マルクノイキルヒェンの楽器製作 | ヴァイオリン技術者の弦楽器研究ノート

ヴァイオリン技術者の弦楽器研究ノート

クラシックの本場ヨーロッパで職人として働いている技術者の視点で弦楽器をこっそり解明していきます。

こんにちはガリッポです。

今年も仕事納めです。
2020年は変な年でしたね。

私はあまり生活は変わりませんでした。ずっと仕事ばかりです。ただ免疫力を損なわない為にも仕事はセーブし家で過ごす時間が増えました。
気が付いてみると何の趣味もなく仕事一筋でした。
一年も暇な時間を過ごせば自然と好きなものは見つかって来るでしょう。それでも何となく疲れた一年でした。休暇をいただいて休めたいと思います。

ホプフのヴァイオリン

代表的なヴァイオリンのモデルと言えば、ストラディバリ、デルジェス、シュタイナー、アマティ、マジーニなどです。
全くこれらとは違う独特なモデルがあります。

前回も触れましたが東ドイツのクリンゲンタールのホプフモデルです。

裏板のボタンの下にHOPFと刻まれています。焼き印というよりは彫ったような感じもします。

形は独特で他のドイツのオールド楽器とは全く違います。シュタイナーモデルではありません。f字孔も尖って大きなものです。

ニスも南ドイツのような真っ黒のものではなく黄金色をしているものが多いです。

スクロールはひびが入って状態が悪いですが、シュタイナー型のものとは全く違いますし、近代のものとも違います。

この楽器にはラベルがついておらずはっきりした年代は分かりません。ニセモノか本物かで言えば、わざわざホプフモデルのニセモノを作ることは無いでしょう。間違いなくホプフ派のものです。形が独特なのですぐにわかります。同じ時に3本も修理などで手元にあって比べて見ても同じ形です。

アーチはオールドのドイツの楽器にしてはそれほど高くないものですが、近代のものとは全く違うので本物のオールドヴァイオリンだとわかります。年代は1700年代の後半に多く作られたようなのでそのあたりでしょう。

ホプフモデルはホプフ本人が作ったものだけでなく地場産業として他の業者も作っていたようです。したがってHOPFはクリンゲンタールのブランドのようなものだそうです。しかし形は統一されていてそっくりです。
ホプフはマルクノイキルヒェン出身の一族ですぐ近くの街に工場を作ったくらいの感じです。マルクノイキルヒェンのローレンツという家族の1700年頃の楽器にも似たような形のものがあり裏板の同じところにLORENZと刻まれています。マルクノイキルヒェンでは1600年代からシュタイナー型とは違うフラットなアーチのものを作っています。ストラディバリがフラットなアーチを発明したというのは無理があります。

ホプフは20世紀まで続いて大量生産品が作られていました。戦後まであると思います。しかし近代の量産品は形がホプフ型であるだけでそれ以外はストラドモデルの近代的な量産品と変わりません。今ではホプフ型も無くなってしまいました。

オールドのマルクノイキルヒェンのネックは斜めに取り付けてあり、モダン楽器とあまり変わりません。そのためバロック時代のオリジナルのネックをそのままモダン仕様として使い続けているものがあります。

ネックの構造としては最も先進的なものだったと考えられます。

この楽器は状態も悪く修理も感心しません。値段は相場の本にも記載されていません。

これは作者のラベルがついておらず裏板にHOPFと刻まれているだけでは、作った人が様々で、近代の量産品まで含まれてしまうため値段がはっきりしない為です。

一般的にマルクノイキルヒェンのヴァイオリンの相場が2,000~10,000ユーロくらいです。これは新しい物や古いもの関係なくヴァイオリンというものの値段です。つまり産地名やメーカー名によるプレミアが無いので品質がそのまま値段になるということです。

これがオールドであることは明らかで1700年代の終わりごろのもので高価な方でしょう。近代の量産品ならずっと安くなります。しかし状態が悪いので最高額は難しいでしょう。

ホプフのヴァイオリンが邪険にできないのは、前回私が説明した条件を備えているからです。実際この楽器も弾いてみるとオールド楽器らしい音がちゃんとするのです。
一般的なモダン楽器に比べると柔らかくて高音も柔らかいものです。
枯れたような渋い味のある音で高いアーチの窮屈さも無いです。

音だけで言えば2流~3流のイタリアのオールドヴァイオリンに近いものがあると思います。値段は1万ユーロ(120~130万円)もしないわけですが、頭数が多く入手できる可能性も高いものです。

値段からしたらびっくりするほどの音のものです。愛用している地元では有名なヴァイオリン教師もいます。100万円程度でこの楽器なら新作を持っている周りとは全く違うレベルの楽器になります。オールド楽器の音がするのですから。

他とは全く違う個性的なモデルで何かのモノマネではないオリジナリティあふれるものです。過小評価されている典型と言えるでしょう。ユーザーにとってはお買い得です。ただし、近代の量産品はただの量産品です。古いものでは修理にお金がかかることも忘れてはいけません。

チェロの修理


他にはチェロの修理もやっていました。

これはW.H.ハミッヒの1888年にライプツィヒで作られたものです。モダンチェロらしく綺麗に作られています。

右上のところがニスが剥げている軽いアンティーク塗装できれいに作られたものです。

作者について詳しく見て見るとヴィルヘルム・ヘルマン・ハミッヒは1838年に生まれ1925年に亡くなっています。
マルクノイキルヒェン出身でベルリンのカール・グリムの下で修行しています。
マルクノイキルヒェン系の作者では最も評価が高く、ヴァイオリンの相場は2万ユーロになっています。
ライプツィヒに自分の工房を構え楽器の製造を行いベルリンにも支店を持ったそうです。
音楽の盛んな都市で活躍したということで値段もドイツの作者ではかなり高くなっています。
チェロは普通倍といわれていますが、フランスのものでも2.5倍くらいすることは普通です。そうなると5万ユーロくらいの値段になってもおかしくありません。600万円くらいですからかなり高いです。
ハミッヒが特別なのはチェロをかなり多く作っていることです。別にびっくりするほどのチェロというわけではありませんがコンスタントに上等なチェロを作り続ければ歴史に名前を残すことになります。

今回の修理の依頼はこれです。ネックにひびが入っています。

チェロではよくあることです。

指板を外してみるとネジが入っていました。ネックが折れたのは最近ではなくすでに木ネジで修理がされていたものでした。それも耐えられなくなり傷が開いていたのです。

安価な楽器やコントラバスではちゃんとした修理をするとあまりにも高額になってしまうのでこのような修理をするしかないこともあります。しかし600万円もするチェロでこの修理はいただけません。
問題はネジと木材の強度が違うため、ネジを支点としてぐらついてきてしまう事です。木材がつぶれてしまいます。
こうなるとネックが抜けはしないけどもヒビが徐々に大きくなり調弦が不安定になってしまったり、音が弱ったりします。

これを名の知れた鑑定士のところで買ったのだそうです。ネックが折れていることは知らされておらず、今回初めて発覚したものです。もしネックが折れているのなら修理代は差し引いて値段を付けなくてはいけません。権威のある鑑定士でも所詮は商人でこの程度なのが弦楽器業界です。

これはネックを新しくする継ネックという修理が必要です。お金はちゃんと支払われるのできちんと修理することができました。
このような綺麗に作られた楽器に正当な修理を施すことはややこしいことは何もありません。ただただ作業の量が多いだけです。
粗悪品では何もかもが滅茶苦茶で修理は難しいです。


ノコギリでペグボックスの壁を切ります。

チェロは弦の力が強いので引っ張りに強い構造にします。

新しいネックを差し込みます。

このような作業を自動的にできる機械があれば多くのチェロを救えますが、残念ながらとても慎重な手作業が必要となります。
接着面も完璧に合わせるのは難しいものですが、それ以外の作業量も膨大です。
ネックがヘッド部分に対して斜めになったりしないように気を付けるのがシビアです。

ネックの加工もとても手間のかかる仕事です。

ニスもオリジナルの様に再現しなくてはいけません。これは私なら簡単にやってしまいますが。

こちらはもっと難しいです。この程度になっていれば継ネックの跡も目立たないものです。

ハミッヒのチェロ



チェロでこれだけの品質ならとてもきれいに見えます。コーナーは師匠のグリムの影響があり角は丸く独特な形になっています。

ニスはマルクノイキルヒェン特有のラッカーではありません。においが違います。分厚いオイルニスでしょう。当初は柔らかったのかもしれませんが今ではしっかりしたものです。

マイスタークオリティのチェロと言えるだけのスクロールです。

横板のコーナー部分の合わせ目を見ると大量生産品と似ています。これはおそらく外枠式で作られたものです。製法自体は大量生産と同じような方法で高い品質で作られたものです。
ストップが長いのもマルクノイキルヒェンの特徴で41㎝あります(現在の標準は40cm)。

チェロで有名になるくらいの数を作った作者なら大量に作るための手法が用いられています。マルクノイキルヒェンの出身であり親族も多く弦楽器の製造に従事していたので、ライプツィヒやベルリンに店を構えていても工場はマルクノイキルヒェンにあったということでしょう。パリとミルクールの関係に似ています。

現在でもこのようなことで大量にチェロを作れば相当売れてチェロの作者として有名になれるでしょう。

日本には腕の良いまじめな職人がたくさんいるのでうまく組織すればこれ以上のチェロの工場も作れるかもしれません。

このチェロで私が気になる点は裏板がかなり厚いことです。600万円もする有名な作者のチェロでもこの程度です。

ちょっと珍しい弦のコンビネーションになっていることに気づいたでしょうか?

修理前についていたものですがC線だけがトマスティクのスピルコアで他がラーセンになっています。普通はGとCの2本をスピルコアにします。スピルコアは古い世代のスチール弦で金属的な強い音がします。ラーセンは柔らかい音が特徴です。C線だけスピルコアなのが珍しいです。

裏板が厚いせいだと思いますが、低音が弱いのです。はじいてみるとG線くらいから鳴り始めるよくあるタイプのチェロです。C線が弱いと感じたのでしょう。

それでも1888年のチェロで古い分だけ音にも深みがあり、鳴り方も強くなっています。学生やプロのオケ奏者がこぞって欲しがるレベルのものです。これで裏板がもっと薄ければ文句ないのですが、チェロというのはこの程度のものでも600万円もするのです。それだけ良質なものは作られた量が少ないのです。

今回の修理によって駒の高さもずっと高くなりました。力強さも増したでしょう。音が変わったなら別の弦も考えると良いでしょう。


今年はこれで終わりでしばらくお休みになるかもしれません。私は休暇を取って自宅に待機します。楽器以外のことを考えて過ごしたいと思います。