「音に理由はない」という真理 | ヴァイオリン技術者の弦楽器研究ノート

ヴァイオリン技術者の弦楽器研究ノート

クラシックの本場ヨーロッパで職人として働いている技術者の視点で弦楽器をこっそり解明していきます。

こんにちはガリッポです。

心配おかけしましたが無事です。
隔離期間を終えて検査結果も陰性で人にうつす危険が無いということで仕事には復帰しています。しかし元気いっぱいではありません。
1週間も自宅にこもっていればそれだけでも体がなまってリズムも崩れるものです。
病気というのは精神にも左右するもので、自宅で過ごす時間があっても何かをやる気にはならなかったです。


先日は100万円以下くらいで新しくヴァイオリンを欲しいという人が来ていました。年配の夫婦でともにヴァイオリンを弾いています。夫婦でやっているとモチベーションも高いようでアマチュアですが難しい曲を次々と弾いて楽しんでいるようです。
その値段で10本くらいは並べて弾き比べていました。
主に旦那さんの方が弾いていましたが、離れて聞いているとどのヴァイオリンを弾いてもきれいな音を出していました。世代や趣味趣向もあるでしょう、力強い演奏というよりは優雅な繊細な演奏です。高い方の音ばかり弾くので低音が出る楽器には分が悪いです。

「イタリアのヴァイオリンは無いか?」と聞いてきました。
師匠はまたいつもの説明です。
100万円以下ならイタリア製にこだわる必要はないという話です。皆さんにはおなじみで最低数千万円からの話です。
クレモナの職人なら他に収入減が無いから安い値段でヴァイオリンを売る人はいるでしょう。でも戦前の上等な量産品に音で勝てるでしょうか?少なくともうちでは置いていません。


師匠は新しく買うよりもまずは自分のヴァイオリンを調整することを薦めていました。
弦を換えて魂柱の調整をするとその方はびっくりして自分の楽器のほうが音が良いと楽器探しは終わってしまいました。

その人の持っているヴァイオリンはちゃんと作られとてもよく鳴る物でどちらかと言うと鋭い音のものでしょう。その楽器で柔らかい音を出す方法を身についているので、どんな楽器を弾いても柔らかい音がします。

だからヴァイオリンなんてのは何でも良いと私が言ってるわけです。

鋭い音の楽器は弓がちょっと触れただけで音がギャーと出ます。柔らかい音の楽器はちょっと滑るような感じがあります。どちらが良いというものでもありません、使う人次第です。


魂柱の調整について興味を持たれたようで質問していました。「どのように調整したのか?「「なぜ、長期間放置していたら音が悪くなったのか?」などいかにも男性らしい論理的な質問です。

しかし私がこのような疑問が間違っていると思います、そもそも「音に理由はない」のです。結果としてそのような音になっているだけで理解なんてできません。私が20年間やってきてたどり着いた根本的な考え方です。

当然イタリア製だからこんな音がするということはありません。作っている方はその音になる理由が分かっていないので、仮に国ごとに特有の音の好みがあっても作ることができません。多くの製品は何かしら宣伝文句や安さなどのセールスポイントがあればただの木工作業で音のことはよく分からずに作られています。
私もヴァイオリン製作の修行をしたので分かっています。師匠や先生、同業者は分かっているようなことを言います。しかし言っていることが実際の楽器では当てはまらないことばかりです。

それ以上に何を良い音だと思うかはその人の感覚です。客観的には魂柱の調整をして音が良くなったのではなく、その人が好きな音になっただけです。調整も問題があるから直したのではなく、何回かいじっていたらその人の好きな音になったというだけです。だから長い間放置したために問題が発生したということでもありません。


療養隔離生活でもちょっと元気が出てくると音楽くらい聞こうかという気になってきました。
私のスピーカーは「ヴァイオリンらしい音」にこだわって作られたものですが、強調しすぎてわざとらしいのが難点です。高音にきつさや鋭さがあります。反応が速く敏感すぎてゆったりとした音で聞けないのです。
スピーカーの位置を動かして左右の間隔を15cmせばめてみました。
それでかなり鋭さは和らぎました。

なぜかと言えば理由は分からないです。
左右のスピーカーの間隔が広いと空間が広がり一音一音がはっきり聞こえます。間隔を狭めるとゴチャゴチャとした音の塊に埋もれて鋭さが目立たなくなったようです。なぜそうなるかはわかりません。魂柱の位置もこれに似ていて、駒に近づけたり離したりすることで特性を変えられます。魂柱は駒の脚の真下には無くちょっとずれています。それがクッションになっていて、離せばよりクッション性が増すというわけです。しかしそれとは別に微妙なはまり具合で音がガラガラと変わります。0.1mmくらいしか動かしていないのに音が劇的に変わったと思う人もいます。この場合の音の変化には理由はないです。


理屈ではヘッドフォンと違い右のスピーカーから出る音が左の耳に入る分もあります。左右の間隔が近ければこれが多くなることが考えられます。音がごちゃごちゃになって曖昧になるということも考えられます。理屈で考えれば「音質は劣化」ということになりますが、結果として好きな音になったのなら私にとっては改善です。音域ごとに指向性が違うというのも考えられますが、作用としては逆に働くはずです。

まだ調べている段階ですが「真空管」というのもあります。ギターなどの世界では有名でしょう。数十年前はそんなに真空管は人気が無く時代遅れのもの好きのものというイメージでした。大手家電メーカーなどは決して真空管式のアンプなどは作りません。今では高級メーカーなどでは取り入れることも少なくありません。
戦前のジャズなどそもそも録音技術が低かったころの音源をストリーム配信で聞くのに真空管を通したら良いかもしれないと興味を持っています。

おもしろいのは中国製でものすごく安いものがあるのです。
確かに目的としてはただ電気信号を真空管を通せば良いというだけですから、複雑なものではなく高価になる必要もないです。真空管のアンプなんて中の回路を見ればシンプルなものです。
アメリカで真空管が作られて、軍事技術に使われました。昔のコンピュータです。
その機器を動かすのにストックを残してあってそれを今オーディオ用に使っているわけです。
ソビエトでアメリカの真空管の模倣品が作られてソビエトの軍事機器に使われていました。さらにそれの模造品を中国で作られていて、ちょと前までは中国では技術の進歩が停まっていましたから真空管が残っているわけです。これが日本のメーカーの真空管なんてほとんど残っていないでしょう。

真空管とトランジスタでなぜ音が違うかというのはよくわからない理屈があります。私は楽器の経験上そのような理屈は信じても意味がないと思います。結果としての音を味わうだけです。

こんな事も遊びと実用の間で考えています。実際古いジャズやロックンロールがムード満点で聞けたらいいです。デジタル音楽配信によって真空管が注目されるというのですからおもしろいですね。ちなみにYouTubeのTubeというのは真空管のことです。テレビのブラウン管のことでもあります。
ただ昔のような音で音が悪いだけでは遊びとはいえお金は無駄になりますし、ゴミが出て環境にもよくありません。品質が悪い中国製品を買うのにも抵抗があります。一方真空管の魅力に目覚めてしまうとマニアックすぎてどっぷりはまったら大変なことになってしまいます。

それだけでなく部屋の照明も考えています。
音楽を聴くときはちょっと暗めで暖かみのある照明が良いですね。
寝る前に静かな音楽で気を静めるようなことを考えています。
楽器製作でも照明のヒントになるかもしれません。


1週間病気になっただけでも、一度は全くやる気が無くなって、すこしずつ何かしら興味が出てきて、一方で活力が無くこんな事人生で大事なのかなと冷めた目もあります。
ワクチン接種に比べても実際に感染すると抗体の効果が高くなるようです。その意味では比較的コロナを恐れなくても良くなったということはあります。人間の暮らしって何なのか考えてしまいます。元気が出てくれば疑念も無くなるのでしょうか?


ともかく「音に理由はない」というのが真理でしょうね。
理屈で理解できるほど簡単ではなく、いろいろ試してみるしかありません。

こちらは修理に持ち込まれたヴァイオリンです。見た目はミルクールの影響があるザクセンのものでそんなに悪くはありません。でも持った瞬間に重さを感じ、表板などを触っても硬さを感じます、厚みを測ってみるとやはり厚めでチェロのような厚さです。
ニスはラッカーが分厚く塗られ風化してボロボロになっています。

ラッカーだから音が悪いというのではなく、安上がりに作られたものにラッカーが塗られているのでラッカーの雰囲気でそのような楽器だと分かるということです。この楽器ではガラスのようなラッカーが分厚く塗られているので音にも影響があるでしょう。しかしすべてのラッカーの楽器で音が悪いというわけではありません。

我々職人が楽器を見ても「名工」と言われている人の楽器と普通の職人の仕事の違いは分かりません。なのになぜか楽器店の営業マンには分かるようです。値段を知っているからでしょう。
一方職人でも一部の人にだけ造形センスがある人が作ったものがわかります、これは値段の評価とは全くずれています。営業マンにわかるはずがないからです。
とはいえ音になると良い音の楽器に理由はありません。

私が重要だと言っているのは粗雑に作られた楽器か普通に作られた楽器かの違いです。天才の職人か凡人の職人かについてではありません。普通に作られていれば良い音がする可能性は十分にあります。それすら判断は難しく素人には無理です。私でも外見が綺麗で騙されることはよくあります。
また作りがいい加減なものでも音で見分けるとなるとさらに難しくなります。私がこんなの安物だと思っても何かの組み合わせの奇跡で弾いてみると気に入る人もいます。私は内心「こんな楽器の音が良いはずがない」と思っていますが、現実は現実です。受け入れなくてはいけません。人が音が良いと感じるとまで含めると心理学の世界です。


弦楽器についてウンチクを語るのが愚かなのは、20年やってきた私でも分からないことだらけで規則性や法則性を言うことが困難だからです。むしろ経験するほどそのようなことが浅はかだったと気づきます。
ましてや一般の人は我々が修行をするレベルで勉強することすらできません、初めて数か月程度の知識にしか到達しません。だったら何も知らないという前提で音に向き合った方が良いでしょう。