最も崇高な祈りとは

 

聖ラーマクリシュナは、神さまへの祈り方、向き合い方

世俗的な欲望や善悪の判断さえも手放して、ただひたすらに「神への愛」だけを求める祈りの姿勢を、次のように語っています。

 

 

 

私はかつて、母(カーリー女神)にこのように祈ったものだ。

 

母よ、ここにあなたの「知識(善)」があります。

ここにあなたの「無知(悪)」があります。

その両方をあなたにお返ししますから、どうか私に、純粋な愛(バクティ)だけをお与えください。

 

母よ、ここにあなたの「清らかさ」があります。

ここにあなたの「不浄」があります。

その両方をお返ししますから、ただ私に純粋な愛をお与えください。

 

母よ、ここにあなたの「徳」があります。

ここにあなたの「不徳」があります。

その両方をお返ししますから、ただ私に純粋な愛をお与えください。

 

 

 

彼は、花を持って神に供えるとき、良い花も悪い花もすべてを母なる神に捧げ尽くして、最後に自分の心さえも空っぽにして、「ただあなたへの愛だけが欲しい、あなたの事がもっと好きになりますように」と願うのが本当の祈りだと教えています。

 

 

心を空っぽに...キリスト教であれイスラム教であれ、ヒンズー教徒であれ

神への絶対的な全託(サレンダー)による心の空っぽな状態と、「無我(私が無い状態)」は、入り口や表現が異なるだけで、最終的に到達する頂上は全く同じものです。

神さまへの信仰を深める「宗教の目的」は、心を如何に消し去るか、「無我の境地」だという事です。

 

シュリー・ラーマクリシュナは、このことを「知識の道(ギャーナ・ヨーガ)」と

「信愛の道(バクティ・ヨーガ)」の比較としてよく語っていました。

 

 

 

Sri Gouranga

シュリ・ゴウラーンガは、自我を無限の神への愛の海に溶かし切ることで「分離」をなくした姿の象徴