ピエトロ・グァルネリ型のヴァイオリンのニスの塗りはじめ | ヴァイオリン技術者の弦楽器研究ノート

ヴァイオリン技術者の弦楽器研究ノート

クラシックの本場ヨーロッパで職人として働いている技術者の視点で弦楽器をこっそり解明していきます。

こんにちはガリッポです。

私は仕事一筋で趣味なども何もない感じだったので、去年はDIYに挑戦してみました。結局、手法があまりにも普段の仕事と考え方が違うので受け入れがたくなってしまいました。一般的な木工は板が外れないように釘やネジで留めるというものです。それに対してヴァイオリン職人の仕事は板にストレスを与えずに積み木のように置いただけでもぴったり合うように加工します。ホームセンターで売っていた材料をカンナで削りなおして完全な平面に加工することをやってしまいました。DIYは趣味としては保留です。

仕事中でも気分よく過ごそうと職場では音楽をかけるのですが、ラジオでは同じような曲ばかりで違うものも聴きたくなってしまいます。
修行時代はお金が無かったのでCDなんて買えませんでした。今は仕事を一生懸命やればお金はもらえてしまいます。長らく買っていませんでした。

これはジョバンニ・バティスタ・ヴィオッティのヴァイオリン協奏曲の全曲録音のもので10枚組になっています。
90年代に録音されたもので当時に2枚だけ買っていました。当時はネットなどもなくそれしか売っていなかったのです。他にも欲しいものがあったのでそれで満足していました。

これは中古で5000円位のものです。単体なら300円位ですが全部はそろいません。

当時世界初の録音として売られていたものです。今になっても他に誰も録音していないようです。

ヴィオッティのヴァイオリン協奏曲は22番だけ名演奏者が演奏したものがあると思います。それすらもレアです。

29番まであってそれだけの数のヴァイオリン協奏曲をモーツァルトやベートーベンは作曲していません。それらは職場にはたくさんCDがあってラジオでも時々かかるので何回も何回も聴きすぎているので他のものが欲しい所です。

曲調は早い時期ほど古典派の影響が強くオーケストラの合奏ではモーツァルトのようです。ソロのパートはパガニーニに似ている感じもあります。逆ですねパガニーニより前の世代です。

イタリア出身のヴィオッティはストラディバリを弾いてフランスでモダン弓の開発に協力したことでも知られていてヴァイオリン職人なら知っているべきですが、どうもそうではないようです。ヴァイオリンに関係ない人ならクラシックファンでも全くマイナーな作曲家でしょう。

かろうじて演奏されるのが22番ということになります。

クラシック音楽が不思議なのは、代表作ばかりが演奏されてそれ以外が全く演奏されないことです。ファンであれば同じ作曲家の他の曲も聴きたいと思うはずです。ドボルザークなんて9番の新世界しか聞いたことが無い人が多いでしょう。
それで感動して「素晴らしい」と思うなら他の曲も聴きたいと思うはずですが、クラシックの世界は独特なものです。

演奏会の様な興業的に考えると仕方のない部分もありますが、録音でも同様です。かつてはレコードやCDも高かったので一枚だけ買うなら代表作をということはあったでしょう。今はこのような全集が安い値段であります。10枚組くらいで1万円もしません。これを集めるのが今の趣味です。よく知っていると思っている作曲家でも知らない曲がたくさんあって新鮮です。
ケースも薄くて10枚あってもかさばりません。容量で言えばブルーレイなら一枚で全部入るのでしょうがまだまだそのようなものは多くありません。

一日に2~3枚でもこのようなCDを聞ければ仕事中も楽しくなるものです。

実は仕事中は集中しているのでほとんど聞こえていません。あくまで雰囲気にしかなりません。
かつては王様や貴族が儀式やパーティーの時に演奏していましたが、当時も出席客はおしゃべりなどに夢中で音楽は聴いていなかったようです。雑談がうるさくて聴こうにも聴こえなかったでしょう。そういう意味ではその時代のものがぴったりです。

ヴィオッティのヴァイオリン協奏曲を聞いていると現代にはあまり流行りそうにない感じはあります。若いヴァイオリン奏者が卓越した技能を見せつけるような感じではありません。
しかしとても美しいものでヴァイオリンの魅力を引き出していると思います。

この曲を弾くのにどんなヴァイオリンが良いかと考えてしまいます。一番良いのはストラディバリでしょう。職場でよく耳にするような鋭い耳障りな「力強い音」のものではなく、柔らくて澄んで美しい音色のものが良いでしょう。

もう少し現実的な価格帯なら私が作ったものです。特にストラディバリ型の物が良いと思います。
奥深いものです。







ピエトロ・グァルネリ型のヴァイオリンにニスを塗っています。慌てる必要が無いのでミスをしないようにじっくりやろうと思っています。

こんな感じになりました。
表板は汚れがたくさんついているのでそれを再現する必要があります。難しいのはニスの色が無いのに汚れだけを付けなくてはいけないのでどれくらいの濃さなのかわかりにくい所です。他が白いのですごく黒く見えます。

細部はこのような感じです。アンティーク塗装では大げさにやりすぎることが多いものです。メンテナンスで汚れをできるだけ取ろうとしてそれでも取り切れずに残った分を再現する必要があります。残りやすい部分は指板の下やくぼんでいるところ、f字孔の周りなどです。
したがってどこもかしこも同じように黒くするのではなく濃淡をつける必要があります。まさにデッサン画と同じです。
レオナルド・ダ・ビンチが油絵でモナリザを描いた時に陰影をつけて立体感を表現しました。ダビンチは途中まで描かれた絵が残っているものだと茶色で陰影を描いた後に色を付けていたようです。西洋の伝統的な絵画では初めに白黒写真のようにモノクロで描いてそれに色を付けて行ったのです。色だけ付けるとおかしいのでハイライトで明るさを強調する必要もあります。

学校などでこのような手法で絵を描いた人はいないでしょう。学校やアマチュアの絵画展でルネサンスのような質感の絵が無いのはそのためです。

白黒を使う方法や緑を使う方法もテンペラ画やフレスコ画では一般的です。
黒の濃い所と薄い所を塗り分けなくてはいけません。テクニックとしては完全にモナリザを描くのと同じです。

実際に使用している顔料は黒ではなくある種の茶色です。これもとても重要です。真っ黒だとザクセンやハンガリーのアンティーク塗装のように見えます。
ちょっと緑がかっていると後でニスが重なったときに程よい色あいになります。
黒くなっていない部分は写真では見えませんが、オレンジ色を付けてあります。これはオリジナルニスが残っている様子を強調するためのものです。


横板でもまずこのように濃淡をつけて汚れを付けます。全体的についていて掃除を繰り返す中で取りにくい所に残って行ったということです。ですから理屈上は全体に同じように汚れを再現して削り取っていけば300年経った様子になるはずです。しかし実際にやろうとすれば取れすぎる所があったり、変なところに残ってしまったりしてうまくいきません。そこではじめから濃淡をつけて汚れを再現するのです。
この後で軽く汚れを取ります。布にアルコールなどの溶剤を付けてふき取ることもできるし、目の細かい研磨剤で削り取ることもできます。
私はいろいろやってきましたが、汚れはある程度意図的に描いていかないとうまくいかないという考えが優勢です。

したがって表板も最初はこのような感じでモナリザのように陰影をつけて描いて、それをできるだけふき取って上の写真のようにしたのです。そのため一時はもっと真っ黒でした。
ただし取りすぎると無くなってしまうので注意が必要です。

スクロールも1週間かかって黒くしただけです。これを週明けには取り去って渦巻の深い所だけに残るようにします。その時に良い残り方をするための下地作りに1週間費やしたというわけです。失敗したらもう一回やり直しです。

その後表板には全体的に黄金色になるようニスを塗っています。少し黄色~オレンジを強めています。さっきの汚れもそれほど目立たなくなってきました。これでも黒い汚れが黄色のニスの間に突然現れていて不自然なものです。一番黒い所だけ付けたので中間的な部分を描いて全体的に汚れているようにしなくてはいけません。全体的に黒くなってしまうのであえてオレンジっぽくしたのです。

こうやって見るとやはりアマティっぽさがあります。グァルネリ家もアマティの影響が強いのです。私はアマティのモデルでたくさん楽器を作っているので、「ちょっとアマティっぽくなってしまった・・」なんてことがあり得ます。現代の職人では無いことです。

前回のビオラとこの楽器を見ればどちらも型が違っても同じ作者のものであることが分かるでしょう。それくらい私の作るものは独特です。私の目標はアマティ派の一人になるくらいです。それ以上は望んでいません。

裏板はほとんど進展が無いように見えます。どうやって行くか悩んでいるところです。どうしたものでしょうか?

いずれにしても段々慣れてくるごとに最終的な完成を予想してそれぞれの色の組み合わせを考えて行けるようになってきます。最初の写真ではおかしく見えた事でしょう。途中の段階で良く見えてもしょうがありません。黒くしたつもりが十分でないと出来上がったときに印象が弱くなってしまいます。
逆にわざとらしいと私が一番嫌うものになってしまいます。私はアンティーク塗装が誰よりも嫌いなのです。アンティーク塗装だとわからないようなアンティーク塗装が理想です。

古い楽器の修理でもニスの状態が悪い楽器もあります。表板はほとんどオリジナルのニスが無くなっていることもありますが、それはまだいいものです。汚れなどはあるので薄い色のニスでコーティングすれば十分です。フレンチポリッシュといって布で塗布するだけでも十分できます。
ところが裏板でオリジナルのニスがほとんど失われ、後の時代の人が変なニスを塗って悲惨なことになっているものがあります。今年の夏にもそんな修理がありました。裏板はアンティーク塗装で7割以上塗り直したようなものでした。本当のオールド楽器なのにアンティーク塗装を施すというおかしなことになってしまいました。それでイメージするようなオールドの名器のようになりました。実際にオールドの名器ですが…。


古い楽器でニスが失われたり、新しい部材を足したり、過去にまずい補修が行われたものなら、アンティーク塗装で直す必要があります。

そうやって考えると修理人のセンスはとても重要でオールド楽器はニスの補修をする人によって全く違う印象になってしまいます。

まだそういう仕事が一つ残っています。
ニスの仕事だけでも下請けなどもすればそれだけでも食っていけるように思います。それだけ難しい仕事です。一人前の職人でもさじを投げるような仕事がたくさんあるということです。