夏休みも終わり | ヴァイオリン技術者の弦楽器研究ノート

ヴァイオリン技術者の弦楽器研究ノート

クラシックの本場ヨーロッパで職人として働いている技術者の視点で弦楽器をこっそり解明していきます。

こんにちはガリッポです。

4日間休みを取っていました。
一週間30℃を超える日が続いていたのでレンガ造りでエアコンもない建物は熱をどんどん貯めて日ごとに温度が上がっていきます。じわじわとこたえて仕事をしていてれば今頃は夏バテしていたことでしょう。
旅行などに行くこともなく、朝7時ころに散歩に出かけて風の通る景色の良い日陰にいて昼前に熱くなってきたら家に帰って暑さに耐えるというだけの暮らしでした。音響工学的なことについていもいろいろな試みをしていますが楽器製作に生かして発表するまでには至っていません。

しかし今年が例年よりも特別暑いということもなく、欧州熱波の様なニュースも聞かなかったことでしょう。海外の冷夏はニュースにならないのは不思議ですね。

雨が多いと洪水、雨が少ないと干ばつ、気温が高い、気温が低いと毎年何かがあり、農家は政府に支援を求めます。何なら豊作でも価格が下がって支援を求めるでしょう。それに対してヴァイオリン職人は政府から何の支援も受けられません。人数が少なすぎて選挙に影響が無いからです。

このような意見は自分の利益を求めるだけで正当性などはないと思ったほうが良いですね。聞く価値もありません。


弦楽器は未熟な産業で、ユーザーの求める水準とは全く違う現実があるのにいくら説明しても理解されないことを問題視してきました。

迷信がとても多く広まっていて、我々職人が学ぶ知識さえも怪しげなものが多いです。そこで私は徹底的な「結果主義」を推しています。
人は物事に原因を求めます。それが分からないと気持ち悪いようです。何か現象が起きた場合に「分からない」と放置するよりも迷信を信じるほうが安心するのでしょう。


音が悪い楽器が作られる理由は主に3つあるでしょう。
①手抜き
②迷信を信じている
③偶然

①の手抜きはコストを安くするためにも行われます。多くの場合外観よりも内部の仕事が雑になっています。不真面目でめんどくさがりな職人も多いです。ヴァイオリン製作学校や工房で先生や師匠に言われないとすぐに手を抜く人がほとんどです。このため学校の生徒よりも質が落ちるハンドメイドの楽器が多くあります。

②まじめに作っていても我々が学ぶ知識さえ迷信が多いのです。特に思い込みの激しい職人がいます。自分は音が良い楽器の作り方を編み出したとか、尊敬する師匠に教わったとか、ストラディバリの秘密を解明したとか自分は音が良い楽器の作り方を知っていると思い込んでいる人がいます。思い入れが強くなると希望的観測になってしまいます。
それは私も例外ではありません。
結果主義がいかに大事かということです。

③何も悪い所が無いのに音が良くないこともあるでしょう、それは偶然ですが理由は分からないままでしょう。そんなことも有り得ます。

そもそも音が悪いということも定義するのは難しいです。100人中100人が同じ楽器の音が悪いと感じることはまれでしょう。音が良いということも同じです。

そうなると好き嫌いの問題になってしまいます。

私は粗悪に作られていて、職人としてあるまじき行為だと憤慨する楽器があります。しかし弾いてみると音が良かったりします。私は許せない楽器で、私が弾いても音が良くないと思うこともあります。でも他の人は音が良いと気に入ることがあります。この楽器はここが良くないので音が悪いはずだと文句を言うことはできません。
逆にこれは見事な楽器だと思って修理しても弾かせてみると反応が芳しくないこともしばしばです。

仕事で体験するのはそんなレベルの話です。

チェロであるのは金属的なとても鋭い音を好む人がいます。チェロではスチール弦が99%以上使われていますが、新しい世代のスチール弦ほど金属的な耳障りな音が減少しています。弦メーカーはこれを改良だと考えています。
しかし、新しい弦は気に入らず古いものを使い続ける人もいます。
ベルギー駒というタイプの駒も90年代以降に流行ったのでしょうか?これも鋭い音がするもので未だにつけたがる職人がいます。フランス駒では柔らかく上品な音ですが、それでは他のチェロよりも目立たない地味な音になってしまうからです。

このため我々が試して、極端に鋭い音のチェロがあったとしても、そのようなチェロを選ぶ人がいるというのが事実ですから、調整して柔らかくする必要もありません。

強烈な音のチェロは安価なものにあります。たくさんの高価なチェロを試して気に入る音のものが無い場合には、意外と安価なものにあるかもしれません。特に100年くらい前の量産品には強烈な音のものがあります。ミルクールやザクセンの量産品を試してみるべきでしょう。

客観的に考えれば安物の楽器のほうが音が気に入るということも有り得ますが、一般の人で高い楽器に気に入る音のものが無い時に安価な楽器から探そうとはしないでしょうね。安いものには嫌悪感を持ち食わず嫌いして試そうともしないでしょう。「結果主義」なら話は違います。実際に才能あるチェロ奏者がそのような楽器を選ぶことはよくあります。私は職人として憤慨することです。

このように演奏家と職人は良い楽器について意見が分かれることもしばしばですから、「専門家」に過剰な期待はしないほうが良いという現実を知ってください。


最近分かってきた課題は、一般の人には楽器の違いが全く分からないということです。
この前もヴァイオリンを10本くらい売りに来た人がいます。興味が強くてとても好きな人で多くコレクションしているようです。そのすべてのヴァイオリンが修理して売り出す価値もないガラクタでした。さらにひどいのはニスを剥がして塗り直したり、自分流の修理を施してあったりしたことです。それをプロのレベルにやり直すのはさらに大変です。
興味が強い人ほどガラクタに惹かれて行くようですね。マニアほど違いが分からないようです。ランダムで選んだ方がマシでしょう。

ヴァイオリンをたくさん持っている人はすぐにこれは怪しいなと思います。不用品のようなものが売られていると後先考えずにすぐに欲しくなってしまうのでしょう。合理的に考えれば良いヴァイオリンが一つあってそれを弾きこむことが最良です。いくつか持っていてもどれか一本ばかりを弾くようになるのが普通です。
趣味だから買った喜びを再び味わいたいとなるのでしょう。自動車でもしょっちゅう買い替える人もいるし何かのコレクターではすでに持っているのに同じものをいくつも買う人もいます。

ギターなどは何本も持っている人は多いですね。10年くらいしたら飽きて違うものを買います。ヴァイオリン族の弦楽器もそうなってくれるとたくさん売れて良いのですが…。

それに対して、用途に応じていくつものヴァイオリンを使い分けるというのが難しいです。弓であればプロの演奏者なら大抵何本か持っていて音楽の時代などによって使い分けていることが普通です。現代の曲では弓を痛めるものがあります、安価なカーボンのものが必要です。

しかしヴァイオリン製作の世界は保守的で「ストラディバリが最高である」という考えが固定して、またストラディバリモデルの作り方から派生した現代の作風も固定しています。ディーラーの方でも値段が高いか安いかだけで音の方向性について語られることもありません。


職人は値段が高い作者でも、見ればそれが並の職人が作るものと変わらないことが分かります。この前も2000万円くらいするようなチェロがありました。ミラノのモダンチェロです。見るとごく普通のチェロです。ニスを見て残念な感じがするのは私も同じ失敗をしたことがあるからです。オレンジのニスを均等に塗ってありますがなぜか立派に見えないのです。私もそこから研究が始まりました。
見た目が普通のチェロですが、試してみると音もごく普通のものでした。
チェロにはよくあることで、有名なイタリアの作者のものでも見習の職人レべルのものがあります。チェロは作業量が多いので手抜きをしていることも有り得ますし、実際に雇っていた見習の職人が作った可能性があります。それを私たちは分かります。

でも演奏家の人は2000万円のチェロというと何か特別なものと思い込んでしまうのでしょう。持ってきた人はヴァイオリン教授です。この人もたくさん楽器を持っていて困ったものです。高価なオールド楽器を使っていたこともありますが、今は作者不明のモダン楽器を使っています。そんなものです。


大きな勘違いが二つあります。
中古品では量産品やただの粗悪品に高価な作者の偽造ラベルが貼られていることがとても多いです。そうやって言ってるのに引っかかる人が後を絶ちません。

次の問題は本物だったとしても別に大したものではないということです。ですからニセモノのほうが音が良いということもあります。

安価な偽物は音が良いはずがないと思い込んでいるのならそれも間違いです。高価な作者の楽器の音が良いという保証は何もないのです。

そう言うと音で楽器を買うわけじゃないという人がいます。私は音よりも楽器の見た目の方の専門家です。見た目と値段の不釣り合いについてはもっとわかります。
でも演奏家の多くは音が良い楽器を求めていると肝に銘じなくてはいけません。

そのような職人のほうが演奏者の信頼を得て商売は繁盛していることでしょう。ニスは薄い方が音が良いと言う職人がいます。しかしすぐにはがれてしまいメンテナンスが大変です。厚くニスを塗り直すしかないですが、それで音が変わってしまうと私は「下手な職人」だと思われてしまいます。だからそのような楽器は作った職人本人が罰としてメンテナンスをするべきです。

楽器を選ぶ理由について、見た目については一般の人は違いが分からない、音でもないとすれば何なんでしょうね?

有名な演奏者が使ったとか、創作された作者の伝説とか、他に何でしょうか?人に自慢できるものというのなら当ブログを見てもしょうがないです。いくらでも他に情報があることでしょう。

結果がすべてと言うと、新作楽器は厳しくなります。実際に実用性という点では厳しいですし、新作楽器の中で音が良いものが数百年後にどうかといえば分かりません。派手な音がするものは数年後にも耳障りな嫌な音になるかもしれません。音の質で考えたほうが良いかもしれません。