音大の学生に弦楽器について教える授業 | ヴァイオリン技術者の弦楽器研究ノート

ヴァイオリン技術者の弦楽器研究ノート

クラシックの本場ヨーロッパで職人として働いている技術者の視点で弦楽器をこっそり解明していきます。

こんにちはガリッポです。

前回のお話でもだいぶヴァイオリンというのがどういうものなのか分かってもらえたかと思います。音をテストして値段を決めるようなことが行われていないのでヴァイオリンの良し悪しが値段には表されていないという事でした。良いものが欲しければ高いものを買えば良いというほど単純でないことになります。

こう言うとヴァイオリンは奥が深いなと思うかもしれませんが、むしろは奥はとても浅いのです。初めて楽器としてのヴァイオリンに興味を持った時には奥に行き過ぎてしまっています。つまりヴァイオリンは修行すれば誰にでも作ることができ、なぜかわからないけどみな音が違う、このため好みのものを探さなければいけないということです。

特別な才能を持った職人が何年も研究を重ねて極致に達するというのではなく、初めてプロのヴァイオリン製作を学ぶとそれで十分で、後は音の好みの問題です。そこから究極の美しさに仕上げようが、要所を抑えさて手を抜こうが音は好みの問題でしかないのです。演奏者は音にしか興味がないからです。

特にチェロになると、品質がヴァイオリン製作学校のレベルより劣るものが多くなります。今もちょうどイタリアのモダンチェロがありますが、ヴァイオリン製作学校の生徒が作ったかそれ以下のレベルのものです。でもイタリアのハンドメイドのモダンチェロなので最低500万円はするでしょう。チェロを作る場合には学校で教わったレベルでも採算を考えるときれいに作りすぎなのです。チェロを作る才能とは細かいことが気にならないことです。1000万円以上してもまじめに作られず学生以下のものはあります。それも楽器店で「イタリアの巨匠」として持ち上げられると、一般の人は分からないのでお金持ちは買ってしまいます。音は試してみないと何の保証もありません。

マルクノイキルヒェンの戦前のチェロも来ていました。メーカーの名前がついていて、東ドイツのマイスターの製品です。自身作のヴァイオリンとも作風に共通点がありそのマイスターの製品と言えるでしょう。でもおそらく分業で従業員などが作ったのかもしれません。
イタリアのモダンチェロなら500万円しても素人が作ったようなものだったり、200万円くらいのドイツのモダンチェロだと工場製という感じがするものです。いかに安く作るかということがチェロでは特に求められます。そうでないと産業として成り立ちません。

学校では建前の楽器製作を教えているというわけです。

つまり優れた職人とはそこそこのものを素早く作れるということで、そのような「優れた職人」によってイタリアの楽器がたくさんに日本で売られてきました。チェコやマルクノイキルヒェンでもそうでした。

私にとっては才能や情熱を使い切ることができない「つまらない仕事」です。そのように弦楽器製作は奥が浅いということを私はようやくわかってきました。

私は自分が納得するものをごく少数作るだけです。日々需要のある仕事もしてお金も稼がないと暮らしていけません。

よく考えてみれば当たり前のことで、道具はそういうものです。スマートフォンを見てもみな同じ形をしています。私からすればみな同じに見えます。ヴァイオリンも一般の人からすればみな同じに見えます。世界中の人たちが使う、現代の工業製品でも二つしかOSの方式が無いのですから、ヴァイオリンに個性が無いとしてもおかしくありません。みな同じになるというのは工業の世界では合理性があるのでしょう。



さて今回は音大の学生に弦楽器について教えている話です。
勤め先は観光地にあることもあって、工房見学のツアーも頼まれることもあるし、小学生くらいの子供たちが見学に来ることもあります。それはせいぜい1時間くらいのものですが、楽器を自分が弾いたり買ったりするわけではないので「木材は何を使っているか」とか作りかけの楽器を見せて話をすれば、得したと思って帰って行ってもらえるのです。
修行に何年もかかるものが1時間で理解できるはずがなく、ざっとした知識だけです。

それに対して地元の音大から授業を頼まれていて師匠が教えています。弦楽器を弾く音大の学生が工房に来て授業を受けるというものです。

何年か前からやっていますが、卒業生は教師として生徒に教えている人も少なくありません。楽器についての知識を未来の先生に持ってもらいたいというわけです。私はブログで同様の活動をしています。当ブログの方は熱心な人が多いと思いますのでそちらから古い知識を更新してもらいたいです。

先生は音楽の教育は受けても楽器自体についてはちゃんと教育を受けることがありません。しかし楽器の購入や扱いでも生徒にとっては重要な情報源になります。楽器の購入では先生の意見を参考にすることが多いのです。
このため日本の場合には、先生の立場のほうが楽器店よりも上になります。楽器店は先生に気に入られるように営業をして、嫌われてしまったら終わりということです。これが楽器店の営業マンの仕事です。うちでは営業職の人はいません。日本ほど営業努力は必死ではありません。その方がお客さんのためになるでしょう。
ともかく楽器のことをよくわかっていない先生に決定権があるのです。偉い先生が楽器のことはちんぷんかんぷんでも、楽器店の側は「先生の方が楽器の良し悪しを分かっている」という体裁で接しないといけません。これは悪循環です。

それに対して、こちらではお互いに専門家として対等です。
特にこれから先生になる学生には教えやすいです。とにかく若い人のほうが素直にものを学ぶことができるようです。



観光客の工房見学より時間があると言っても週に一回半年くらいの授業ではなかなか難しいです。また教えている師匠の知識も古いような感じもします。

ヴァイオリンの起原のような話から始まってガスパロ・ダ・サロ、アンドレ・アマティの名前が出て、ヤコブ・シュタイナー、ニコラ・アマティ、ストラディバリ、デルジェスまで行くと歴史の授業は終わりです。実際にはそれ以降が面白くて、実際に購入する楽器もそれ以降のものなのですが、知識はストラディバリ、デルジェスで終わってしまいます。それ以外の作者になるとマニアックすぎるのです。
その音大では古楽も教えているのでバロック楽器がどんなものなのかも教えています。現物を見せることもできますが、理解はできず知識だけのものです。


そしたら材料から楽器の作り方を一通り教えて、ニスの話になるととても難しくなりすぎます。工房にある材料を見せることもできますが、一つ一つどんなものが理解するのは無理でしょう。いくら説明しても頭に残っていはいないでしょう。
ニスは自分で作って塗ってみて初めて分かるようになります。

最後に楽器のメンテナンスについて教えます。これはとても実用的なものです。授業だということも忘れてみな熱心に取り組んでいました。自分の楽器を持ってきてメンテナンスを学びます。音大生といっても高価な楽器を持っている人はいませんでした。


これが教科書的な弦楽器の知識の内容です。
肝心なことが抜けています。楽器選びが無いです。しかし日本と違って誤った知識が広まっていないのでその必要はありません。知らない方が良いことが多すぎるのです。みなすでにコストパフォーマンスの良い楽器を持っています。
買う時は予算を決めて作者名は見ずに試奏して選ぶからです。

それでも弦楽器に起きることは様々なのですべて教えるのは難しいですね。ある時生徒のヴァイオリンの駒が割れてしまったと先生から郵便の封筒で割れた駒が送られてきました。同じものが欲しいというわけです。しかしヴァイオリンを送ってくれないと駒を作り直すことはできません。なぜなら、駒の脚を加工して表板にピッタリ合うようにすることと、弦と指板との間隔を正しくする必要があるからです。先生は自分が駒の交換をしてもらう時に少しそのような話を聞かないといけません。先生になってからでも工房に頻繁に足を運んでおくと理解度も深まってきます。先生でさえも全く何もわかっていない人が多いのです。
音楽家には木工技術的なことに興味がない人も多いですから。


当ブログではむしろ熱心な人たちが「現実」からかけ離れた知識を集めてしまっているのでそれを忘れてもらうためにいろいろな角度から話をしています。

このような実用的な楽器の理解だけではなく、趣味として楽しむ方法も考えています。オールド楽器の魅力なども伝えています。でもあくまで趣味趣向の話であって、神格化してそれ以上のものだと勘違いしないようにくぎを刺すようにしているのです。

これまでの時代に無かった弦楽器の楽しみ方を考え出しても良いでしょう。
そのような模索をやっています。