ずさんな時代考証 | ヴァイオリン技術者の弦楽器研究ノート

ヴァイオリン技術者の弦楽器研究ノート

クラシックの本場ヨーロッパで職人として働いている技術者の視点で弦楽器をこっそり解明していきます。

こんにちはガリッポです。

市営劇場は長期間休みでしたが、例年通り夏休みにメンテナンスをしている人たちの楽器も入ってきています。修理代は国立のオーケストラに比べて気前が良いとは言えませんが一応予算はあります。手続きはめんどくさいものの費用として認められます。こちらも納税者としては気を使って大掛かりな修理は避けるのですが、簡単なメンテナンスで済ませているといずれは必要になります。指板が薄くなっていてそろそろ限界に近いです。指板交換をすれば同時に駒の交換も必要になります。

そのビオラです。


ニューヨークで現代に作られたものです。ラベルには作者の名前とともにG・グランチーノのモデルと書かれています。

ニューヨークの職人の楽器と聞けばどんなイメージをお持ちでしょうか?私はほとんど何も知りませんが、ニューヨークという場所が世界でももっとも繁栄した国の中心都市であることは誰もが知っていることでしょう。世界一の都です。

首都はワシントンDCですから首都ではなく、もともと移民が船でやってきて自由の女神に迎え入れられた場所です。今でもアメリカの人からすれば外国人の住む都市というイメージかもしれません。

音楽家も例外ではなく、名だたる有名な音楽家が活動し、弦楽器の分野でもジュリアード音楽院などはとても有名です。したがって世界中から才能ある音楽家や、名器が集まる場所ということだというイメージがあります。

世界最高の音楽家と名器の集まるニューヨークで作られた楽器であれば世界一の職人のものと言えるでしょうか?

この楽器は20年近くずっとメンテナンスをしています。ニスがとにかくオレンジで目が痛くなります。しかし20年でいくらかましにはなってきました。

もともとアンティーク塗装がされたものですが鮮やかなオレンジ色のため全く古い楽器には見えません。

グランチーノのモデルらしいですが、元のものは分かりません。形から見るとランドルフィのヴァイオリンもこんな形です。上と下が極端に平らになっていてアマティのような繊細な丸みは無く、上下をぶった切りにした感じです。

フランスのストラディバリモデルのようなモダン楽器のクオリティはありません。かといってオールド楽器の感じもまったくありません。しっかりした教育を受けていない人が何とか作ったという感じがします。

ニスはオレンジ色でアンティーク塗装をやる人が苦心して作り出す黄金色とは全く違います。正統派のモダン楽器のクオリティは無く、オールド楽器の複製としてもまったく違います。

板の厚みは厚めで音も明るいいかにも現代の物という感じがします。胴体は巨大でネックは短いものがついています。巨大にもかかわらず低音に深みが無く明るい音がします。


もしニューヨークの職人だからオールド楽器に精通していると考えるのなら完全な思い違いです。普通のものすらちゃんと作れない人がグランチーノというちょっとマイナーな名前を出すことで何か「通」ぶっているように感じます。

私ならこのようなニスの色なら大失敗として恥ずかしくて消してしまいたい過去となるでしょう。


私はまずプロフェッショナルとしてはスタンダードなものを美しく早く作れることでプロとして認められるべきだと思います。研究や工夫をするのはそれからでしょう。

実際にあったことです。
ヴァイオリン製作を数年学んだくらいの職人がどこかの博物館で古い楽器を研究して作ったとプレゼンテーションしていました。一般の人はそこら辺にある楽器よりも優れているように思うでしょう。

我々が見れば、単なる下手くそな未熟な職人でオリジナルとは似ても似つかないし、おそらくスタンダードなものもちゃんと作れる腕ではないでしょう。

「博物館で見た」というだけで良い楽器が作れるなら、だれでもストラディバリを作ることができます。

修行にかかる時間よりも旅行にかかる時間のほうがはるかに短くて済みます。

こんな事がまかり通るのが今の時代です。プロとして通用する腕が無く、博物館で見たというだけではただの趣味です。プロではありません。
でも口がうまければ通用する時代です。


このビオラの所有者のプロの演奏者の方は、私がこの前作ったビオラを試してとても気に入ったそうです。30年弾き込んだんビオラに対して、出来立てほやほやのビオラですからどれだけ潜在能力があるかというわけです。
胴体のサイズはずっと小さいのにですよ。



オレンジのニスの楽器のメンテナンスも目には優しくはありませんが、徐々に古くなっているのでもう新品の時のように直すのは無理で、過去の修復の跡も無数にできて古びた感じとして残そうとしています。何年か前からはそのような修理の方針です。



次の話題です。
見習が作ったヴァイオリンを購入したいという人で赤いニスにしてほしいという依頼があります。

もっとひどいことになっています。
5回ニスを塗ったところですが強烈な色です。

とはいえ見習が作ったわりには悪くないでしょ?
教えれば誰にでもヴァイオリンは作れるのです。

これはオイルニスなので当たり前のように塗れていますが、これがアルコールニスならハケの跡が線になって残ってしまうので今頃はしま模様かまだら模様の楽器になっています。
それを直すだけで余計に1週間はかかってしまいます。オイルニスの良い所はその必要が無い所です。ムラが無いわけではありませんが、自然で目に馴染むものです。

アルコールニスの成分のほとんどはアルコールで蒸発して無くなってしまうので塗る回数も相当多くしなくてはいけません。


私はいつもは木材を着色します。

今作っているピエトロ・グァルネリ型のヴァイオリンでこんな感じです。
乾いているので明るく見えますがニスが入ればずっと暗い色になります。

白木に赤いニスを塗ればピンクになります。着色はとても難しくて新人が失敗すると大惨事なので無着色で白木のままにしました。
私も白木のままの楽器を10年以上塗ったことが無いので驚くような色になっています。
光はニスを通過し木材のところで反射し再びニスを通過して我々の目に届きます。この時ニスはフィルターのように特定の色を通過させるのでその色に見えるわけです。木材は反射板ですから新しい木では光が強く反射して明るい色になります。古い木材や濃く着色されていれば反社の光が弱くなりずっと色が濃く、暗く見えます。同じニスでも150年経った楽器であればずっと暗い色に見えるはずです。さらにフランスでも木材の着色は研究されていてとても強く着色されていることも少なくありません。これはストラディバリでもやっていたことだと思います。

19世紀のフランスの楽器ならすでに150年くらい経っていますから、汚れもついているし、木材も変色しています。
フランスの楽器も新品のころはすごく鮮やかな赤やオレンジだったことでしょう。

まだまだニスの層が薄いため光を多く通してしまい明るく見えすぎます。あと3~4回くらい塗ればおそらく真っ赤っかになると思います。

「陰影をつける」という塗り方で全面を均一に塗るのではなくて、ニスが剥げ置ている様子を再現したりするものです。
このような手法は19世紀にも盛んにおこなわれました。フランスのものなどは特徴があり、すぐにフランスのアンティーク塗装だとわかります。自然とそうなったものとは見分けがつきます。

これはイタリアでもドイツでも同じことです。
19世紀終わりくらいからドイツのマイスターも盛んに赤いニスで陰影をつけたニスの塗り方をしました。
私が見れば作った当時にわざとそうしたことは分かります。実際に使っていてニスが剥げるのとは違うからです。

やり方に独特の特徴があるためにドイツのモダン楽器だとわかるわけです。なぜそうなるかといえば、実際の古い楽器を観察して塗り方を身に付けるのではなく、塗り方を師匠に教わるからです。だから実際の古い楽器とはかけ離れたものになります。

漫画やアニメに近いでしょう。実際に人間を観察して人の描き方を身に付けるのではなく、過去の漫画の絵をまねして書き方を身に付けるのです。だから実際の人間とはかけ離れているのです。それと同じことです。もちろんたくさんの絵を短時間で描かなくてはいけないので簡略化されたのが漫画の絵です。



今回私がやっているのはフランスの1850年頃のものをモデルにしています。均一に塗られたものが今になってニスが落ち始めている様子です。
体が触れるところのニスが剥げ始めている様子です。7~80%はオリジナルのニスが残っている様子です。

一般的にアンティーク塗装でやるときはもっと50%くらいニスが剥げている様子にすることが多いです。しかしこれをやると他の部分も全体的に古くしないとおかしいです。今回の依頼ではそこまで凝ったアンティーク塗装ができません。

ニスが50%剥げているのに新品のような塗装は私が大嫌いなものです。

後でもう少し落ち着かせますが、今回のものはニスがちょっと剥げているだけなのでニスが残っている部分がまだまだ新しい感じでもおかしくありません。

多くの場合アンティーク塗装ではその楽器がどのくらい年月を立ったものなのかを想定しておらず古さの年代がめちゃくちゃです。

最初のビオラでもグランチーノの1700年頃ならあんなオレンジではダメです。
オリジナルのニスはオレンジでも良いですがそれは半分以下の面積しか残っていないのが普通です。それ以外のところは木の地肌の色である黄金色にしなくてはいけません。すべてオレンジなら100年以内の楽器です。そこに黒い傷をつけています。数十年使った楽器では傷は黒くなりません。楽器全体に汚れが付くと傷のところだけに残って黒くなるのです。表現している年代がバラバラです。

一方私が今やっているのも強烈なオレンジです。もっと赤くなりますが、これはモダン楽器を再現するものです。
そのため鮮やかなニスで良いわけです。
19世紀終わりくらいの感じをイメージしています。

しかしながら依頼内容はアンティーク塗装とはしていません。コストがかかりすぎるからです。
19世紀終わりの楽器のように古くは見えないでしょう。しかしちょっとニスが剥げている部分があることで視覚効果が生まれます。


それを目指すのが今回の塗装です。
どうなるか楽しみです。


さっきも出ましたが、ピエトロ・グァルネリ型のヴァイオリンの続きです。

バスバーなどは特に変わったことはできません。アーチが高いので形状はだいぶ違います。上下の端と中央の高さがほとんど同じくらいです。

中も古びたようにします。f字孔からのぞいて真っ白ならおかしいです。

胴体ができるとアーチの膨らみが違って見えます。

クレモナ派のオールド楽器という感じがします。

ネックの取り付けはとても難しいものです。
高いアーチの楽器の場合、モダンのネックはうまくつけることができません。

アーチが高いので駒の高さを標準にすればネックの角度がすごく斜めになってしまいます。
ネックが斜めになると表板を駒が押し付ける力が強くなります。弓矢を射るときに大きく引っ張ったほうが強い力で弓を射ることができるのと同じです。
力が強くなりすぎれば表板を押し付け自由な振動を妨げます。ふわっとした豊かな響きはなくなり締まった音になるはずです。表板の変形のリスクも高まります。

もしミディアムアーチの楽器と同じにするには写真のオレンジに塗った部分をアーチが高い分だけ高くしなくてはいけません。サドルも同様です。
この楽器では標準よりも4mmくらい高いですから9.5mmくらいになります。それは見るからに高すぎます。

高いアーチの楽器は私の経験上ネックが下がりやすいと思います。ネックが下がるというのは弦に引っ張られて角度が狂うことです。緑のラインが水平に近づいていきます。そうなると弦と指板との距離(弦高)が広くなって演奏しにくなります。
駒を低く削れば弦高は正しくなりますが、駒にかかる力が弱くなり音が弱くなってしまいます。

アーチが高い分多少駒が低くてもいいのではないかと思います。
でもネックが下がりやすいわけですからはじめは高めの駒にしておく方が良いでしょう。
駒の幅は普通は42mmですが、これを40mmくらいにすると見た目ではそんなに駒が低く見えなくなります。縦横比が変わるからです。42mmというのも徐々に広がっていて一昔前は41.5mmでした。その前は41mmだったはずです。
この手の楽器なら40mmくらいでも良いかもしれません。それに合わせてバスバーの位置も考えておかなくてはいけません。アマティなどは左右f字孔の間隔が狭いのでどのみちバスバーの位置が内側に来てしまいます。幅の狭い駒で良いわけです。

標準よりは斜めに入れたほうが弦の引っ張りに対抗することができるのでネックは下がりにくくなるでしょう。

どうやっても「間違い」になってしまうのが高いアーチの楽器のネックです。
物事の優先順位を考えなくてはいけません。表板は陥没しないようにアーチを作っておくのも重要です。

指板などが付くとヴァイオリンらしくなります。
f字孔はさっきの見習の作ったストラディバリモデルに比べて丸いところが大きいです。
ピエトロ・グァルネリ独特の感じは出ていると思います。オリジナルと配置や穴の太さが違いますが十分キャラクターは出ていて美しさもあると思います。

最初のビオラに比べてもいかに調和がとれているかです。
イタリアの楽器が美しいということはこのタイプの楽器に限れば本当にそうだと思います。ドイツのオールドはここまでバランスが取れていません。

近代のほうが完璧かもしれませんが独特の美しさがあるように思います。近代の弦楽器製作ではストラディバリとデルジェスだけが正しいヴァイオリンと考えられていて、いかに他のものが無視されているかです。
ストラディバリやデルジェスに次ぐ第三のモデルとして私はピエトロ・グァルネリが有力です。
アマティも調べてみるとばらつきが結構あって中には音響的にも有利そうなものがあるかもしれません。

ビオラについてはアマティのモデルでたくさん作っています。他にもっと良いものが見つかりません。

このような楽器は近代の常識ではとても理解できないものです。形だけピエトロ・グァルネリやアマティにしてもまったくの別物になってしまいます。ストラディバリやデルジェスもそうですが…。


f字孔は楽器の顔になる部分です。失敗したら大変です。コーナーもパフリングの先端も良いでしょう。

エッジやコーナーは後で丸くします。丸くするのがもったいないくらい綺麗にできていますが…。

スクロールは大きく見ればアマティのような雰囲気があり、アンドレア・グァルネリの癖も加わっているように見えます。

見習の職人のものは「これがストラディバリ?」と首をかしげたくなるようになってしまいました。どちらかと言うとテストーレなどのミラノ派のように見えます。
グランチーノももともとはアマティのようなものを作ったはずですが、テストーレになると形がかなり変わって独特なものになっています。
これは個性を出そうとして自分のスタイルを追求したというよりは、うちの見習の職人のようにそうなってしまったことでしょう。彼らが個性的なものを作ったのは別に天才ではなく、単にアマティのようなものをきちっと作れなかっただけと考えるのが普通でしょう。現代の職人でも未熟なら同じような物ができます。アマティやストラディバリはやはり造形センスが飛びぬけていて並の人がやればテストーレのようになるということです。楽器は特別才能が無くても作ることができます。テストーレも味のある音がしています。

私はお手本の通りに作ってしまうのでテストーレのコピーとしてしか作ることができません。

未熟な職人の楽器がオールド楽器に似ていることがあって、古いものならこのようなものも偽造ラベルが貼られるものです。ラベルが貼られてしまうとそう見えてしまう人もいるでしょう。「興味深いヴァイオリン」と言われるものです。
何が興味深いのでしょうか?

多くの場合はスタイルがアマティ派のものとは違います。
ただ職人の才能としては変わらないのです。


後で摩耗したように角を丸くしていくのでもうちょっと雰囲気が出るでしょう。
どうせぐずぐずになるのできっちり作らなくても良いのですが、しかし初めから丸くするからと適当に作るとわかるものです。

次回は赤いヴァイオリンがどうなったかとチェロの話をしたいと思います。