らしくないフランスのモダン楽器の事例 | ヴァイオリン技術者の弦楽器研究ノート

ヴァイオリン技術者の弦楽器研究ノート

クラシックの本場ヨーロッパで職人として働いている技術者の視点で弦楽器をこっそり解明していきます。

こんにちはガリッポです。

私はいろいろなヴァイオリンを紹介することで、法則性は分からないので試奏して音を気に入ったものを選ぶべきだと説明しています。
興味の強い人は良い楽器を見分ける規則があるのかと期待してしまうかもしません。私もそのようなものを目指して研究をしてきました。

研究すればするほどそれを言うのは不可能であることが分かります。

同じ楽器でも弾く人によって音が違います。どの音がその楽器の音なのかわかりません。同じ人が弾いている音を聞いても感想は人それぞれです。長年一緒に働いている同僚でも意見が分かれます。親しい職人の中でもそうなのですが、演奏家になるとまた違う価値観を持っています。先生も人によってバラバラです。


日本ではそれがまず、値段に音の良さが伴っているという勘違いが多いということを、無名の作者の安い楽器でも音が良い楽器を紹介して正そうとしてきました。

その時に技術的なことに触れて、それが単なる商業上の幻想であることを説明しようとしました。作りに何も悪い所が無い楽器であれば作者が無名でも弾いてみたら音が良いかもしれません。こうなっていると音が良いというのではなく、何の問題もなく作られているのだから音が良い可能性があるということです。
一方高い値段の楽器でも安価な量産品と作りが変わらないなら音も変わらないかもしれません。そのことも紹介してきました。

他にも様々な思い込みがあります。
偉い有名な職人のものが音が良いとは限らないということもその一つ。人間の社会で偉くなることと物理現象としての音に関係が無いからです。

道徳的なこともあるでしょう。一生懸命やっていれば音が良くなるはずだというのも思い込みです。物理現象とは関係ありません。

同じ門下の職人でも音は微妙に違います。
師匠から見れば腕が良く優秀でお気に入りの弟子も、ずるくて怠け者の弟子もいるでしょう。これが音になると全く別の話です。ずるくて怠け者の楽器の音のほうが多くの演奏者に好まれるかもしれません。師匠の楽器よりもです。

真に科学的に考えるなら、人間の社会での人格の評価や地位、道徳や倫理と音は関係が無いという事実を認めるべきです。

多くの人はこのようなことを理解できません。偉い師匠の教えが現実にユーザーの求める音からかけ離れていたとしてもその事実も認められません。


また、商取引で重要視されるのは「国」という意識です。これもまた物理現象としての音とは関係がありません。

規則で同じ国では全く同じように楽器を作らなくてはいけないと決まりが無い限り、同じ国でも様々なものが作られます。
職人は下手であるほど品質が不安定で決められたものとは違うものができます。
下手な職人を排除することは民主主義の国家では難しいでしょう。政治の話であり、職人が集まって話し合いで決めたとすれば平均的な職人の考えることが優勢になるでしょう。空気を読んでその作風を探りあっているのが現代の楽器製作です。

不まじめな職人のほうが多いのは、他の人間の職業と同じです。民主主義では多数派が勝ちます。そうなるとどこの国のものでもどんな音がするかはわからないです。

私の様に製造国と国籍が違う場合もあります。どっちなんでしょうか?
弦楽器業界では高く売れるほうにしてきました。純粋に商業上の理由です。


さらに言うと決められた作風で作ったら誰が作っても同じ音になるかというとそれもまた違います。


このように「規則性が分からない」というのが長年やっているほどわかってくることで、それが弦楽器の面白さだと思います。技術者の視点でもひどくなければなんでもいいとしか言えません。


それでも統一感があったのは19世紀のフランスです。民主主義ではなくニコラ・リュポーの独裁体制だったから決められた作風の楽器が作られ優秀な職人が選抜されました。他の国の楽器はバラバラなのに19世紀のフランスの楽器だけが国の特徴を言うことができるというわけです。独裁者の個人的な趣味趣向が流派を決めると言っても良いでしょう。リュポーのヴァイオリンもソリストに愛用されていますから必ずしも悪いものではありませんでした。むしろ、世界中の職人がフランスの楽器を真似るほどあこがれの対象だったのです。

私は政治なんかには興味がありませんから、純粋に楽器に興味があるだけです。独裁体制でないとできないものがあるということです。したがって今では同じことはできません。
だから19世紀のフランスを除けば国によって作風が決まっていることが無いと言えるのです。


そのフランスでさえ、作風にはばらつきがあります。
はじめにミルクールでヴァイオリン製作を学んだうち、優秀な職人はパリの一流の職人の下で一流のフランスの楽器製作を学んだのでしょう。
というのはミルクールの楽器はかなりばらつきがあって統一感が無いのです。
見た目は大量生産品というのは同じようなものがたくさんあるので見てすぐに「ミルクールのものだな」というのは分かります。
でも音響的に重要な楽器の作りに統一感がありません。
ミルクールでの教育はアバウトだったのかもしれません。

もう一つ考えられるのはミルクールでも一流の職人が決まった作風を教えて、腕が良くまじめな職人は教えの通りに作ったけども、不真面目な職人はそれから外れたものを作ったというものです。

とても安価な製品では手抜きのためにちゃんと作られていないのかもしれません。一方で外見は立派なに作られているミルクールの楽器でも中がひどいのはあります。こういう楽器は改造するベースに適しています。修理の職人の技量が問われます。


はっきりしたことは分かりませんが、ミルクールの楽器にフランスの楽器の特徴を求めてはいけないということは言えます。
ミルクールの楽器は作風も音もバラバラだと考えた方が良いでしょう。ドイツの量産品との違いは最盛期の時期が違うのでミルクールのもののほうが古いというくらいです。音については弾き比べて好きなものを選ぶしかありません。

これはミルクールのヴァイオリンです。外見は中級品くらいのクオリティがありますが、板が厚すぎます。フランスの一流品なら2.5mmくらいのところが4.8mmもあります。チェロよりも厚いです。これならドイツの量産品と見ため以外変わりません。その見た目も一般人には違いが分かりません。


ミルクールの楽器は値段が高くなってきているのですが幻想を持つべきではありません。一方一人前の職人でも典型的なフランスの楽器から外れるものがあります。典型的なフランスの楽器は案外限られているのかもしれません。今回はそんなものの紹介です。

フランスのモダンヴァイオリン?


この前鑑定士に楽器を見てもらった話をしました。その中でピエトロ・グァルネリのラベルが付いたものの話をしました。詳しい鑑定結果が出ました。

このヴァイオリンです。


表板はとても高いアーチになっています。

裏板も負けじとぷっくらと膨らんでいます。
このような楽器にピエトロ・グァルネリのラベルが貼ってあると本物かどうか焦点になるわけです。私はすぐに本物でないことは分かりました。
問題はそれではこれがいったい誰が作ったものなのかということです。

オールド楽器のような雰囲気はあるので他のイタリアの作者かもしれないと思いました。

鑑定結果はフランスのフランソワ・イポリット・クサン作のヴァイオリンだそうです。クサンの生まれたのが1830年で1898年に亡くなっています。したがってオールドの時代の作者ではなく、モダン時代の作者です。1850年以降に楽器を作ったと考えて良いでしょう。

このような楽器が出てきたときにフランスのモダン楽器だという発想がまずないですね。さすが鑑定士です。フランスの楽器に詳しい人ならあるかもしれませんが私は全然わかりませんでした。


スクロールはいわゆるフランスのモダン楽器とは全く違います。しかしオールドのアマティの流派とも全然違います。

イタリアの感じがしませんでした。

何と言っても特徴的なのはアーチです。

フランスのモダン楽器として知っているものとは全く違います。




これを見てフランスのモダン楽器という発想はありませんでした。

作風が完全にオールド風だからです。じゃあこれをオールド楽器と呼べるかと言えば、やはりモダン楽器としか呼べないでしょう。「オールド楽器のコピー」として作られたモダン楽器です。
この作者は父親の代からオールド風の楽器を作っており、他のフランスの作者とは作風は一線を画しています。例えばヴィヨームでも塗装はアンティーク風にしていますが作風そのものは当時の新品の楽器と変わりません。そのためストラディバリのコピーでもまぎれもないフランスのモダンヴァイオリンです。
それに比べると明らかに違うのがこの作者です。生産数はかなり多かったらしく日本でも出回っているかもしれません。

値段はさほど高くなく最高でも300万円程度です。

サイズと板の厚み



板の厚みを見ると規則性を見出すのが難しいです。全体的にとても薄いことは分かります。アーチが丸みを帯びているためちょっとした彫り方で厚みが変わってしまうのです。とはいえ特に裏板はメチャクチャという印象を受けます。

面白いのはこのような板の厚みで19世紀後半に作られ100~150年くらい経過しているのにもかかわらずひどい変形などはありません。

特に裏板の中央は2.0mmくらいしかありません。こんなのは見たことありません。でも魂柱の来るところは3.8mmほどあり十分な厚さです。そう考えると魂柱のところだけ厚ければ大丈夫だとも考えられます。私にとっても新しい知見です。

サイズは357mmとフランスのものにしてはさほど大きくありませんが、それより幅が細くなっています。特に中央は直線距離では104.5mmと細くなっています。アマティで106、ストラディバリで108、ピエトロⅠで110、デルジェスで110~113くらいです。

気になる音は?


音は興味深いです。うちで修理したものではなく万全な状態ではありませんがとりあえず弾くことはできます。

音を出してすぐにわかることは細く鋭い音であることです。柔らかくて太い音とは真逆の細くて鋭い音です。
鋭くて強い音です。
これはシュタイナーでも細くて強い音がします。でもシュタイナーは音の質は柔らかいものでしたがこれは、硬く鋭い音です。
これは解釈の余地がありますが、強い音と考えることもできますし、細い分ボリュームが無いとも考えられます。音量があるかどうかも人によって考え方が様々です。商売人はそれを巧みに利用します。

音色は暗く味のある枯れた音がします。モヤモヤしたような鈍い音は一切ありません。

これが高いアーチの楽器の音かと言われれば、典型的な音と考えられます。反応が鋭く、細い音がします。
じゃあフラットなアーチの楽器が太く豊かな音がするかというと、それは物によるとしか言いようがありません。
私が作ればそのような違いはあると思いますが、全く別の作者のものと比較すると規則性は言えません。

フラットなアーチでも細く鋭い枯れた音のヴァイオリンはあります。特にミルクールの量産品にもあります。こうなると何の規則性も言えなくなります。
ただし、この楽器の場合には高いアーチの楽器の「室内楽的」という面が出ているように思います。やはり太くて豊かな音のほうがソリスト向きだと思います。
私がよく言う「窮屈さ」があるとおもいます。
オールド楽器の様な作風だから優れているというのではなく、やはりモダン楽器は優れているのです。

この楽器は板が薄く、裏板は特に薄いです。それによって柔軟性はあり、どうしようもなく窮屈ということは無くて、味のある音色のヴァイオリンということは言えるでしょう。人によって好き嫌いが分かれるということです。何本か持つなら面白いヴァイオリンとも言えます。

おおざっぱなイメージとして柔らかい音のイタリアのオールド楽器に対して鋭い音のフランスのモダン楽器というのがあります。この楽器はまさにフランスの楽器のイメージ通りの音です。

私は国によって音はイメージできないという話をしています。しかしこの楽器のようにイメージに当てはまるものもあります。作りが全く一般的なフランスの楽器と違うにもかかわらずです。逆にフランスの楽器らしい楽器でも柔らかい音のものがあります。

こうなると何の規則性も言えません。

細く鋭い音の楽器ですがどちらかというと低音のほうが鳴りやすいです。暗い味のある音色がします。これは板の薄さの影響だと思います。私が規則性としてかろうじて言えるのが板の厚さと低音の量感や音色です。当ブログでもそこまでは言ってきました。それすら他では聞いたことがありませんでした。

クサンのヴァイオリン

この作者をどう評価するかは難しいでしょう。主流派のフランスのモダン楽器とは全く違う作風であることは確かです。その点では個性的です。音については好き嫌いとしか言えません。
ピエトロ・グァルネリのラベルも初めからついていたのか後の時代の人が貼ったのかもわかりません。いずれにしても何かに忠実なコピーではないようです。

一般的にモダンの作者ではオールド楽器の複製が見事であれば、特別値段も高くなるものです。これは見事なのかよくわかりません。古い楽器の感じを出すのはうまいと思います。
古い楽器の感じがしますがソリスト用という意味で優れた楽器かと言われれば難しいです。

フランソワは兄弟がもう一人いて父親の代からこのような作風だったと思われます。父親はおそらくはじめは普通のモダン楽器の作風を習ったはずです。そのためオールド時代の伝統を受け継いではいません。

その時代の常識を捨ててオールド楽器のコピーを作ること自体むずかしいことです。まじめで優秀な職人ほど難しいものです。
ただ単にモダン楽器を雑に作っただけのものはたくさんあります。よく偽造ラベルが貼られて出回っているものです。

まじめで腕が良い職人の中で常識を逸脱して、さらに音まで良いものとなるとわずかな割合となるでしょう。

平らなアーチののほうが太い音がするかとそれも言えません。平らでも細い鋭い音のものがたくさんあります。それらは「強い音」として高く評価する人も多いです。趣味趣向の問題です。
私の作る場合にはもはや音が柔らかすぎると思う人も多いでしょう。高いアーチくらいのほうが強さが感じられてちょうど良いのかもしれません。しかしフラットなアーチでも細い音の人はそれ以上フラットにできません。
そのように作者には癖があり、自分の癖に合った作風を見つけるのも一つの可能性です。それよりもあきらめて自分の楽器の音を好む演奏者を探すほうが合理的です。

ユーザーの側からすると現実に音が良い楽器を買いたいならとにかく弾いてみて音が気に入ったものを選ぶしかないということです。


人間というのは何かしら物事には原因を求めます。それが迷信、神話、悪魔、妖怪などを生み出して来ました。商売人はそれを利用してきました。
科学的であるためにまずできることは、原因が分からないという理不尽な現実をそのまま受け止めることです。