠牲にして一人を助けることもいずれも「善」ではない、別言すれば、いずれも「悪」であると言えるだろうか。

だが、このような答えだけでは、倫理学の本質には迫っていない。

すなわち、倫理学の主要な目的は、「善」の本質とは何か、そして「悪」はなぜ悪いのかについて、とことん突き詰めて考えることにある。

思えば、哲学の分野において、倫理学が最も難しい分野なのかもしれない。

日頃、簡単に規定してしまっている「善」や「悪」をの本質を考え抜くのだから、その思考作業は難解極まる作業である。

本書はそんな倫理学の入門書だが、入門書の割には難しい。

かと言って、読んで損はない。

人間、日ごろから善悪の本質について考えることはない。
だからこそ、本書のような書は読む価値のある書と言えよう。

人間にとって善とは何か: 徳倫理学入門 (単行本)/フィリッパ フット

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本書の監修者であるジャック・アタリ氏はサルコジ・オランド両フランスの大統領顧問を務める経済学者である。
だが、彼のカバー範囲は経済学のそれを超えている。
経済問題のみならず、政治問題、科学、音楽、演劇、芸術、宗教そして恋愛問題に至るまで、アタリ氏の「知」の領域は非常に広い。
本書は、「知」の領域が広いアタリ氏と、フランス知識人による23の事象に関する「意味」について書かれた書である。
「意味」(Sens)というと、「意味論」(Semantic)的な印象を受け、内容が抽象的なのかと思ったが、読んでみると、なかなか具体的な議論がなされており、興味深い。
たとえば、第15章において、音楽について本書は触れているが、この章において、ジャック・アタリ氏は音楽の将来像について詳細に分析している。
また、第13章における科学に関する考察の中で、人類が遺伝子操作により、人格形成の変化まで狙っている点について触れ、科学倫理・哲学の重要性について触れているところも参考になる。
また、第10章において、本書は「法の未来」について語っているが、その中で、判例重視の英米法がますますGlobal Standard化していくことの功罪について的確に指摘している。
この本、冒頭で述べたように、科学から芸術、音楽に至るまで、カバー範囲は広い。
その広いカバー範囲の中で目の前に起きている様々な事象について、アタリ氏始め、各界の知識人達は的を得た「意味」探り当てている。
現代ヨーロッパの知性に触れるためにも、本書は一読の価値は高い。

いま、目の前で起きていることの意味について――行動する33の知性/ジャック・アタリ

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スペインの哲学者オルテガの代表作。

所謂、「衆愚政治」を批判した書として哲学、政治学の分野で広く読まれている。

「大衆」とは、民主主義においては主権者であるはずだが、全体主義=ファシズムにおいても「大衆」は中心的存在となる。

この「大衆」=全体主義における主人公との考え方は、少々違和感を感じるが、考えてみれば、全体主義における独裁者=独裁政党は、「大衆」の支持及び服従がなければ成立しないのであるから、オルテガのこの指摘は正しい。

思うに、「大衆」が、民主主義においても、全体主義においても中心的役割を演ずるという事実は、スペイン内戦において、民主主義の共和派と全体主義のフランコ派が壮絶な死闘を演じた同国の現代史に基づいており、この死闘を演じた両派において「大衆」が組したことが、スペインの悲劇を生んだのだとオルテガは考えているようだ。

オルテガが指摘する「衆愚政治」の危険性は、「大衆」=国民の民主主義に対する理解度が高ければ何ら心配することはないのだが、理解度が極めて低ければ、確かに「衆愚政治」の危険性は高まるだろう。

民主主義のあり方を考えるうえで、本書はカール・シュミット、トマス・ホッブズの著作同様に読まれるべき書であろう。


大衆の反逆 (中公クラシックス)/オルテガ

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「我思う、故に我あり」


この言葉で有名なデカルトの哲学書である。

実は、この「方法序説」、とあるビジネス書の元ネタとなっている本である。

そのビジネス書とは、「ロジカル・シンキング」と銘打つ本である。

「ロジカル・シンキング」の本には、必ず「ロジック・ツリー」とか「MECE」という論理的思考法が紹介されてあるが、これらの論理的思考法は全て「方法序説」に紹介されてある。

もっとも、デカルトは未来に登場するビジネスマン向けにこの哲学書を書いたのではない。

理性と良識の重要性を強調したいがために、この「ロジカル・シンキング」の元祖本を書いたのである。

デカルトがこの本を書いた当時、すなわち中世のヨーロッパにおいては、論理的思考をすることが「異端」と看做された時代であった。

魔女狩りも横行した、暗黒の中世と言うべき時代において、いかに論理的思考を試みることが大事であるか、そして何よりも、論理的思考の主体たるべき「我」の自覚がいかに重要だったかが、冒頭のあの名言に言い尽くされているのである。

今の時代は、論理的思考が自由にできる幸せな時代である。

だが、論理的思考の主体者である「我」の自覚を失った者、別言すれば、論理的思考を自主的に放棄した者が現代社会において多いという事実が、この「方法序説」の必要性を再認識させていると言える。

「ロジカル・シンキング」の本を読むことも悪くはないが、是非同時に、デカルトの「方法序説」も多くの人々に読んでいただきたい。


方法序説 (岩波文庫)/岩波書店

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