「好きな音」という考え方 | ヴァイオリン技術者の弦楽器研究ノート

ヴァイオリン技術者の弦楽器研究ノート

クラシックの本場ヨーロッパで職人として働いている技術者の視点で弦楽器をこっそり解明していきます。

こんにちはガリッポです。


弦についてブログでの取り扱いは検討するほど難しさを思い知ります。
ヴァイオリンについてはナイロン弦が主流なので中級品でもひどく悪いということがありません。もともと素材として優れているのでひどく嫌な音がしないということです。これがスチールなら特別なものが必要になります。

私が考えたのは、各メーカーの中級品を試してみることです。たいがい定番の主力商品は子供用などのバリエーションが豊富なものです。その中で好きなメーカーを見つけて、上級品や新製品を試すというのが効率的だと思います。特に最近の高級品は楽器や演奏者によって当たり外れが大きいように思います。基本的な楽器の能力や音は中級品でも十分で、それ以上の趣味趣向となったときに高級品があると考えた方が良いかもしれません。ガット弦もしかりです。

チェロはそうはいきません。「悪くない中級品」が求められていますが各社成功するには至っていないようです。かつては高級スチール弦も種類が少なく良いものが限られていて、何種類かから選べば良かったのが今では選択肢が多くて値段も高いので試すだけに4万円も出すのは大変なものです。ヴァイオリンと違って耐用年数もあるので試しに違うものを張ってみようなんてわけにもいきません。
ラーセンのイル・カノーネさえまだ試す機会が無いうちに、トマスティクからロンドというものが出ました。これだけ製品が豊富になってくるとヴァイオリン同様にラーセン、トマスティク、ピラストロ、ダダリオの中から好きなメーカーを決めると良いかもしれません。

各社がしのぎを削っているのは明るく輝かしい「ソリスト用」というもので、近年聞くようになったのは「focused」という言葉です。日本語にすれば焦点があっているとか集中しているという意味です。はっきりとした音と言えます。
世界的に望まれていて特にアメリカや日本で好まれるものです。
「音量が増大する」という魔法のような効果が期待されるのは当たり前ですが、技術的には無理もあるようです。

これがヨーロッパでは暖かみがあり豊かな響きのあるものが好まれるでしょう。このため各社はこの2系統の音の製品を用意するようになっています。ピラストロではガット弦の時代からこのような性格分けがあり現在ではエヴァピラッチとオブリガートという関係になっています。

基本的には「世界向け」と「ヨーロッパ向け」という地域に分けた製品のラインナップになると思います。こういう事情があるので私がお客さんと接する中で感じていることも日本の皆さんにはピンとこないかもしれません。

一方で日本の業者は変な空気を読みすぎています。
おそらく明るく輝かしい音を良い音だと信じている人が多いため、それが単に好みの問題であると言われると信念が傷つけられた印象を受けるでしょう。お客さんに気を使うあまりに相談しても単刀直入にものを言ってくれないでしょう。
それも元をたどれば、自分たちが売りたい楽器を称賛するために作り上げた理屈を否定しないように気を使っているとも言えます。
嘘をつくと嘘を重ねることになってしまいます。
私は嘘をつき通すのは面倒で自信がありません。
自分の好みを相対的なものだと自覚したうえではっきり言ってもらえる方が対応しやすいです。

弦の開発がどのように行われているかは私もわかりません。少なくとも新製品がたくさん出るということは迷いが相当あるようです。トマスティクは一度にドミナントプロ、TI,ロンドという3種類も新製品を出しています。開発して来た候補を一つに絞れなかったとも言えるでしょう。
チェロ弦ではバリエーション違いをはじめから用意したラーセンのイル・カノーネ、バージョン違いを次々と発売したピラストロのパーペチュアルもそうです。

作っている会社の人も甲乙つけがたいのですから、群を抜いて優れたものなんてないということです。

シェアを伸ばそうと新製品を出すけども、新製品に注目しているのはマニアくらいでほとんどの人は知りません。種類が増えることによってわかりにくくなり、さらに昔からある定番のものに人気が集中するという悪循環のように思います。

インシュレーターの開発

コロナのために余暇時間が増えたので音楽鑑賞の趣味を復活すべくオーディオ機器のバージョンアップを試みていました。

デジタル時代に対応するべく外付けのDAコンバーターを追加するところから始まりましたが、結局CDを買うというスタイルに落ち着きました。
音質面では金属的で耳障りな音が不満で、それを解消したいと思っていました。言い換えればオーディオ的な音をもっと自然な音にしたいのです。
DAコンバーターやケーブルの交換、電源タップの交換などで多少の効果はありましたがまだまだ柔らかく暖かみのある音とは程遠い物でした。

オーディオの不思議なところの一つは、スピーカーやオーディオ機器の触れている物質の音がするというものです。石の上に置けば石のような硬い冷たい音になるというわけです。
オーディオラックは自作したものですが、ラックとオーディオ機器の脚の下にインシュレーターというものを挟みます。スピーカーとスピーカースタンドとの間、スピーカースタンドと床の間も同様です。

以前にも紹介しましたが、私は木材の素材としての音が好きなので、木材でインシュレーターを作っていました。ヴァイオリンに使うのはスプルース(ドイツトウヒ)というものです。これは確かにヴァイオリンらしい音になりましたが明るく耳障りな鋭い音を持っていました。これに対してウォルナットを試してみると高音が落ちついて低音が厚くなり暖かみのある音になりました。この意味では効果があったと言えます。

しかし新たな不満点が生じました。
普段は暖かみがあり柔らかい音なのに、オーケストラのフォルテシモのような一度に音量が増すとガチャっとつぶれたような音になるのです。素材として硬すぎると思います。
特に音量を上げるほどひどくなります。「歪みが生じる」ということだと思います。クッションのストローク感が足りないのです。

そこではるかに柔らかい素材のコルクを試してみました。
ウォルナットに比べると確かに歪み感は減りました。音自体は明るく低音は控えめになり濁ったような音です。
更にクリアーさが必要です。

そこで目を付けたのが「ナノジェル」という素材です。日本では「耐震ジェル」として100円ショップなどで売っているようです。こちらには100円ショップはありませんしロックダウン中で商店も開いていないのでアマゾンで注文しました。地震が無い国では耐震ジェルという商品名はありません。ガラス製の天板などを固定する目的のようです。

これはポリウレタンのような高分子素材で粘着剤ではなくヤモリの手足の様に分子の引き合う力で接着するというものだそうです。生産国がほとんどすべて中国なので理屈が本当なのかわかりません。
私は粘着力は必要なくむしろくっつかないように処理が必要なくらいです。

はじめに4mm厚のものを試してみるとこれが失敗でした。
素材自体の柔軟性で音は柔らかくなるはずですが、アコースティックの楽器が持っている豊かな響きが吸収されて鋭い芯の音だけが残るようでした。余計に鋭くなってしまいました。これはゴム系のインシュレーターでも起きると思います。日本ではソルボセインなども昔から売られています。余ほど音量が大きければ良いのでしょうが、近所迷惑になってしまいます。小音量で豊かな音にするために響きを大事にしたいです。


次に0.5mm厚のテープ状になっているものをコルクに張り合わせてCDプレーヤーで試してみました。音の柔軟性は増しコルクの弱点の音の濁りが無くなり澄んだものとなりました。さらに重ねて厚みを増すと効果はより強くなりました。そこでアンプやスピーカーなどあらゆるものに試してみました。そうすると効果が出過ぎて4mm厚の時と同じような傾向になってきました。そこで厚みを減らしていきました。
このテープは接着力の無い面が滑るので危険でもあります。スピーカースタンドと床の間で使うと位置がずれていく可能性があります。スピーカーの位置は少しでもずれると音が変化します。掃除などの時に思わず動かしてしまうかもしれません。そこで1mm厚の両面テープになっているナノテープを購入しました。

更に電源タップにも同様のナノテープ+コルクを四隅に取り付けました。その下にはシナノキの板を敷くともっとも柔らかさが得られました。弓の毛を固定するくさびに使われている柔らかい木です。
一方DAコンバーターは初めから柔らかい音を持っていて使わないほうが良い結果が得られました。

スピーカー用にはコルクを二枚重ねにして1mmの両面タイプを張ります。それから適当なサイズに切ります。

音を柔らかくすることが目的でしたが、様々な対策の副産物として音がクリアーで澄んだものとなり低音もはっきりし全体的に高音質になりました。

一音一音はっきり聞こえるのがオーディオマニアの好む音ですが、響きが豊かでなにがなんだかわからない音になりました。私の望んだものです。小型スピーカーとは思えない豊かな音になりました。音色には暖かみがあり昔(大昔)の大型スピーカーのような懐かしさのあるものですがHiFiとしての優秀さもあります。音楽的な抑揚表現はもともと過剰なほどで多少マイルドになったくらいです。

結果的に1000円もしないナノテープとコルクのシートで希望の音にすることができました。オーディオアクセサリーの世界では何万円もするのがざらですから。問題は材料の値段ではなく組み合わせを試した実験の労力が大きいです。

このようなインシュレーターは振動が機器に悪影響を与えるため振動を吸収すると音が良くなると言われています。しかしやってみると効果が強すぎるとマイナスになってしまいます。どうもその理屈は嘘のようです。

このようなことがあるので私は決してゴムやプラスチックのような素材を毛嫌いしません。同じようなことはナイロン弦でも起きると思います。例えばピラストロのヴィオリーノなどは澄んだクリアーな音が得られると思います。

このナノテープは面白い物なので弦楽器にも応用できないかと思います。
あご当てと胴体が触れる部分などに挟んだらクリアーな音が得られるかもしれません。弦の張力がかかる所は耐久性の問題で難しいと思います。
修理の時のクッション材としても使えるかもしれません。

開発のまねごとをして見ましたが半年かかりました。弦の開発もこういう事なんだろうなとは思います。

「好きな音」という概念

オーディオ機器でも一般の人はメーカーごとに音に特徴がありそれに好き嫌いがあることを知りません。ボーズとかソニーとか有名なメーカーのものが技術があって良さそうだと思うわけです。しかしオーディオ機器はそんなに技術が進歩するわけでなく、スピーカーなどは自作できるものです。そしてよくわからないことが音に違いを与えます。最終的にどんな音にしたいかというメーカーの基準が音を決めます。これに対して好きな音のメーカーというのができます。
自作では原価は安くできますが、好みの音を求めて試行錯誤を繰り返すと家じゅうがスピーカーだらけになってしまいます。このためヴァイオリンも自作するよりも買った方が安いです。

高級オーディオ店ではスピーカーなどを試聴して購入するのが当たり前です。自分の好きなCDを持って行って音を聞かせてもらうのです。

一般の人はそんな買い方はしません、何となく評判の良さそうなメーカーのものを買うだけです。マニアでも「ブランド信仰」というのがあって試聴しない人もいるでしょう。これは合理的とは言えません。昔有名になった機材を使い続けて若い人が聴くと「ゴミ捨て場に捨てられているステレオのような音」に感じるでしょう。
一方で無限に高音質を追求すると「高音質っぽい音」になるだけです。多少の懐かしさも趣味趣向の問題です。

今回の調整で私の好きな音に近づきました。
これは楽器でも同じです。鋭い音のモダン楽器よりも柔らかくて味のあるオールド楽器の音のほうが好きです。優秀なモダン楽器の高音は芯がはっきりしています、それに対してこの前のコンサートマスターの弾いていたアレサンドロ・ガリアーノではフワッとして形がありません。これが私が「別次元」と言っているものです。


とはいえ好みの問題です。
私のヴァイオリンも新作にしてはそのような雰囲気になるように目指しています。
しかし試奏しても良さに気づかない人もたくさんいます。

まず、音というのは好みがあるということをぜひ知ってもらいたいです。
弦メーカーやオーディオメーカーのような近代産業ではない弦楽器の世界では、作者は意図的に好みの音を作り出そうとさえしていません。決められた方法で作って来ただけです。国ごとに音の好みがあってもヴァイオリン職人はそれを作れないので生産国で音の特徴も無いのです。

私はそこに新しい考え方を取り入れました。
異なる構造の楽器を作ってみて、自分が好きな音のものを残していくという手法です。理屈は分かりません、結果のみです。

当たり前のように思うかもしれませんが、職人の間では正しい作り方が流派ごとに決まっていて違うことを試すだけでも師匠は機嫌を損ねるものでした。ヴァイオリン製作学校の先生は決められた数値を最高だと思い込み、モダンやオールドの名器がどんな風になっているかも知りません。

それでもなぜかわからないけどもそんな音になるということの方が多いです。
私の作るものは柔らかい音がします。理由は分かりません。
同じ師匠の門下でも音は違います。

手抜きによって作られた粗悪品でなければ、知名度や値段に関わらず我々は立派な楽器だと考えます。音は理由もなく作者や楽器ごとにみな違い好きな人がいるかもしれないからです。

私たちがその楽器の音をどう思うかは重要ではありません。買う人は自分で好きな音の楽器を選ばないといけません。