バロックヴァイオリンについて 後編 | ヴァイオリン技術者の弦楽器研究ノート

ヴァイオリン技術者の弦楽器研究ノート

クラシックの本場ヨーロッパで職人として働いている技術者の視点で弦楽器をこっそり解明していきます。

こんにちはガリッポです。

前回は音楽学校に寄付されたマルクノイキルヒェンのオールドヴァイオリンをバロックヴァイオリンに仕上げる話でした。
https://ameblo.jp/idealtone/entry-12869275705.html

できあがりました。シンプルな指板とテールピースですが、実用的なバロックヴァイオリンです。見るからに現代のヴァイオリンと違います。弦は大手メーカーで入手しやすいピラストロのコルダです。G線は3種類あってこれはシルバーの巻き線のものです。他に銅を巻いたものとガットのみのものがあります。重さがあるので金属巻のほうが細くなります。マニアックな方々は専門のメーカーで様々な仕様があります。
バロックヴァイオリンで気になるピッチは演奏する人や楽団が決めることです。Aの音は415Hz~440Hzくらいですかね。教会でオルガンとともに弾く場合にはオルガンに合わせないといけません。作られた時代によって違うかもしれません。クリスマスの時には寒さも調弦に影響するそうです。でも教会は空調が無い建物としては比較的温度差が小さい建物です。


アーチはそんなに高くないばかりかいわゆるドイツ的な台地状の四角いアーチではありません。丸くなっています。このようなイタリア的な要素を持ったものもたまにあるのでオールド楽器というのは当たり外れが大きいのです。
板の厚みは典型的なドイツ式でした。これは表と裏が同じような厚さなのも特徴です。したがってイタリアのものに比べると表板は厚めになり、裏板の中央は薄めになります。しかし200年以上経っているので数字にこだわっても意味が無いでしょう。
おもしろいのは南ドイツの楽器と厚みが共通していることです。何かしら交流があったことでしょう、逆にザクセンのネックが南ドイツ、さらにオーストリアからイタリアに伝わったかもしれません。

このことはこの楽器が決められた設計に対して正確に作られていてそのままの状態で残っているということが言えます。つまり雑に作ったのではなく高品質なのです。これがミラノのグランチーノやテストーレならもっと雑に作られています。
マルクノイキルヒェンでももちろん雑に作られたものがありました。このため、産地で判断するのではなく、一つ一つの楽器を見なくてはいけません。特にオールド楽器は作りが様々です。

ナットも象牙などで作られることもありますが、今回はシックに黒檀です。現在ではプラスチックの模造品があります。プラスチックは刃物を痛めるので手入れを考えると黒檀にしました。
ペグは本当のバロックの時代のものではないように見えます、でも誰も知らないことでしょう。少なくとも見慣れたものとは違う感じがするでしょう。他に入手できるものがありませんでした。
黒檀は信頼性が高いです。


アーチは四角い台地的なものではなく素直な丸みがあります。

こういうものがマルクノイキルヒェンでもあるというのが驚きです。しかしこのような特徴の作者などは知られていません。誰も興味が無いので研究もされていないことでしょう。値段は1万ユーロくらいでしょう。それでも160万円ですから音楽学校に寄付された楽器としては破格です。200年以上前に丁寧に作られたものが新作楽器と同じかそれ以下の値段なのですから安すぎます。値段が上がらないのも誰も興味が無いからです。

バロックヴァイオリンに適した楽器とは?

オールドヴァイオリンの中にはとても音が柔らかいものがあります。特に高音の柔らかさは近代以降のものと次元が違います。そんなものがたまにあるので私は知っています。しかし一般の人はそんな音を体験したことも無いでしょう。手持ちのヴァイオリンにさらに輝かしい強い音のE線を張って喜んでいる人も多いことでしょう。知らないのはある意味幸せかもしれません。特にアジアでは強い高音が好まれるようです。これには何か理由があるのでしょうか?

楽器を買う時にはよく分からないで成り行きで買ってしまうことも少なくないでしょう。したがって、多く売っているようなものを使う人が多いわけです。買ってから、使っていて高音が気になってきてそれからどうにかしようとそんなことです。

私は買う前にしっかり試しておくべきだと言いますが、後で言っても遅いです。音で楽器を選ぶのは実際にはとても難しいことです。しかし、値段や作りなどで音を保証できるような規則性はありません。音は弾く人によっても違いますし、聞く人の感覚もきまぐれで、客観的な評価などはできないあやふやなものです。しかし耳で聞く以外に他に音を保証するものは何もないということを言っています。

今回の修理の最大の目標は「修理代の節約」です。学校には予算があまりないからです。前回バロックとモダンの違いを説明してきましたが、バロックとモダンで違う点がもう一つあります。それはバスバーです。バスバーは短く細く低い物でした。それがどんどん大きくなってきています。1900年頃よりも今の方が太いものをつける人が多いでしょう。魂柱も同様です。オールド楽器ではf字孔が細いので細い魂柱が入っていたことは間違いないでしょう。ストラディバリなどを真似て作ろうとしてもf字孔に魂柱が入りません。魂柱が入るように広げるともうストラディバリのf字孔には見えないというわけです。実際のオールド楽器はf字孔の外側が変形して下がっていて、f字孔も魂柱を入れる作業の繰り返しでぐりぐりと広げられているので細いはずのf字孔に現代の魂柱が入ることが多くあります。楽器によっては後の時代の人がナイフで削って広げているものもあります。クレモナ市の所有のジュゼッペ・グァルネリなどは後の時代の人が広げて大失敗しています。
今回は3/4のヴァイオリンのものを入れています。太さで音がどう違うかというと、ケースバイケースでやってみないと分からないとしか言えません。法則性などを言うのは難しいです。細い魂柱は倒れやすいので安価な楽器やレンタルの楽器では私はできるだけ太いものを入れます。

本来ならバスバーも交換が必要です。この楽器では過去にモダン仕様のバスバーに代えられているからです。しかしそうなると表板を開けなくてはいけません。修理としてはルーティーンのものですごくお金がかかるというほどではありませんが、少しでも出費は抑えたいはずです。よく20世紀の量産楽器にバロック駒とガット弦でバロック風にすることがありますが、ひどい耳障りな音になります。バスバーを小さくしないとバランスが取れないからでしょう。それが今回は唯一の心残りです。「本当のバロックヴァイオリン」と言い切れない所です。

したがって音が耳障りな酷い音になるのではないかと不安がありました。

出来上がって弦を張ります。ガット弦はどんどん伸びてすぐに調弦の音程が下がってしまいます。張ったその日に弾くのはかなり難しいです。落ち着くのには何日かかかるでしょう。

1週間くらいして弾いてみました。
低音はダイレクトでギーッというガ行の音が強く出ます。暗く暖かみのある音です。高音でも耳障りな嫌な音は少ないです。中音域は複雑な響きがあり豊かさもあります。思わずニンマリとするような良い音でした。普通は楽器の優劣というと鳴るとか音量とかそういう話ですが、全くそんなことは気になりません。はっきりした音なので耳元ではそれほど小さくは感じません。とても濃い味わい深さがあり、不快な音は無いですね。
そのあとモダン楽器を弾くと味気ない無味無臭の音に感じます。ミッテンバルトのオールド楽器ホルンシュタイナーでも普通に聞こえます。

バロックヴァイオリンがこんなに魅力的に感じられたのは初めてかもしれません。
音楽学校の先生が受け取りに来ました。自分のバロック弓を持っていて弾いているのを聞いても自分で弾いたのと印象は変わりません。先生もとても美しいと言っていました。先生の同僚には音大でバロック奏法を勉強した人もいるそうで、物珍しいというレベルではなくちゃんと使ってもらえそうです。
黒檀製の指板について説明すると演奏しやすいと言っていました。
隣の部屋で聞くとさらに刺激的な音は少なく滑らかで美しい音に聞こえました。何故か古楽のCDではとても金属的なメタリックな音になっていることが多いです。マイクの性能など技術的に難しいのか、古楽専門レーベルの録音エンジニアの耳が腐っているのかわかりません。古楽録音の世界にも、偉いカリスマエンジニアがいてその人のおかしな音を皆が崇拝しているのか、そういう音の流行が90年代の古楽ブームであったのかもしれませんね・・・わかりません。教会や宮殿の柔らかい響きの中ではそんな音には聞こえないでしょう。


それはともかくこの楽器がなんでこのような音になったかと言えば、ガット弦やバロック駒だけが原因ではないでしょう。楽器そのものが持っている音が重要な役割を果たしていることでしょう。耳障りな不快な音が出ないのはもともとすごく柔らかい音だったのではないでしょうか?弱い張力のガット弦の豊かな響きがあってもさらに暗い音になったのは楽器自体が音色を持っているからでしょう。これは現代の典型的な新作楽器をバロック仕様にしたのでは得られないと思います。中国製の量産楽器のバロックヴァイオリンでも無理でしょう。近代・現代の楽器を改造しても無理でしょう。

つまりこの楽器はもともと柔らかく、味わい深い音を持っているためにバロックにしてもそれが強く出てくるということです。したがってモダン仕様にしてもおそらくとても魅力的な音になるのではないかと思います。

普通ならこのようなものはモダン仕様に改造されてしまいます。モダン仕様で音が芳しくないものがしょうがないからバロックにして売っているものとは違います。むしろバロック仕様で良い音になる方が条件が厳しいのではないかと思うほどです。

しかしながら、その時代にはどうだったかと言えば、古くはなっていないのでそこまで味わい深い音や柔らかい音ではなかったかもしれません。チェンバロがピアノに進化したようにジャラジャラした金属的な音が、クリアーで済んだ音に変化してきたはずです。これは他の楽器も同様で19世紀的な価値観でしょう。
モダンや現代の澄んだクリアーな音に慣れている今の人にとってはこのような奇跡的なバロックヴァイオリンは受け入れやすいでしょう。当時の音とは違うかもしれません。

演奏についても同様です、現代の人は肩当やあご当てを付けて練習を始めたので、それらが無いことはマイナスでしかありません。現代の楽器で慣れた人が弾きやすいということも現実には考えないといけないでしょう。「正しいバロックヴァイオリン」というのではなくて「弾きやすいバロックヴァイオリン」というのは実際に使う楽器では重要になるでしょうね。博物館に展示するようなものとは違います。

これは私の楽器作りの基本的な考え方です。「正しい楽器」を主張する考えは私は嫌いです。魅力的でなくては弾いていて気持ちよくありません。私は快楽主義です。快楽主義は道徳では間違っていますので論争では負けるでしょう。


それにしてもこのような音をモダン楽器でも出せれば良いですね。そうなると多くの演奏者にも味わうことができるからです。私が掲げる目標は他の職人とは全く違う方向ですね。

ヴァイオリン職人が音をどれくらい意図的に作れるかというと、じゃあこのバロックヴァイオリンみたいな音のモダン楽器を作ってくださいと注文できるでしょうか?実際に作ることができるけどもモダン奏者には評価されないので作っていないだけなのでしょうか?

そんなのは到底無理です。
音を自在に作るのは難しいです。職人は0.1㎜単位で仕事をしているので作り方を変えた気になっていても音にはあまり違いが出ません。作り方を変えても思ったよりも音が変化しないのです。それに対して自分で考えて工夫したのだから音が良くなっているはずだと希望的観測で結果を評価する人が多いでしょう。自信に満ちたカリスマ性のある職人ほどそうでしょう。職人には科学者や世界の大手企業のエリート社員のようにそこまで客観的な考えができる人が少ないです。
何をどう変えたら何がどう変わるかもわかりません。
全く同じ寸法で作っても音は微妙に違うのでそれが作り方を変えたせいなのかもわかりません。これでは意図的に音を作ることなどできません。

現代の楽器製作では理屈としてセオリーを学びます。こう作るのが正しく、そうなっていないのは間違っていると教わります。間違ったものを作ったら音がどうなるかは誰も知りません。作ってはいけないと学ぶので誰も作ったことが無いのです。ヴァイオリン職人はそのレベルです。音が良いと考えられている作り方で皆が作るのでみな同じような音になります。しかしそれでもなぜかわからない個体差が音に出ます。このため楽器を買う人は、作者の意図や主張は無視して弾き比べて選ばないといけません。理屈を聞いてはいけません。

それに対して私はセオリー通り作ったものとは違う音を出す方法を探っています。それはつまりセオリーから外れたものです。今回のヴァイオリンもヒントになります。音を聞く前にそれが正しい作り方だとかそういう事を一切捨てることです。正しくない作り方で作ってみて、音が変わるかどうか試してみます。正しいとされている作り方では違う音にならないのです。
真面目な人は師匠に教わったり、現代のセオリーに忠実に「正しいヴァイオリン」を作ります。その結果音は似たり寄ったりになります。
不真面目な人は手抜きの楽器を作って言い訳をします。ビジネスで楽器を作る人はコストを下げるために手抜きをします。まじめに作られているだけでもレアなのです。



さて、ガット弦に近い人工繊維の弦は何かというのも難しい問題です。メーカーは皆カタログに「ガット弦に近い」と書いています。それでもいろいろな音ですね。

金属巻のガット弦は1980年頃には高級弦としてピラストロ社のオリーブやオイドクサが君臨しました。その後ナイロン弦のドミナントが受け入れられ一世を風靡しました。先生は生徒に「とりあえずドミナントを使っとけばいいよ」と教えた事でしょう。それを勘違いして絶対的なスタンダードと崇拝する人も出てきます。
一方で頑なに人工繊維を受け入れない人や知識がその時代で止まっている人がいます。
そんなガット弦の愛好者に評判が良いのは「コレルリ」でフランスのサバレスという会社のものです。特にアリアンス・ビヴァーチェが優れた製品で、新製品はさらにカンティーガやソレアというものが出ています。

また別の見方ではガット弦に変わって普及したドミナントの系統のトマスティクのものがガット弦に近いという人もいるでしょう。

張力の弱さという意味ではラーセンがあります。製品がいくつもあります。
張力が強いと一般には明るい音になる傾向があると思います。しかし表板を強く押しつけて、響きが消されてしまうことがあるでしょう。かえって張力が弱い方が明るい響きが広がって明るく聞こえるかもしれません。

暗く暖かみのある音ではピラストロのオブリガートが筆頭です。音はクリアーすぎるようにも思います。
訳も分からずに買ったり、たまたま安かったり親戚に譲り受けた楽器の音が明るすぎたり、やかまし過ぎたりする場合少数派ながらそのような需要があるようです。うちでは多数派です。うちの社長は育ちが良いので楽器が少しでも売れるようにと安価な楽器でもオブリガートを張りたがります。日本の楽器店はドミナント以上の高い弦を張るのを嫌がる社長も少なくないでしょう。
同系統はトマスティクのインフェルト・レッド、ラーセン・ツィガーヌなどで選択肢はわずかです。全体としてはパフォーマンス重視の明るい輝かしい音の製品が新製品としてどんどん出てきます。うちでは遠いアメリカやアジア向けの製品という印象を受けます。
それに対して暗い音のものは出てきませんから楽器自体が暗い音を持っていないといけません。

暗い音でハイパフォーマンスの弦を私は望んでいますがマニアックすぎるのか、原理的に実現不可能なのかありません。つまり最大限のパフォーマンスを生み出すには音色の味わいは犠牲になるということです。味わい深い音色にする場合は楽器が勝手に鳴ってくれる性能は諦めなければいけないということですが、本来当たり前のことでオールド楽器で素晴らしい音がするのは上級者が腕でカバーしているということでもあります。ただそれに興味がないユーザーが多数派ということですね。

いずれにしてもガット弦の要素を部分的に持っていて視点によっては似ているということにすぎません。ガット弦の魅力を再確認するという意味でピラストロ社からパッシオーネという製品が出ています。ガット弦の愛好家からも、現代的な音を好む人からも興味を持たれないものになってしまいました。


シックなバロックヴァイオリンになりました。この時代のものでは丁寧に作られていて趣きがあります。音も現在のセオリーで作られたものとは全然違います。
違うということは必ずしも優れいてるということではありません。しかし違いが無いと選ぶ方は難しいですね。違いが無いのに値段だけが違うのもおかしいですね。正しい楽器を作るのではなく、選びやすいものを作るべきではないでしょうか?
良し悪しをきめつけずにこのような安価な楽器もバカにせずに興味を持ったらどうでしょうか?数千万円するのが当たり前のオールド楽器で160万円は安いものですが、バカにするようなものではなく普通に考えれば相当なお宝です。東京の人たちに信じられている「現代の巨匠」には全く出せない音があることでしょう。

私は科学的な思考を楽器製作に応用するなら生物の進化に似ていると考えています。生物は何の意図もなく無作為に個体差のある子供が生まれ、生存に有利な形質が残ったのが進化というわけです。ダーウィンのようなずば抜けた科学者でなければ難しい考え方です。そのダーウィンも自分で進化論を思いついたのではなく恩師に教わっていたようです。そんな歴史も捻じ曲げて伝えられています。
しかし多くの人は、誰かの意図があって進化してきたと勘違いしています。高い所の葉っぱを食べるためにキリンの首が長くなったと未だに説明されています。ポケモンの進化も全く違います。たまたま首が長いのが生まれて高い所の葉っぱを食べて生き残れたと考えるべきでしょう。

我々が楽器に対しても天才職人が意図的に考えて音が良くなる製法を作り出したと思い込んでいます。それよりも無名な職人たちによって微妙に違う楽器がたくさん作られたのでその中には偶然まったく違う音が出るものがあるかもしれません。偉い師匠の教えよりも何でもない楽器のほうがはるかに可能性があります。

このように先入観や思い込みを捨てて、どんな楽器に対しても客観的に音を評価することが科学的な取り組みと言えるでしょう。音響工学の学者がストラディバリを研究するのも先入観に凝り固まっています。普通の楽器も研究するべきです。そんなのは科学ではなく話題性がお金を生んでいるだけかもしれません。
我々も修行の段階で先生や師匠から先入観を学びます。先入観を学んだことで自分は知識があると思い上がっています。専門家の言うことほど現実の音に当てはまらないのはそのためです。
このような業界ですから弦楽器については何も勉強しない方がまだましなのです。

現代のヴァイオリン製作の主流派からするとバロックヴァイオリンは全く理解されない存在です。音が悪いオールド楽器をバロックに改造するのは「バロックヴァイオリンなんてこんなので良いだろう」と心の底でバカにしている表れです。そうなると何も学ぶことはできません。

知るべきことは言われている知識などはあてにならないということです。ぜひ多くの楽器を実際に試してみてください。日本にいる時点で輸入した人のフィルターがかかっていることもお忘れなく。