ヴァイオリン職人の教育について | ヴァイオリン技術者の弦楽器研究ノート

ヴァイオリン技術者の弦楽器研究ノート

クラシックの本場ヨーロッパで職人として働いている技術者の視点で弦楽器をこっそり解明していきます。

こんにちはガリッポです。

はじめにハンガリーのヴァイオリンについて質問をくださった方にお知らせです。返事を書くのに遅くなってしまいましたが、コメントを返信しておきましたので見てください。
その作者もウィーンと関係が深く、ウィーン、プラハ、ブダペストは一つの関連のある地域と考えて良いでしょう。ハンガリーとオーストリアが一つの国だった時代もありますから。


今回のテーマはヴァイオリン職人の教育です。
成り行きで新人の教育係になってしまいました。課題で期限内にヴァイオリンを作らなくてはいけません。うちの工房に来てすでに一台はヴァイオリンを作っているので最初は余裕で「分からなかったら聞いてね」というくらいの感じでいたらとんでもないです。期限ギリギリになってこれはまずいと私が手取り足取り教えることになりました。

アマチュアにヴァイオリンを作るのは無理?

ヴァイオリンを作りたいという人はいて、趣味で取り組んでおられる方もいます。読者の方の中にも熱心な方はいるでしょう。
しかしながら、職人の教育をしていてアマチュアにヴァイオリンを作るのは不可能だと痛感しています。少なくとも私は教えることができません。
うちの工房でも何人かの「おじさん」の面倒を見たことがあります。先輩の職人が教えていました。見ていると新しい作業工程を意気揚々とはじめますが、そのうち自分の技能では手に負えなくなり先輩が代わりに作業工程を完成させていました。
「自分でヴァイオリンを作りたい」と言ってやってきたのに、殆ど先輩が作ったようなものでした。家族や知人には「自分でヴァイオリンを作ったんだ」と自慢するでしょうが、実際はほとんど自分では作っていません。

なぜこのようなことになるかは今になって身をもって感じています。
ヴァイオリンを作ることはゴルフに似ています。それぞれの工程で初めは大まかに加工して次第に完成の形に近づき、最後にピタッと決められた寸法や形に持って行きます。それぞれのホールで一打目をドライバーで打って最後パターで穴に入れるようなものです。

その最後がとても難しく穴にボールが入らないのです。木材を削る場合寸法が無くなったら終わりなので、カップをオーバーしたら一からやり直しです。それ以前にオーバーしてもOBです。

パターを持つ手がフラフラでスウィングする軌道がバラバラ、力加減が全く分かっていないと毎回どこにボールが転がるかわかりません。
ゴルフでも素人がグリーン上で何度も往復している姿を見ますがそれと同じです。
パットが確実に入るにはプロゴルファーの技量が必要です。
道具を持つ手がフラフラで仮に正解が分かってもその通りに加工できないのです。
正解は単純なものばかりではなく、グリーンの傾斜を計算するように正解をイメージしたり目で見たりしないといけません

パターが入るようになるとホールアウトして次のホールに行けるようになります。
ここまで来ると、今度は一打目が大事になります。一打目で的確な位置に持ってくることが勝負を決めます。そこまで行くのは一人前の職人のレベルですから、見習の職人に期待はできません。もし共同制作するなら師匠が粗削りをして大まかな形を作ると弟子が仕上げを行うのが合理的です。仕上げはとても難しいですが、フリーハンドで感覚に頼る荒削りに比べれば経験や才能がいりません。
パターが入りさえすればその工程を完成させられるのですが、何度やっても入らないのです。見ている方はじれったくなって代わりにやりたくなります。私が代わりにやれば一打でチョンと打つだけで入ります。しかしこれが初めて数年の職人では全くできないのです。
アマチュアなら工房に5年10年も通ってもできるようになるかわかりません。こちらはそんなに待っていられないので代わりにやってしまう方が楽です。

バスバーの接着面を合わせる作業などは1本目や2本目のヴァイオリンでは1週間くらいかかるのが普通です。私はヴァイオリン製作学校で一本目はビギナーズラックで6時間ほどでできました、先生は天才と勘違いしたのかもしれません。2本目ではちゃんと1週間かかりました。工房に勤めるようになってプロのレベルが求められるようになるとそれもまったく通じず最初のうちは訳が分かっていませんでした。
趣味のおじさんは何日やっても自分ではできずに先輩にやってもらっていました。

見習の子は今回9時間かかって材料が小さくなりすぎてやり直すことになってしまいました。この子は才能が無いのかとがっかりしました。
私の豆カンナを貸してあげると1時間でもう少しのところまで行きました。それから半日くらいで隙間なく接着できるくらいになりました。
つまり、どこをどれだけ削るべきかはわかっていても、道具が悪いために削るべきところと違うところまで削ってしまって、何時間やっても改善されず完成に近づいて行かなかったのです。
バスバーの加工についてはちゃんと理解していました。道具を整備する腕が無かったのです。

今回は見習の職人の課題なので代わりにやるわけにはいきません。刃物を研ごうにも道具を持つ手がフラフラなのでうまく研ぐことができません。切れ味が悪く、刃の形状があっていない使いにくい刃物でやっているのですからなおさら難しいです。

ヴァイオリン製作学校の先生なら、そんなことは承知でノウハウがあるのでしょうが、こっちは自分がヴァイオリンを作っている感覚が身についています。私に教わるということは小学生がいきなり大学の講義を受けるようなものです。

グラグラのパターでどうやってホールに入れるのか、私にはわかりません。何か「ずるい方法」が必要です。私が指示した通りにできるためには、朝から晩までフルタイムで取り組んで5年は必要でしょう。私が教えるものをアマチュアでは作るのは無理です。

今回はニコラ・リュポーのモデルでヴァイオリンを作っているので、リュポーなどフランスのヴァイオリンの写真や実物を見せてこの通りにしろというのですが、私に見えていることが見えていないのです。当ブログでもいろいろな楽器の写真を載せて「ほら」と紹介しているのですが、おそらく私が見えているものも皆さんには見えていないでしょう。それが修行を何年もやっている職人の卵でも見えていないのですから、反省しないといけません。もっと解説が必要でしょう。

見習の子は作業工程の初めの時点では全く見えていません。こうやってやるんだと規則性を図に書いて教えてもめちゃくちゃになってしまいます。私は「この子には無理か?」と心配したのですが、粘り強く教えて作業の終わりには私が言っていることが分かるようになります。イメージした通りにはできませんがおおよそ近づいてきます。
目は悪くないので一安心です。本人もその工程の初めの時と最後の時点で全く世界が変わったことに驚いています。私が教えているのはそのレベルだからです。当然完全にフランスのヴァイオリンのようなものができるはずもなく、失敗した箇所がいくつもあります。それでも前回作ったヴァイオリンに比べたら雲泥の差です。前回のものは「ただヴァイオリン」を作っただけです。今回は「モダン楽器」を作ろうとしているのです。

正解が見えても、その工程の完成間近のところで全く先に進めなくなります。寸法を割ってしまったら終わりなので、泣きそうになります。
課題が終ったら刃物の研ぎ方からやり直しです。そして5年くらいすれば何とかできるようになるでしょう。

職人の仕事はスポーツに似ています。頭でイメージした通りに体が動かないといけません。教えるとなると難しいのは考えていないからです。
見習の子を見ていたら脇が開いていました。腕だけでノミを使っているのです。腕全体でノミを押して削ろうとすればフラフラになります。腕を体に密着させて固定すればノミを押す作業は上半身全体を前に倒すことによってできます。手先はコントロールするだけです。コントロールするのは手先で押すのは上半身です。これを同時に行えばうまくいくというわけです。

見本をやって見せてもまねさせても何かが変なのです。野球を初めての人に教えるようにぎこちなくて二人で大笑いしていましたが、ひどいものです。もう何年も修行しているのにですよ。
身長が違うので私は台の上に乗ってやってみたりしました。
体格が違えば姿勢も変わってくるのでしょうが原理は同じはずです。

それにしても大笑いしながらやっていたので私の師匠は「お前ら、何遊んでるんだ?」と不思議そうな顔で見ていました。楽しく教えちゃいます。

筋力も必要です。別に筋力トレーニングをするわけにもいきません。力いっぱい押したり引いたりするのではなく、ゆっくり正確に動かせないといけません。
職人としてフルタイムで働いていないと無理です。

以上の理由で厳しいようですが、私はアマチュアにヴァイオリンを作るのは無理だと考えています。ヴァイオリンは1台や2台作って終わりなのではなく、一生作り続けないと高い品質のものを作れないのです。特に最初の段階では師匠に事細かく教わらないとできません。教えるほうも膨大な時間が必要です。道具も数が多く一通りそろえたら100万円は超えるでしょう。授業料の代わりが労働というわけです。
確実にできているヴァイオリンを買った方が安くて良いものが手に入ります。
いくつもあるヴァイオリンを試奏して音が気に入ったものを選べば良いです。音は意図的にできる部分と、できない部分があります。何年やっても思ったような音の楽器は作れないかもしれません。

ヴァイオリンを作るのはプロとして一生続けないと習うのにかけた膨大なコストを回収できないと思います。だからプロとしてやっていかない限り費用対効果でヴァイオリン作りをやる値打ちは無いと考えています。ヨーロッパ式の合理的な考え方です。

趣味でヴァイオリンを作るというのは、全くヴァイオリンを弾いたことのない人がヴァイオリンの先生に、チャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲が気に入ったから1年以内に弾けるようにしてほしいと要求するようなものです。木工の中では超難度でアマチュアなら木箱か本棚で満足すべきです。

私が教えたいこと

私は小学生に大学の講義をするような教え方をしてしまいます。自分が学んだことをすべて教えたいからです。
当然習う方はキャパシティを超えています。それでも自分の成長に喜びを感じているようです。前回作ったヴァイオリンからは1段階どころが2~3段階上のものができてきているからです。当然フランスの一流の職人のようにはいきません。

19世紀のフランスではミルクールで「ヴァイオリン製作」を学んだあと、優秀な子はパリのリュポーやヴィヨームなどの工房に入って、リュポーやヴィヨームの作風を学びました。ヴァイオリンがすでに作れるようになってから、さらにリュポーやヴィヨームのスタイルを理解するというわけです。それが今回は一度に来ているのですから無理な話です。

本来なら見習の段階では単にヴァイオリンを作れるようになるだけで十分なはずです。ヴァイオリンが作れるようになったら一流の職人のようなものを勉強すれば良いのです。ミルクールのヴァイオリンはまさにそんなものです。ヴァイオリンというだけのものでいわゆる量産品です。アマチュアなら量産品のレベルでも作るは難しいでしょう。だから買った方が安いのです。

見習の職人はこれから職人として会社に雇われて働けるようになるのが目標です。上司の指示通りに作業をこなせば給料がもらえて暮らせるということです。指示通りに作業をできるようになるのに何年もかかります。他の職業のように会社に入ってすぐに働き始めるようなことはできません。働くことができるまでにならないといけないのです。本来その段階ではリュポーの作風がどうとか言っているレベルではないのです。

作業員の品質管理として、決められた仕様に対して正確に加工すること、商品に傷や欠損が無いことが求められます。教育もそのようなものが本来のものです。したがって決まった通りの作風で、表面に傷ひとつないものを作らないといけません。
このため流派の特徴がはっきりと表れるので産地が特定できるのです。

しかしこれで自分はヴァイオリン作りをマスターとしたと思い込んでしまう職人が多いです。プロとなってもさらに完成度を高めるだけです。


これだと私は面白くありません。
決まり切ったもので欠点が無いだけのものを作る師匠が多いですよね。皆さんも展示会や店頭で見た通りです。現代の楽器はどれもそっくりなのです。ヴァイオリン製作コンクールを見ればみなそっくりです。その師匠の工房に弟子入りして腕を磨いても同じことです。
それでも明らかに「プロの職人」と認定できるものです。それ以下のものでは素人のレベルです。

もともと私の夢は工業製品の企画をすることでした。物欲は良くないものと言われますが、私は工業製品が大好きでした。自分でも工業製品を考えて作ってみたいと思っていました。しかし現実にそんな職業に就くのは難しかったです。大きな企業ではポストが限られていますし、人気職種なら競争も厳しいでしょう。さらに現代の工業製品は分業で、マーケティング、設計、デザインなどの役割が分担されています。

そんな中ヴァイオリンの製作は一人ですべてのことができます。単に見た目が綺麗なだけでなく、実用的な性能も持っています。音には嗜好性や芸術性もあるのですから素晴らしいものです。そんな素晴らしいものを作れるのに、常識で定められたものを欠点が無いように作るだけで楽しいのでしょうか?そのうち嫌になってしまうでしょう。
現にヴァイオリン職人の修行をしたのに全くヴァイオリンを作っていない職人が多くいます。偉い師匠に厳しく欠点を指摘され楽器の作り方を習ったのに欠点が無い楽器を作るのはハードルが高く気力や時間が無いのです。

見習のチェックして、「カーブの美しさが出ていない」と指摘します。ここをもう少しくぼませないと滑らかなカーブが出ないよと。見習の子はきょとんとして全く意味が分からないようです。ストラディバリは特徴が控えめでオーバーにはしていません。アマティの写真を見せてこの通りだと説明して、フランスの楽器の写真を見せるとはるかに控えめですがやはり同じようになっているのです。というのはフランスの楽器はストラディバリをお手本としています。ストラディバリは基本にアマティの特徴があります。ストラディバリはその特徴を控えめにしています。アマティほどはっきり表れていないのです。その自然さがストラディバリなのです。説明した後に作業に取り組んだ楽器を見るとうまく刃物をコントロールできず完全ではないけども、それっぽくなっています。本人はひどく感激して楽器を見る時の目が今までと変わったことに驚いています。アマティやストラディバリ、フランスの楽器を見て美しさが分かるようになったのです。そういう喜びを様々な工程で味わってもらいたいのです。

弦楽器の基本設計はアマティ家によって行われました。彼らは単に音が出るだけの楽器を作ったのではなく、一つ一つの作業の中に美しさを求めました。美しさが生まれることに喜びを感じていたのでしょう。オタクやマニアというような異常な一家だったと思います。そのために弦楽器は高価なものになってしまいました。チェロなどは「安価な」量産品でも100万円くらい当たり前のようにします。

私が古いイタリアの文化が好きなのは大の大人たちが「ベリッシマ!」と我を忘れて美しいものに感嘆の声を上げていたことです。これが現代の西欧の国では「私は正しい」ということを主張してきます。正しい方法で欠点なく作った私の楽器は正しい楽器で正当な対価をもらうと主張しています。私には楽器がそう語りかけてくるのです。師匠は弟子の欠点を指摘し、それ以外のことは何も言いません。そのような師匠から一度作り方を学べば次の世代に指導することができます。

私はそのような教え方はしません。
オールドの名器を見せて欠点だらけであることを教えます。それでもオールド楽器がいかに魅力的であるかを知ってほしいです。
昔の人たちは結構自由に好きな形に作っていました。自分で自由に作りたいものを作って良いのです。私の言う通りでなくても良いです。
音響面でも私の経験を教えます。0.1ミリやそこらが音については重要でないことも教えます。

見習の子は今まで習ったのと違い私がネチネチ粗探しをしないことに驚いていました。リュポーの作風のディティールについては初めは何を言っているかわからなかったでしょうが、そのうち分かるようになると美しいものができたことに笑顔になっていました。

私は過ちを叱責したりすることができません。この国の社会人としてはダメでしょう。犬の訓練のように良いことと悪いことをはっきりとさせないといけないのです。犬を飼うのは向いていないでしょう。しかし私は外国人だし、そのあたりは好きなようにやっています。ヨーロッパの人たちは「正しい」「間違っている」ということにとても厳しいです。自分は正しいということをアピールすることで生きて行けるのです。でもヴァイオリン職人の世界では正解とされているものが、何となく代々受け継がれてきた根拠がよくわかないものばかりで、優れた名器に当てはまらなかったりするものです。

今は課題のことで頭がいっぱいでその子が一生ヴァイオリン作りを続けていくのかは本人も考えていないでしょう。私の方が先走って考えてしまいます。

そんな見習の作った未熟のヴァイオリンでも音には期待しています。
楽器というのはなぜかわからないけどもその人の音というものがあります。私は暖かくて優しい音がするのですが、市場の好みは力強いものです。前回作った「赤いヴァイオリン」でも私のものよりも力強い音がしていました。うまくできていなくても何も心配することはありません。私が現代では忘れられたモダンヴァイオリンの基礎を教え込んでいるので優れたものになるはずです。

板の厚みについてはフランスの仕組みで寸法を決めて設計図を与えました。実際に出来上がったものを測ってみるとところどころ削りすぎて寸法を下回っていました。薄くなりすぎている個所が多くあったのです。どんな音になるか興味があったので私が寸法を測っていつものように紙に書き留めていました。測った後寸法を見て私はニヤニヤ笑っていました。この前のチェコの楽器のようにこれは良さそうだと思ったので、「決められた寸法を下回るという天然のセンスがあるな」と感心していたところです。慎重すぎると音には良くないものです。
それを見て「普通は決められた寸法を下回ってしまったら怒られるものなのに、あなたは笑っている」と驚いていました。

20年私が先輩でもいざ演奏家の前に自分の楽器が出たときには全く対等です。職人の言うクオリティなどは気にしないからです。人によっては見習の作った楽器の方を気に入る人がいるでしょう。私の楽器はちょっとマニアックですから。だから私は偉そうにはしません。

アマチュアで作っている人には厳しいことを書きました。意地悪を言っているのではなく、客観的な技術の話です。謙虚であることの重要性はプロでもアマチュアでも変わらないでしょう。参考にしてください。

バロック楽器など古楽器を作る人には素人のような人が多いです。基本的な技能が無いのに既存のものを超えられると安易に考えています。モダン楽器をちゃんと作れてから古楽器を作るべきだと思います。

そのモダン楽器も今では忘れられた技術になっています。