量産楽器の音が悪い理由とは? | ヴァイオリン技術者の弦楽器研究ノート

ヴァイオリン技術者の弦楽器研究ノート

クラシックの本場ヨーロッパで職人として働いている技術者の視点で弦楽器をこっそり解明していきます。

こんにちはガリッポです。

こんなヴァイオリンが持ち込まれました。
いくらくらいの値打ちのものでしょうか?

古びた感じがします。
普通のヴァイオリンですね。

ヴァイオリンの形をしています。

スクロールには繊細な丸みがあります。

表板に割れがあります。もう少しで魂柱のところに達してしまいます。今のうちなら簡単な修理で済みます。これが駒の下まで達すると修理は高額になります。

表板を開けるとこのような感じです。

最低ランクのものでした。今ならもっとましな中国製品が10万円もしない値段であることでしょう。
バスバーは取り付けて無く、削り残したものです。内側の面は仕上げられていません。

戦前のマルクノイキルヒェンの量産品の安価なものはこんなふうに作られていたものもありました。今では機械で作られるようになったので同様のものは新品ではありません。

このような割れが生じる原因は、表板の下にナットという黒檀(安い楽器では他の木材)の部品が取り付けられています。時間が経つうちに表板が縮んでいくのに対してナットは縮まないので割れが生じるというわけです。

防ぐ方法としては、伐採されて間もない木材ではなく、長く置いたものを使う。ナットはぎちぎちに入れるのではなく、緩いくらいにします。私は隙間が空くくらいにしています。

この楽器では板の厚みのムラも割れの原因になっているかもしれません。


とはいえ現代の中国製のものでも開ければひどいものです。

量産楽器の音?


先日、先生と生徒がヴァイオリンを探していました。仕事をしながら音を聞いていましたが、先生が量産品を試すとさすがにどれも良い音がしています。
参考までにと1万ユーロを超えるものを試したいと先生が言うのでいつくか用意しました。
そうすると高価なものの方が、大人しく、控えめで、ぼんやりとした様な音でした。量産品の方がはっきりとカラッとダイレクトな輝かしい音でした。


安価な楽器の方がダイレクトで輝かしい音がし、高価なものの方が控えめでマイルドな音がする理由もわかりません。仕事の粗さが音の荒々しさにもつながっているようです。均質になっていれば弦から伝わった振動や弓の圧力が楽器全体に分散していくことでしょう。言い換えると表板にはばねのような弾力があり特定の振動が吸収されているわけです。一方ガタガタに作られていれば力が伝わりません。楽器全体にじわっと力がかかるのではなくすぐに跳ね返ってくることでダイレクトで手ごたえのある音になるのではないかとも思われます。

この説によれば楽器全体を大きく使って音が出るのが上等な楽器で、小手先で刺激的な音が出ているのが安い楽器というわけです。ダイナミックな演奏をする人では、楽器の性能差のように感じられます。ダイレクトな音は離れて聞くと、か細く聞こえます。しかし小手先の手ごたえも弾く人にとっては無視できず弾いてる本人の方が意外と安価な楽器を褒めていたりすることがあります。ナイロン弦の進化により、耳障りな嫌な音は低減し、上品で優雅な貴族趣味が失われ、むしろの最近の好みでは安価な楽器のような音の方が好まれるようになってきたのかもしれません。
とはいえ私はどんな楽器が分かって聞いているので思い込んでいるだけなのかもしれません。


穏やかな大人しい音のもので、本当にただ単に鳴らないものなのかもしれませんが、それが数百万円だという知識を持つことで良い音だと思い込まされてしまうこともあるかもしれません。
そういうことが怪しいなと私は気付き始めたところです。

左はマルクノイキルヒェンの戦前の量産品で、右が20年前に作られたハンドメイドのヴァイオリンです。これはお客さんが使っているものでちょっとした修理のために来ました。明かに量産品のほうが良く鳴ります。音には深みがあり味わい深さもあります。ハンドメイドの方は調弦するために弾いただけでも重たい感じがして鳴らないのがすぐにわかります。
低音は圧倒的に量産品のほうが良いですね。現代のハンドメイドの楽器はAとE線の高音は出るようです。低音が出ない「明るい音」の楽器です。日本の営業マンなら豊かな低音を「こもり」と説明する力技もあるかもしれませんね。
お客さんの楽器を預かるとこういうものが存在することを知ることになります。
現代の方も20年経っているので新品ではないですが、とにかく楽器が硬い感じがします。音はマイルドです。

何人かの演奏者が集まって、値段などを知らせずにこの二つのヴァイオリンを弾き比べたら、量産品の方が圧倒的だという空気になることがあると思います。新品のものならもっと差は開くことでしょう。そういう経験を私はブログでも話してきています。

この量産品とよく似た楽器でチェルーティのラベルが貼られて80年代に数百万円で売られていた記録の残っているヴァイオリンもありました。私たちが量産品であることを指摘しなければ、持ち主は本物のチェルーティだと思っていて気付かないことでしょう。事実を告げるのは心が痛みます。

しかしさっきの話だと、上等な楽器の方がおとなしく、控えめで、あいまいな音がするということもあります。高い楽器の音はそういうものだと言われると、下衆なものではなく上品な音のようにも感じられます。

量産品は音が悪く、ハンドメイドのものが音が良いと信じられているかもしれません。この時なされる根拠のない説明があります。
量産品は複数の人が部品や工程ごとに作業を分担して作っているので、「作者の意図」が無いため音が悪いというような説明があると思います。それについて私は、ハンドメイドの楽器でも作者が意図して音を作るのは難しいので当てにならないと現実を説明しています。

それに対して今回の写真のように安価な量産品はちゃんと作っていないということを知るべきです。逆に言えばちゃんと作ってあれば量産品でも音が良い可能性が十分あります。作者を神格化して高い値段で楽器を売るために都合の良い理屈が肯定されてきました。
一方ハンドメイドで一人の職人がすべての工程を手掛けたとしても、急いで雑に作ってあれば量産品と同じことです。量産品のような音のするハンドメイドの楽器を高い値段で買うのはバカバカしいと思いませんか?
私は、ハンドメイドであるということに特別な価値を感じません。

作者の意図とは関係なくたまたま音が望ましいものができることがあるということです。このような偶然のようなことはバカにできません。人によって求める音も違うため、相性の問題となります。ある程度ちゃんと作ってあればどこの誰が作っても既に「良い楽器」であり、音は好みの問題でしかありません。職人はそのように品質で楽器を見分けています

これに対して営業上がりの楽器店は、作者の名前や生産国で楽器を区別しています。このため、同じプロでも全く別の見方をしています。営業マンは作者の知名度が高いと「良いもの」と考えます。ストーリーを語ることでセールスがしやすくなります。
一方職人は品質が高ければどこの誰が作ったものでも「良いもの」だと考えます、音は好みの問題で誰か気に入る人が現れるだろうとその程度です。
このためコレクターが名品を持っていても、職人には笑われているかもしれません。
職人はそのような教育を受けるため品質が高いほど音が良いと思い込んでしまう職人が出てきてしまいます。

これも音を判断する上で紛らわしいことの一つだと思います。
実際オールド楽器では荒々しく作られたものでも数千万円、億単位の値段がついていたりします。デルジェスなんてそうですね。アマティやストラディバリはきれいに作られていますが、荒く作られているデルジェスやモンタニアーナのチェロなどもそれと並ぶものとなっています。

そこまで高価なものでなくても荒く作られたもので音が良いものは経験します、必ずしも荒く作られた楽器の音がダメで、丁寧に作られた楽器の音が良いというわけでも無いということになります。
ていねいに作られた楽器でも耳障りな音のものはたくさんあります。少なくともていねいに作るほど音が良いというわけではありません。



弦楽器の業界では値段ばかりの話をして良い音とか音が良いとは何なのかということは、真剣に考えられてこなかったと思います。そのことを当ブログでは投げかけています。
「良い楽器=音が良い」ということも当然のことではありませんでした。そのような思い込みがあるなら弦楽器のことをもう少し知ってほしいと思います。
ヴァイオリンは現在とは違う時代に、違う国で作られ、今でも独特のカルチャーの世界です。現代の日本で生まれ育った時に自然と身についてしまう常識を捨てることがより理解することになるでしょう。


楽器の音が分かるようになるには演奏者に技量が必要です。誰が弾いても鳴る楽器もあれば、ツボにはまると鳴る楽器もあります。
そのためには、練習用のヴァイオリンが必要ですね。完全にニュートラルな特性のヴァイオリンで腕を磨いて、それで理想のヴァイオリンを探すのが良いかもしれません。しかしニュートラルなヴァイオリンなんて思いつきません。500年の歴史の中で平均的なものを作ることはできますが、音は平均にはなりません。私が作ると私独特の音になってしまいます。

そんなものがあれば学生さんなどには最適なものなのですが、これを買っておけば間違いないというものが思いつきません。

熱心な親御さんは自分の子供が有利になるような何かとんでもなく優れた楽器を欲しいと思っています。現代の教育熱でそのような需要がありますが、嘘でも需要に応えればビジネスになるでしょう。それでとんでもない高価な楽器を買ってしまいます。製造する側からすれば現実ではない幻想の話です。ごく普通のなんでもない楽器を本当は選ぶべきなのかもしれません。


私一人にできることはありません。
私が作る楽器では、「古い楽器のような」とはっきりと目指すものを表明しています。同じ音は無理でも系統としては近いものになるでしょう。

人によって違ういろいろな良い音がごちゃ混ぜになって趣味趣向の方向性なども分類されていません。業界全体として私利私欲を超えて語られるには程遠いことでしょう。