ピエトロ・グァルネリモデルのヴァイオリンの音が出ました | ヴァイオリン技術者の弦楽器研究ノート

ヴァイオリン技術者の弦楽器研究ノート

クラシックの本場ヨーロッパで職人として働いている技術者の視点で弦楽器をこっそり解明していきます。

こんにちはガリッポです。

ヴァイオリン業界では一番優れたヴァイオリンがストラディバリ、グァルネリ・デルジェスということに決められています。特に近代ではストラディバリが最高のヴァイオリンと考えられ、それを基にしたストラディバリモデルのヴァイオリンが作られました。「近代のヴァイオリン製作=ストラドモデルのヴァイオリン製作」と言ってもいいくらいです。このためストラドモデルは珍しいものではなく、現在の普通のヴァイオリンのことだと考えれば良いでしょう。
ストラドモデルばかりが作られるとさすがに飽きるのかガルネリモデルも作られました。寸法表はストラドモデルを作るために定められました。グァルネリ・デルジェスはその寸法とはかけ離れていることが多くあります。そのため全くオリジナルの通りに作るのではなく形をデルジェスっぽくした近代式の楽器がガルネリモデルというわけです。尖った長いf字孔などは典型的です。実際のデルジェスのでそのようなf字孔の時期はとても限られています。
最近は実物大の写真が掲載されたポスターや本などが出版されるようになったため、デルジェスの型をそのまま起こしたものが多くなっています。この場合はストラドモデルよりも小型なのが特徴です。

これでほとんどを占めることになります。実際にはストラディバリに似ても似つかないものも多くありますが何か別のモデルにしようとしたというよりは単に品質が悪くてそう見えないというだけです。

それ以外には、フランスではマジーニとアマティモデルが作られました。マジーニも全くオリジナルのマジーニとは違うものでマジーニ風にしたものです。アマティは多くありません。

このように職人も常識としてストラディバリとデルジェスが特に優れたものだと教わります。私たちはストラドモデルの作り方から派生した作り方しか知りませんから他のものは作れないわけです。現在ではデルジェスモデルが多くなっています。何故かと言うとストラディバリのほうが腕が良くないと作れないからです。腕に自信が無いとデルジェスに逃げるわけです。「私は見た目は興味が無い、大事なのは音だ!」とお客さんに説明すれば言葉では納得させられるわけです。

このような状況ですから、少しでも音が良い楽器を作りたい職人ならストラディバリやデルジェス以外のモデルの楽器を作る勇気はありません。もしかしたら音が悪くなるかもしれないからです。

これに対して私はストラディバリやデルジェスのモデルがずば抜けて優れているのかには疑問を持ちます。ここで言うモデルにはいろいろな意味がありますが、ハンドメイドの高級品でも一般的には輪郭の形だけをストラディバリやデルジェスの形にしてそれ以外は現代風の構造に作られている楽器がほとんどです。

私は多くの経験から輪郭の形はさほど重要ではなく、現代風の作風であればどのモデルでも現代風の音になると考えています。ストラディバリモデルだろうがガルネリモデルだろうが、それ以外の作風が同じなら同じような音になるというわけです。
また自分でデザインしたモデルでも極端におかしなものでなければ問題ないと思います。

こう考えるとモデルなんて何でも良いということになります。
私はそう思います。
他人から評価されたいなら教科書通りのストラドモデルを綺麗に作れば腕が良い職人と多くの職人から認められるでしょう。自分のこだわりで作ったモデルに他人は興味を示さないでしょう。


このようにストラディバリやガルネリモデルで作られたモダン楽器にはとても音の良いものがあります。このためこれらが良くないものであるということはできません。しかし他にも同様に良いものがあるかもしれません。私もストラディバリやデルジェスに次ぐ「第3のモデル」を模索してきました。
私はニコラ・アマティ、ベネチアのピエトロ・グァルネリ、ジュゼッペ・グァルネリ・フィリウスアンドレア、アレッサンドロ・ガリアーノ、マントヴァのピエトロ・グァルネリなどいろいろなストラドやデルジェス以外のモデルのヴァイオリンを作ってきました。これらの経験から何となく自分の中で音がイメージできるようになってくると自分が作りたいヴァイオリンの構造のイメージに近いものとしてマントヴァのピエトロ・グァルネリを選びました。2016年に製造するととても印象的で魅力的なものになりました。私個人としては過去に作ったものの中でも一番好きなものです。ストラディバリのコピーもとても良くて捨てがたいですが、より濃い味のものはピエトロ・グァルネリのものです。

私の場合には単に輪郭の形をオールド楽器から移すのではなく、アーチの膨らみや板の厚さも含め作風自体を近づけようとします。このため単に輪郭の形ではなく、構造自体に特徴があるわけです。

ピエトロ・グァルネリで最もわかりやすい特徴はぷっくりと膨らんだ高いアーチです。ストラディバリやデルジェスはかなりアーチの高さにはばらつきがあり、高いものも平らなものもいろいろあります。単に高いアーチの楽器を作りたいだけならストラディバリやデルジェスのそのような作品を選んでコピーすれば良いのです。
それに対してピエトロ・グァルネリは一貫して高いアーチのものを作っていたようです。特徴としてはよりはっきりしています。


言われてきた高いアーチの音?

現在では高いアーチの楽器を作る人はとても少ないです。それは19世紀にモダン楽器が確立すると平らなアーチのほうが優れているという考えが広まったからです。弦楽器業界特有なのが、実際に試したのではなくて平らなアーチのほうが音が良いという「考え」が広まったことです。
でも弦楽器業界だけが変わっているのではなくて人間の社会では普通のことなのでしょう。

その考えではアーチは平らなほど音量があるというものです。実際に平らなアーチで作られたモダン楽器には音量に優れたものがあり間違ってはいません。しかし逆に高いアーチにすると音が小さくなるということは同じ時期に作られた楽器が無いのでわかりません。

もっとひどい説は、アマティは高いアーチの楽器を作っていて美しい音色をしている。ストラディバリは音量を求めてフラットなアーチを発明した。さらにデルジェスは音量を求めてフラットなアーチを作った。このため、ストラディバリはその中間で美しい音色と音量を兼ね備えた理想的なものだというものです。

これがひどいというのは、事実とは全く違うことです。アマティはそんなに高いアーチのものをあまり作っていません。アーチの高さにはばらつきがあり、ストラディバリが生まれる前にすでにフラットなアーチのものを作っています。

ストラディバリでフラットなものをコピーとして作ろうと思って候補を探してもあまり多くありません。ほとんどのものは高めのアーチのものです。
デルジェスについてはいろいろな高さのアーチがあり、最晩年でも高いアーチのものがあります。これはストラディバリでもそうです。

ストラディバリの最も若いころのヴァイオリンはとても高いアーチになっています。それに比べればその後のものは低めのアーチになっていますが、それでも現在の標準よりはずっと高いものが多いです。その若いころのストラディバリよりもニコラ・アマティのほうがアーチが平らです。

このような理屈は、ストラディバリが最高のヴァイオリンであるという結論からこじつけて作り出されたような話です。日本人はこういう話は特に好きです。

モダン楽器の普及

当ブログではモダン楽器の成立の歴史について語ってきました。弦楽器について考えるうえであまりにも重要な出来事だからです。現在の楽器製作や考え方、知識など常識のすべてのルーツだからです。現在我々が知っている知識はすべてモダン以降の知識なのです。

にもかかわらずほとんどの人は知らないでしょうし、他では耳にする機会のない話です。

ストラディバリの良さを認識したドイツやオーストリア、フランスの職人たちはそれまでのオールドのスタイルを捨てて作風をガラッと変えました。中でもフランスの職人たちはストラディバリを研究し特徴を誇張したり、改良やモディファイを加えてモダンヴァイオリンを完成させました。これがヨーロッパ中で評判となりとても優れていると考えられオールド時代から製法が伝わっていた流派はすべて作風をがらりと変える時期があります。ドイツでもイタリアでもイギリスでも同様です。オールドから楽器を作っていた地域ではすべてそうです。オールドのスタイルは時代遅れの劣ったものだと考えられていたのでしょう。

このため私たちはオールドの作者のラベルがついていても、一瞬見ただけでオールド楽器と間違えることはありません。

現在でも見事なアンティーク塗装なのに作風が完全に近現代風の楽器があります。これを見てもオールド楽器と間違えることはありません。

ニスがオールド楽器のようでもなぜオールド楽器と違うとわかるかと言えば、アーチが全く違うからです。


どう違うかはアーチが高いか低いかという話ではありません。造形感覚が違うとでも言いましょうか?
この前はウィーンの流派のことをお話ししましたが、初期のモダン楽器はオールド楽器の製法を使ってモダン楽器を作っていました。初めはオールド楽器を作る方法を習った人が、キャリアの途中でモダン楽器に作風を変えたのです。このためオールド楽器の名残があります。
これに対してそれより後の世代では、初めからモダン楽器の製法を学びました。世代を重ねるごとにフラットなアーチの楽器を作るのに適した製法が収斂して進化していきました。その中でも上等な製品と安物、腕の良い職人と下手な職人が分かれていきます。モダン楽器の中で腕の良い職人の上等な物、きれいな物という基準が進化していくのです。どんどんオールド楽器とは異なるものになって行きます。

より具体的に言えば、オールドの時代にはとても立体的なアーチを作っていました。それを作るには立体的な造形感覚が必要です。それに対してモダン楽器では表面にデコボコが無くなめらかに仕上がっているものが美しいとされます。モダンの基準でオールド楽器を見ると素朴でいびつなものに見えます。当時はそれが時代遅れの古臭いものだったわけです。
近現代では立体の形を作るというよりも、表面を滑らかに仕上げるということが重視されます。

このためパッと見た瞬間にすぐに違うとわかるのです。

今話しているような内容は本当にレベルの高い話です。楽器店の営業マンばかりではなく、職人の間でも理解している人が少ないことです。今ではだれも高いアーチの作り方は知らないのです。私も手探りで最初のころのものを見れば「あちゃ~」という感じがします。でも意外とそんな感じのオールド楽器もあったりするものです。

現代の主流派の職人ならオールド楽器を見ても、自分の楽器との違いから目をそらしているのかもしれません。現代に巨匠と言われているような人も含まれます。

室内学用の楽器

ストラディバリやデルジェス以外のオールド楽器は「室内楽用」と言われることがあります。ストラディバリやデルジェスはソリストに使われるものだということですが、モダン楽器もソリスト用の楽器を目指してつくられたものです。

当時時代遅れと考えられていたのはこのような室内楽用と言われるようなオールド楽器です。美しい音色はあるのだけども、音量に欠けているもののことです。
特徴としては・・・アーチが高いということになります。

一方で楽器の売買の世界ではストラディバリやデルジェスに関係が近いほど値段が高いと考えればおおよそ間違っていないでしょう。例えばストラディバリと同じイタリアの楽器であれば値段が高くなるというとても雑な分類です。
さらに「イタリアのオールド楽器」となるとストラディバリにかなり関係が近くなりますから今なら数千万円は当たり前の世界です。それがクレモナとなれば値段はさらに高くなり、親族や師弟ならさらに値段が高くなるというわけです。

この時矛盾するのは高いアーチの楽器も高価な値段になることです。
職人の間ではフラットなアーチが優れていて高いアーチはダメだと信じられているのに、売買では高いアーチの楽器も高価な値段になっています。例えばモンタニアーナなら高いアーチでも1億円を超えます。ストラディバリやデルジェスの高いアーチの楽器も同様です。これらは名器として一流の演奏家に使われています。

実際に弾いたり音を聞いたことがあれば高いアーチの楽器に素晴らしい音がするものがあることを経験できます。職人たちが信じて来た理屈と矛盾するのです。

しかしほとんどの職人はこのことについて何の違和感も感じないらしく高いアーチのオールド楽器を見て「すばらしい!」と絶賛しておきながらいざ自分が楽器を作る段階になると全く別の理屈で楽器を作り始めるのです。

我々の間ではオールド楽器と現代の楽器製作は別の種目の競技のように考えられています。水泳と陸上のように全く別のものだととらえられていて真っ向から競い合う事さえしません。ほとんどの職人は一般人と同じようにお金の方に興味があるので「高い楽器=素晴らしい」という反応を示します。

しかし私はそうは思いません。ヴァイオリン製作という同じ競技です。オールド楽器を素晴らしいと思うなら自分もそのようなものを作れなければいけないと考えるのです。

最新作の音は

前置きが長くなりましたが、コロナの下で作ってきたピエトロ・グァルネリのモデルのヴァイオリンが完成しました。先週は弦を張ってすぐだったので音について記事を書くのはやめました。

それは正解でした。週明けにはがらりと音が変わっていました。

前回のピエトロ・グァルネリのコピーで印象的だったのは闇のように暗い音色です。低音は枯れた渋い味のある音色でもあります。それでいて高音は滑らかで歌うような伸びやかさがありました。広い場所で試すと空間一杯に音が広がって遠鳴りする楽器でもありました。柔らかい音で耳障りな嫌な音とは正反対でした。

すでに売却済みで同じ場所で弾き比べができないので記憶との比較になりますが、基本的には同じようなキャラクターのものです。多くの新作楽器が明るい音色を持っているのに対してずっと暗い暖かい音がします。鋭い耳障りな音は無く柔らかいものです。やはり低音は枯れた渋い味がありますし、高音も滑らかで伸びやかなものです。
ただ今回のもののほうがやや明るく強い音だと思います。
暗い音と言っても沈み込むようなものではなく、強く音になって跳ね返ってくる感じがあります。私の作った楽器を弾き比べると高いアーチの方を「音が強い」とか「音量がある」と言う人がよくいます。これはすでにさっきの理屈とは違いますから最初聞いた時には驚きました。
中でも私のミディアムアーチの楽器を使っていてさらに高いアーチの楽器を買ったヴォイオリン教師の方が、「新しいものは音が強い」と言ってきました。

私が個人的な思い込みでえこひいきしているのではなく演奏者が高いアーチのほうが音量があると言っているのです。200年ほどの常識がひっくり返った瞬間です。

これはオールドの高いアーチの楽器でもそうで、弾いている本人には音がダイレクトで強く感じるのです。離れて聞くと普通に聞こえます。遠鳴りもしますから近くだけということはありません。しかし手ごたえがあるのです。これが一つ高いアーチの特徴です。

今回のものは離れていても音に強さがあります。新作楽器の中で見れば決して弱い音のものではありません。さらに楽器が共鳴して鳴る感じがあります。ツボにはまるととてもよく鳴ります。むしろ音量があるという印象を受けます。世の中には鋭い耳障りな音で強く感じる楽器が多くあります。それとは全く違って柔らかい音なのに力強さを感じます。耳障りでも何でも良いというのならもっと音量のある楽器はあるでしょうが、柔らかい音とは言え平均以上に音量がある方だと思います。

もう一つ高いアーチの特徴はキレが良いということです。音が尾を引かずにすっと消えるのです。もちろん弦の振動は続きますから余韻は残ります。つまり板の振動はすっと消えるので弦の振動がそのまま出るのです。弓と弦の摩擦がそのまま音に出るということです。

このためはっきりとした音になっています。もやっとしたような音では全くありません。
日本語で明るい音と言うとそのような意味がありますが、この楽器を明るい音と形容すると他の明るい音の楽器と混同します。音色が明るい楽器も明るい音と言えるからです。それらとは全く違う音なのに同じ言葉で表現するのはおかしいです。

音色は暗く、はっきりしとした音です。
これを乾いた枯れた音だと表現しています。同じようなことはフラットな近現代の鋭い音の楽器にもあります。しかしそのようなものは高音は耳障りで耳が痛くなります。

低音はギーーーっと角があるような音でもあるし、丸い厚みもあります。もやっとした感じではなく暗く深みがあります。それでいて中音域になると明るい響きが加わり痩せたようにはなりません。A線でも細い感じがしません。E線も細く締まった感じでは無く豊かに広がる感じです。離れて聞くほど豊かさがあります。

低音は鳴った瞬間にハッとするような深く凛々しい感じがします。中音は厚みがあり豊かで、高音は鋭さは無く豊かに響きます。

全体としては暗い音色で深い味わいがあり、柔らかく耳障りな音がしないというのが特徴でしょう。しかし、低音だけが魅力的でもなく、柔らかいだけで音が弱いということもありません。むしろ新作とは思えないような鳴りっぷりの良さがあります。モダン楽器のような鳴る感じもあります。

世の中にはとても鋭い音で力強く感じるものがあります。それは必ず高音が耳障りで一生ごまかす調整が必要になります。この楽器はそうではなく柔らかい音なのに強さがあるのです。G線は強いけどA線は細い物やビオラのような鼻にかかった音のものもあります。そうではありません。

したがってあらゆる要素を持っていて、使い方によってもいろいろな音になりうる楽器だと思います。どんな音かと言われれば難しいです。


作っている途中に購入を希望した人がやってきて音を試すと、予想よりも音が素晴らしいと絶賛して即完売です。この楽器を作る時間ができたコロナのおかげです。
引き渡す前日に以前も紹介したニコラ・アマティの持ち主の方が来ていました。その人がアマティと弾き比べていました。
聴いていると同じ音ではありません。当然です違う楽器ですから。
しかし全く違うという感じもしません。普通現代の楽器と本物のニコラ・アマティなら全く音が違うはずです。
音は違うのだけども違和感は無いのです。
アマティのほうが柔らかくて暗い音がします。私の新作のほうが明るく強い音がします。新作の中ではまれにみる暗い音色ですが、アマティに比べたらまだ明るいのです。
とはいえアマティのほうはネックも下がっていて駒も低いのです。万全な状態ではありません。アマティもネックを入れ直す修理をしたらもっと近い音になるかもしれません。前回作ったもののほうがアマティに近いとも言えます。
その方もたいそう気に入って、もし購入希望者が買わないのなら欲しいと言っていました。アマティが買えるくらいの人ですから、安いものです。

そのアマティについて記事を書いた時もどんな音か表現するのは難しいと書きました。極端に変わった音ではなくていろいろな音が出るからだと言いました。この前のペドラッツィーニではギャアアアと鋭い音しかしていませんでした。アマティはそれとは全く違います。今回のものはまさにそうなっています。私はアマティを見てインスピレーションを受けて今回作ったらそんなふうになったということでもあります。

少なくともアマティよりも音量があるということですから悪いものではないですね。バロックや古典派ばかりでなくロマン派の曲にも向かっていける堂々とした音の楽器だと思います。


改めて音の特徴について考えるととても個性的な濃い味のある音色の楽器です。それでいて音が弱いとか鳴らないとかそういう事はありません。むしろ音量はある方です。聞いていた一同は力強いとさえ感じました。音色の重厚さも迫力につながっているでしょう。

楽器の作りはとても高いアーチでぷっくらと膨らんでいて板はとても薄いものです。オリジナルのアマティはもっと薄いですがさすがにそこまでの勇気はありませんでした。ものすごく個性的な作りの楽器で現代では同じような物はまずないでしょう。出てくる音も個性的でとても味ある暖かい枯れた音がします。高音は柔らかくなめらかなものでモダン楽器や新作楽器ではそんなものはまず無いです。

個性的ないい意味で変わった音なのにちゃんと音量もあって優等生的にも優れているのです。音量を犠牲にして音色にパラメーターを振ったということでもありません。マニアックな趣向の人や高いアーチのスペシャリストにしか弾きこなせない気難しい楽器でもありません。

自分のことでこんなに絶賛するのはあれですが、即完売ということはそういうことです。お客さんも同じように感じたのです。

アーチの高さが中間くらいで板の厚さが中間くらいであれば、優等生的な楽器はできるでしょう。現代の楽器の中では良いものです。しかしそれでは平凡な音で音色にぐっと惹きつけるようなものが無いのです。正統派の現代の楽器ではそれが限界でしょう。すごく個性的なのに優等生というのが今回の楽器です。オールド楽器が現代の楽器と違うと感じる部分はそこではないでしょうか?


高いアーチの楽器について


私は高いアーチの楽器がどんな音がするかについてはいろいろと経験を積んできましたが、高い方が個性的な音になるということは言えると思います。

つまりこういう音になるというのではなくて作者の特徴が強く出るのではないかと思います。オールドの時代には高いアーチの作り方を身に付けていました。その作り方や目の感覚を応用して低いアーチの楽器を作ってもやはりアーチの特徴は残っていて「その人の音」はするのです。だからアーチの高さがバラバラでもちゃんとその人の音がするのでしょう。ストラディバリでも高いアーチのものだけが音が悪くて使われていないということはありません。
デルジェスが力強い音がするなら高いアーチのものでも力強い音がするでしょう。アーチの高さによって音の強さが変わっているわけではないと思います。

高いアーチでも素晴らしい音がするものがあります。しかし一方で本当に室内楽用としか言えないようなものもあります。個性がより強くなるのが高いアーチの楽器の特徴だとすれば個体差も大きくなるということです。じゃあどんなタイプの高いアーチが良いのかの研究が必要になります。

それについて今回は2度同じモデルで同様の結果が得られたので答えが確信に近づきました。

ものによっては音量があり、ものによっては音量が無いのが高いアーチだということです。しかしよく考えてみればフラットな楽器でも同じようです。ということはアーチの高さと音量は直接関係ないという発見となりました。

これはとても新しい発見だと思います。どの本にも書いてないことです。本を書くような人は過去の本を読んだだけで自分で高いアーチの楽器を作っていないからです。

現代のモダンヴァイオリンのフィッティングも高いアーチの楽器には合っていません。私もネックなどをどのようにいれたら良いのか手探りでやってきました。それもだいぶ分かってきたことが今回の結果につながっていると思います。現代の職人は高いアーチの楽器の作り方を知らないし、慣れていないので、もし試しに作っても同様の結果になるとは限りません。たった一つのサンプルでもちゃんと音量が出るということはアーチは低いほど音量があり、高いほど音量が無いという常識は間違っていることが言えると思います。


私はストラディバリのコピーも捨てがたいと思っています。ストラディバリのコピーを作るととても柔らかくて美しい音がします。この点では最高です。
他の職人が作るストラディバリモデルの楽器とは全く違う音です。

ただ多くの演奏者はそれよりも強い音を求めます。それについては今回の楽器のほうが近づいたと言えるでしょう。

ストラディバリのコピーも何十年かしてくれば力強さも増して来てそれこそ最高の楽器になるでしょう。今回のものはそれを待たなくてもできた瞬間から歯車がかみ合っているような感じがします。駒や魂柱、弦の選定などセッティングもごく普通にしただけでうまく機能しました。当たり前の仕事でちゃんといい音が出るのが良い楽器だと思います。最新技術のものでなくオブリガートでちゃんと良い音が出るのです。オブリガートのキャラクターは私の楽器のキャラクターと被っています。同じキャラクターの弦をかぶせて使う方が個性や魅力が発揮できると思います。当たり前ですが弦選びよりも楽器選びのほうが重要なのです。

もちろん好みによっては違う弦を試しても良いでしょう。メタリックな音のパーペチュアルで無理やり強い音を出す必要性は感じません。
ガット弦が好きな人はそれでもいいかもしれません。

弦楽器は自転車のようなものでエンジンのような動力はついていません。だから楽器がひとりでに鳴り出すということはありません。しかしエネルギーが無駄なく音に変わっていれば優れた楽器になるということです。

鋭い音や柔らかい音のなどは好みの問題だと言ってきましたが、楽器の各部の要素がうまくかみ合うと奇跡的な音になることもあると思います。

それを見つけるには理屈ではなくいろいろなものを作ってみる必要があるでしょう。そちらの方が科学的とさえ言えます。

なぜかわからないけども作者によって音の特徴があります。
アーチはその人が造形感覚で作るものです。人によって音が違う原因になったとしてもおかしくありません。
私の場合にはどのアーチの高さでも柔らかい音になります。アーチが高いくらいのほうが強度のバランスが良いのかもしれません。人によっては違うのかもしれません。

ピエトロ・グァルネリのモデルは第3のモデルどころか第1のモデルになりそうです。ただモデルに限らずここ数年音に強さが出てきているのでストラディバリのモデルも次に作ったらまた覆るかもしれません。

次回はさらに技術的にこの楽器のことを考えていきたいと思います。