チェコのモダンヴァイオリン、フランティシェック・カレル・クリーシュ | ヴァイオリン技術者の弦楽器研究ノート

ヴァイオリン技術者の弦楽器研究ノート

クラシックの本場ヨーロッパで職人として働いている技術者の視点で弦楽器をこっそり解明していきます。

こんにちはガリッポです。

前回のイギリスのチェロの続報から。
チェロ教師の方が試奏しましたが特にDやC線に違和感はなかったようです。エヴァピラッチの3/4で試奏用には十分でしょう。弦長が3/4と7/8の間ですから明らかに小さく感じたはずです。「自分には小さすぎる」と言っていました。
強く興味を持った人は自分の好みに合わせて追い込んでいく必要があります。

その一方で小さなチェロとは思えないほど音が良いとも言っていました。
演奏技量からするともっとスケールの大きなチェロがあっているだろうとは思います。モダンチェロのほうが良いでしょう。

体が小さくてどうしても小さなチェロが良いという人にはうってつけのものです。むしろ日本人向けかもしれません。売りに出しているものなのでどうしても小型のチェロで音が良いものが欲しいという人に譲ることはできます。なにぶんコロナで行き来も難しいのですが。


今回はチェコのモダンヴァイオリンの紹介です。
結論から言うと音はとても良いです。なんでこんな作者が無名なのか、やりきれない思いがします。ちゃんと評価している人がいないのです。

フランティシェク・カレル・クリーシュのヴァイオリン



フランティシェク・カレル・クリーシュ(1887~1943年)はチェコのプラハの生まれでシェーンバッハの学校で学んだあとドイツのライプツィヒ、ザールブリュッケン、スイスのチューリッヒで働きプラハに戻って、この楽器は1921年にプラハで作られたものでちょうど100年です。

作風はどこのものなのかはっきりわかりません。少なくともボヘミアのシェーンバッハの面影はありません。チェコと言ってもボヘミアはもともと東ドイツの流派で国境が今と違ったのです。プラハの方は音楽都市として独自の流派を形成していました。本によるとクリーシュはヤン・クリークの作風に似ているのだそうですが、クリークはウィーンのマーティン・シュトッスに学んだそうです。
そういわれるとマーティン・シュトッスにも似ているように思います。
それも一つのプラハの流派ということですね。ドボルジャークという職人も有名です。これもシュバイツァー(ウィーン→ブダペスト)やクリークの影響を受けた父と息子はシルベストゥルやガン&ベルナーデルのところで働いてフランスの影響を強く受けています。
同じチェコでもシェーンバッハとは全く異なります。

このような名前は、お馴染みの重要な職人として語っていますが皆さんは全く聞いたことも無いかもしれません。

f字孔はウィーンのマーティン・シュトッスに似ています。

エッジの溝は浅いカーブでコーナーもややフランス的な感じがあります。作風はとてもいろいろなものが混ざっているようです。

スクロールは渦巻きのところが小ぶりでビオール族の楽器のようでもあります。仕事自体はきれいです。

アーチはアッパーバウツの一番広い所から上と、ロワーバウツの一番広い所から下が真っ平らになっています。

中央はエッジから大きくえぐられたようなカーブをしています。

かなり個性的なアーチです。

もう一つの特徴は横幅がとても広いです。

左から2番目がクリーシュのヴァイオリンです、他のものよりも明らかに幅が広いのが分かると思います。

サイズと板の厚み



サイズは中央に書いてあります。ミドルバウツのカッコ内はアーチを含まない幅です。
ストラディバリモデルよりも5㎜近く幅が広いと考えて良いでしょう。

表板の厚みは中心だけが厚めになっていますがそれ以外は薄めにできていています。裏板もオールドのイタリアやフランスのモダン楽器のように薄くなっています。
どこの流派にも流派の「規則」をやぶった薄い板の楽器が散発的にあるとこの前も語りましたがまさにそれです。最初に習ったシェーンバッハにははっきりとした特徴があります。それとは違います。
先生に習ってもそれで終わりとせず別の場所で学んだり研究を重ねたのでしょう。
今でも先生や師匠に習ってその作風で一生を終える職人のほうが多いです。

クリーシュのヴァイオリンの音は

今回は表板がバスバーのところでぱっくりと割れてしまったのを修理したものです。バスバーのところは木片で補強できないので表板を浅くくりぬいて新しい木を張り付ける修理をしています。
バスバーも新しいものとなり万全の状態です。

修理したてですぐに弾いてみるとまず驚くほど音量があります。音は鋭いものでは全くなく柔らかさがあります。低音のボリュームが豊かでまさに「ビオラのような音」です。
うちでは最も売れるタイプの理想的なものでしょう。
力のあるソリストが弾いたらデルジェスのような力強い音が出るんじゃないかと思います。

お店に小さな女の子が来ていて、同僚が「ヴァイオリンを弾くの?」と聞いたら「うん」と答えて「どの弦の音が好き?」と聞いたら「G」だと
小さな子でもちゃんとわかるんです。それに引き換え理屈でこねくり回す大人たち。


値段は作者が有名でないために相場もありません。プラハの楽器はわりと評価が高くてクリークやドボルジャークで300万円ほどです。それより無名なクリーシュでも200万円で高すぎるということはないでしょう。音で言えば完全にそれ以上です。見た目も琥珀色の茶色で個性的なアーチなのでイタリアの作者のラベルに貼り換えて800万円で売っても音が悪いからニセモノだ思う人はいないでしょう。詳しい人ならそのイタリアの作者の楽器がこんなに音が良いはずがないと気づくかもしませんが…。

幅が広くて板が薄い、アーチが平らで100年経っていればよく鳴るのは普通のことです。作者の名前が有名かどうかは関係ありません。
その上でアーチには個性があり、音も柔らかい音がしてよくあるやかましいだけのモダン楽器とは一味違います。必ずしもオールド楽器のコピーを目指したわけではないのにソリスト向きの力強さが大前提で、さらに音色に味わいや柔らかさもあるのです。私は見事な楽器だと思います。勉強になります。

とはいえ、音大生や音大を目指しているような学生がこの楽器の良さに気づくかというとまた別の話ではあります。あくまで好みの問題です。

作風も個性があり立派な作品ですね。それで無名で値段が安いとすれば、まともに楽器の良し悪しを評価して値段に反映させている人なんていないということです。これは肝に銘じておくべきものです。

かなり個性的なアーチですがこれも音を悪くしているようではないようです。ミドルバウツのエッジを大きくえぐったオールド楽器では窮屈になってしまうため味のある音色と引き換えに豊かなボリューム感は抑えられるというイメージを持っていました。
これくらい大きなサイズで全体的にフラットなものならそれくらい変わったアーチのほうが音にキャラクターが出るのかもしれません。
それが単にまっ平らなだけだとよくあるようなモダン楽器になってしまうかもしれません。意図したかどうかは分かりませんがモダン楽器の優れた点を生かしながらも味のある美しい音の楽器ができているのです。

①幅が広い、➁平らなアーチ、➂板が薄いもの、が100年も経てばとりあえず鳴るでしょう。十分よく鳴るのであれば多少音量を犠牲にするようなことでバランスを取ったり音色にキャラクターを与えるようなことをしても良いと思います。例えば二つだけ条件を備えれば良いということです。ピエトロ・グァルネリのコピーでは幅が広いモデルで板が薄く、アーチは高い物でした。


幅が広いモデルもヴィヨームがとても幅の広いビオラを作っていてそれにも似ているような気もします。

モダン楽器の良い所を寄せ集めたような楽器でもあります。私はオールド楽器のほうが格上だという意見には賛成しません。実際に弾いてみると虜になってしまうモダン楽器もあると思います。弦楽器は理屈で考えてはいけないと思います。

まとめ

このような楽器を目の当たりにすると、自分が楽器職人として学んだことがちっぽけな事だったと気づきます。現にクリーシュはシェーンバッハの学校で習った作風とは大きく変わっているはずです。各都市で様々な職人に学んだり一緒に仕事をしたり、優れたモダン楽器やオールド楽器を見て、音楽家との交流など幅広い知識を身に付けて行ったのかもしれません。このような偉大な先人も無名なのです。

みなさんが知りえる知識などは楽器製作を学ぶ初心者が知るようなレベルのものです。知識なんて捨てて実際に楽器を感じてみてください。

同じチェコでもプラハとボヘミアでは作風が違うということも知ってもらいたいです。プラハはウィーンとも関係が深いのは作風にも表れています。
フランスと関係の深かったドボルジャークもいました。国名でイメージするのはやめたほうが良いでしょう。

これより音が良い楽器を作れる職人が現代にどれだけいるでしょうか?
偉そうにできる職人などいないと思います。
まあ、謙遜しなくても100年後には匹敵するものになっているかもしれません。