伝染病の歴史
古代メソポタミア世界最古の物語と言われる「ギルガメッシュ叙事詩」で既に伝染病は四災厄のひとつにに数えられていた。このことから当時すでに疫病が社会問題になっていたことがわかる。
それは同時に人類の医学の歴史が始まったともいえる。感染症は、文明の発達による民族の移動、交流によって同時に拡大した。
BC5Cにはアテネの疫病といわゆる疫病が流行している。ペロポネソス戦争でスパルタに対抗しようとアテネが籠城したことで爆発的に疫病が広まった。
この際に英雄ペリクレスも感染し、病死している。
「アテネのペスト」ともいわれるが、発症の記述からペストではなかったことが推測される。
救済してくれない神への否定から学問が発達した。
2Cにはアントニウスの疫病、ローマのパルティア戦疫からもたらされたと言われる。人口10%の500万人死亡して、結果としてキリスト教が広まるきっかけになる。
同じく2C中国でも後漢末に疫病が流行っている。
「大秦王アントン(ローマのアントニウス?)の使い」がもたらしたか否かはわからないが、何かしら関係があるかもと読み解くと興味深い。
頂角の太平道が流行り、黄巾の乱へつながってゆく。太平道の信者は疫病にかからなかったという。
彼らをみて信者は神を信じ、後漢滅亡、三国志へとつながってゆく。
日本でも3Cに疫病が流行っていた。
崇神朝の疫病(古事記) と言われる。
大物主のおつげで疫病平癒のため三輪山に祀る。
八咫鏡もこわがり宮中から伊勢神宮(当時は存在しないという説もある)に移す。
崇神天皇の名称は「ハツクニシラススメラミコト」。
古代において東アジアの騎馬民族の移動が日本にも流れ、疫病も伝わった可能性がある。
人類最初のペストは6Cのユスティアヌスの疫病(541)だろう。東ローマ帝国の人口40%死亡、敵国ササン朝ペルシアにも拡大した。
同時期6C日本では欽明敏達の疫病が流行。
仏教伝来と共に発生している。
当時は、蘇我(百済)VS物部(*神道)+中臣という権力逃走の最中蘇我氏が仏教を普及させようとした。
*ニギハヤシという神を祀る
530年はハレー彗星、その影響か536年世界的冷夏になっている。作物が育たず飢饉が起こり、疫病が蔓延したという説もあり興味深い。
8C 天平の疫病といわれ不比等の四兄弟が病死している。これは長屋王の祟りと言われた。当時の人口の25% 100万人が死亡した。
聖武天皇は国家を仏教により鎮めようと東大寺、国分寺を全国に増設している。男子に恵まれず孝謙天皇が後を継いでいる。橘諸兄、藤原仲麻呂の政変があり不安定な時代だった。
861 赤痢の流行、864 富士山噴火したことから霊を鎮めるため御霊会をひらくようになり、これが祇園祭のおこりとなる。
このころから日本で死 =穢れという思想があらわれる。 都では検非違使(中世警察)が死体の処理をして穢れを清める職業として中世差別民を統括するようになる。
世界でのもっとも大きなペストの大流行は14世紀と考えられる。ヨーロッパ全体を巻き込み、人口1億人のうち3000万人が死亡、フィレンツェは死体の山で埋もれ、地方の多くは廃村となったという。
その様子はボッカチオの「デカメロン」で生々しく語られた。
文学にペストがよく登場することからも社会問題になっていたことがうかがわれる。
17世紀のロンドンをおそったペストがダニエル・デフォーの「ペスト」で、
20世紀にはカミュが「ペスト」を執筆している。
しかしながら歴史記述によく出てくるのは天然痘だ。
紀元前1157年のエジプトのミイラに見られるあばたがもっとも古い感染例とみなされている。その激しい伝染力から貧富の差なく感染を起こし、王侯貴族の死亡例も多く知られている。
日本でも十六世紀にはスペイン軍がメキシコに持ち込んだ天然痘により、アステカ文明は滅亡した。
しばらくは伝染病の種類と歴史について語ってみる。


