ニコラ・リュポーのコピー、ビオラのニスなど | ヴァイオリン技術者の弦楽器研究ノート

ヴァイオリン技術者の弦楽器研究ノート

クラシックの本場ヨーロッパで職人として働いている技術者の視点で弦楽器をこっそり解明していきます。

こんにちはガリッポです。


アメリカ風のパンケイクを焼いてみました。うまくできたらちょっとうれしいものです。


さて前回学生さんがヴァイオリンを探している話をしましたが、決まったようです。ホフマン作のスイス製ヴァイオリンについて尋ねるととても良いと言っていましたが、もっと良いのがあったそうです。

私が作ったヴァイオリンでした。
2005年にニコラ・リュポーのコピーを作りました。それを常連のコレクターの方が買いましたが、自身が弾くチェロを除いて整理するということでチャンスが回ってきました。他にもオールド楽器や弓など良いものばかり買っています。

過去に紹介しています。下の方に写真が出てます。
https://ameblo.jp/idealtone/entry-11889024154.html

リュポーはフランスのモダンヴァイオリンを代表する作者でトップの地位にいた人でもあります。実物のリュポーをしばらくの間ヴァイオリン教授が預けていたのでコピーを作っていたのです。
アーチはとても平らで板も極限まで薄くなっています。

学生の彼がそれをいたく気に入ったようでした。私は板が薄いほど低音が強くなると言ってきていますが、リュポーのコピーは極端に低音が強い暗い音ではなくニュートラルくらいです。なぜそうなるかは厳密にはわかりません。しかし一般的な新作に比べれば暗い音で傾向から外れてるということもありません。

チェロ奏者のコレクターの方が持っていましたからほとんど弾かれていませんでした。近々お城で演奏するということで微調整をしましたが、音がかなり変わって驚いたそうですが、良い方の驚きだったそうです。
特に広い所で弾くと私が作ったものの中でも最も豊かに響くものだと思います。

彼が弾くととてもバランスが良くて、ソリスト的な傾向の演奏にはもってこいだと思います。


私は高いアーチの楽器も作りますが、ものすごくフラットな楽器も作りました。私は高いアーチの信奉者ではなく、フラットな楽器が演奏者によってはぴったり合う人もいます。だから私はいつも「ひどくなければ何でも良い」と言っているのです。

薄い板の楽器ですが15年経っても壊れるような様子はまったくありません。「そのうち鳴らなくなる」なんてこともありません。そりゃそうですよ、オリジナルのリュポーが200年経ってもソリストに愛用されているのですから。

弦は初めはピラストロのエヴァピラッチを張っていました。所有者の人が同社のオブリガートに変えていましたが、またエヴァピラッチに変えました。弾く人と楽器の性格に合った弦だと思います。それ以降も新製品は出ていますが、定番になるような傑作はあまりないですね。人によっては…楽器によっては…みたいなことが多いです。



私もヴァイオリン職人の修行を始めて20年ほどになります。始めようと思った時には親に職人は10~20年はかかるというので心配はしていたようです。15年前にリュポーのコピーを作っていますからはじめて5年でソリスト用のヴァイオリンが作れていたわけです。その後進歩しているのかと言われれば、進歩はしていないでしょう。変化はしているけども進歩はしていないと思います。

課題はビギナーでも簡単に弾きこなせる楽器ということになります。それは難しいです。ニスの材質も変えてきて多少は小手先の発音などは改善していると思います。

15年前に作った楽器のスクロールとかf字孔とかを見ると、未熟だなとは思いますし、ニスも頑張ってはいるけども今のほうが完成度は高いでしょう。逆に輪郭の形とかパフリングとか加工の正確さや綺麗さが求められるものはすでに文句ないレベルにありました。ストラディバリでも若いときのほうが細かい目で見るとよくできていますから、ヴァイオリン製作に熱中していれば若い時ほど一心不乱に取り組むものです。そうでない人のほうが多いので、まじめに修行しろというのが決まり文句です。


私がフランスの楽器を高く評価するのはこのような経験もあります。それ以上に現代の楽器製作のルーツだからです。弦楽器に関して今の我々の常識のほとんどが19世紀のフランスで定着したものです。ストラディバリを最高のヴァイオリンと考えるのも当時の考え方です。

弦楽器づくりを始めると最初のうちは工具をうまく使えるようになることが何より重要なことです。楽器の演奏でも基礎をしっかり身に着けることが重要なのと同じです。

今勤め先の工房に見習の職人がいて、f字孔の型を作らなくてはいけないということになりました。

こういうものです。

私はf字孔はとても下手くそでここ5年くらいでようやくミスもなくできるようになってきたように思います。失敗しやすい所が分かってきた所で早く加工するなんてのは無理です。
普通はヴァイオリン製作学校や、師匠の型を借りて型の通りに正確に、きれいに仕上げることが課題です。昔は代々型が受け継がれてきたり、自分でデザインしたりしたものですが、最近は印刷物で名器の写真から型を作ったりできるようになりました。
ともかく与えられた型に対して正確にきれいに加工するのが課題です。

というのはヴァイオリンの表板は針葉樹で、年輪が木目になっています。硬い所と柔らかい所が交互になっているのでナイフで加工するのはとても難しいのです。

今ではストラディバリの実物大の写真が印刷物として入手できますからこれで型を作れば良いわけです。見習の職人が以前習っていたところで作ったものは正確さにかけ美しさも理解していませんでした。

ストラディバリの写真をたくさん見せて、みな形が違うということを教えました。ストラディバリは上下の丸い所の穴の位置を決めると、表板の裏側に簡単な型紙でおおよその目安を描くと、ほとんどフリーハンドで作っていたからだと説明しました。これはとても難しくて何百台と作って行かないとできないものです。昔は小学校を出るくらいの歳になれば修行を始めたものですから訓練のレベルが違います。

型は正確であるほど楽なのです。


平面の写真から型を起こすと後で立体の表板の面に型をあてがうと大きく歪みが生じます。The Stradのポスターには実物のストラディバリの表板に紙などをあてがって型を取った図面が出ていることがあります。どのようにやったかはわかりませんが、子供のころ10円玉など硬貨を紙の下に置いて鉛筆でこすって写したことがあると思います。それに近い方法でしょう。

これなら立体に当てがっても誤差が少なくなるはずです。
しかしそれを見るとかなりいびつなのです。型を正確に取るのが難しく印刷するまでの段階でも誤差が出たのでしょう。そこで見た目で多少のモディファイする必要があると言いました。


こんなところまでこだわっているのはコピーを作っている私くらいでしょう。普通は写真から起こした型をそのまま使ってf字孔を開けているはずです。そうすると若干細くとがったようになります。ストラディバリのf字孔の穴が狭くて今の魂柱が入らないのでf字孔の中央を広めにしなくてはいけません、それで余計に尖ってしまうのです。
現代の楽器ではよく見るもので、現代的な作風と言えますし、うまくできている人のものは美しいものです。しかしコピーとなると形が変わってしまうので、私はf字孔をナイフで切るときに型から脱線して目視で形を調整しています。多少フリーハンドに近いです。

しかし初めてヴァイオリンを作る時点では現代風の作風できれいにできていれば十分すぎます。プロの中でもうまい方のレベルだからです。今の段階では工具が使えることに集中するべきです。


オリジナルのストラディバリはアドリブで作っているので、完成度はそんなに高くないことを示しました。それに対してヴィヨームの写真を見せると、より完璧であることが分かります。もしヴァイオリン製作コンクールに出すならストラディバリそのままコピーを作るよりもヴィヨームのコピーを作ったほうが成績は良いでしょう。このためヴィヨームとストラディバリでは印象がかなり違います。

ヴィヨームはストラディバリをそのままコピーしたのではなく、完璧になるようにモディファイしたのです。これが職人ごとに異なる「ストラディバリモデル」というものです。ただしヴィヨームもf字孔の幅は狭くて5.5㎜くらいしかなく現代の魂柱の直径は6㎜なので入りません。もっと太くしたくて6.2とか6.3とかを入れる人もいます。バロックからモダン楽器に進化する過程で太くなってきたのです。

私は太い方が安定して倒れにくいので特に初心者用の楽器ではできるだけ太いものを入れたいです。自分で作る楽器ではf字孔を太くしたくないので最低の6㎜でできれば良いなと思います。


このように現代ではf字孔に限らずストラディバリをそのままコピーするのではなくてモディファイしてより完璧にするのが基本的な考え方です。これはフランスの19世紀の考え方に由来します。

このような基本を知らない職人もたくさんいます。ストラディバリをより完璧にするというフランスの考え方ですが、ストラディバリくらい不完全なものでも作るのは至難のわざです。単に「ヴァイオリンを作る」というのなら、ヴァイオリンっぽいものを作れば良いわけです。見よう見まねの独学でやるとそんな感じのものになります。一流の職人は「ヴァイオリンを作る」というレベルではなく「ストラディバリをさらに完璧にする」というレベルでやっています。

それに対して私はさらに完璧にすると別物になってしまうので、それを止めようと業界の常識をひっくり返しているのです。




もちろん自分でデザインしても良いです。オリジナルのモデルを作った事もあるし、アマティのビオラのf字孔は自分でデザインしました。




だったら初めからヴィヨームのf字孔の写真から型を起こすのも良いと話しました。
結局本人の希望でポスターの裏面にある実物からとったと思われる正確性の怪しい図面をモディファイすることにしました。

はじめは鉛筆で線も描くこともうまくできませんでした。目で見ても形が分からずにどこをどうモディファイしたらいいか全くわからない様子でした。それでも一日やっていたら見違えるほどきれいになりました。私は線一本分ぐらついてるとは思いますが、実際にその精度で加工するのは至難の業なので型としては十分だと思いました。一日でそれだけ目が良くなるのだから驚きです。前に習っていたところでは全く身についていなかったのです。教えた人も見えていないのでしょう。

私も今の私のような人に教わらなかったので最初の何年間では無理だったです。


その時にオリジナルのストラディバリの写真を見ながらモディファイすると形がいびつなところがあるのです。そこでヴィヨームの写真と比べるといかにヴィヨームのほうが形が整っているかわかります。

つまり現代楽器製作を学ぶならはじめはヴィヨームのようなものを目指すべきなのです。プロの職人でも95%は無理ですから。ヒル&サンズのストラディバリのコピーでも怪しいものです。

私は初心者に教えるのは向いていないかもしれません。プロの職人でも9割以上が無理なことを要求しているのですから。きれいなものを作る楽しさが分かったらいいなと思います。
このためフランスの楽器のようにきれいに作られたものは一発でそれがラベルを偽造しただけの安物と見分けがつくのです。弓でもそうで、弾き心地などの機能性ではその必要はありませんが、一流の職人の弓はきれいなラインで加工されています。そうするとすぐに数万円の安物と違うことが分かります。ヴァイオリンでも弓でも上等な物と安物はきれいに正確に加工されていることで見分けられます。一人前の職人になりたければそれができるようにならなくてはいけません。

今は、口がうまければテレビなどに取り上げられて楽器が売れます。そうやって素人が見よう見まねで作ったような楽器を高い値段で売っている営業のうまい職人が繁盛しています。
しかし、そういう楽器が中古市場に流れると値段は安いものです。素人が作った楽器としか扱われません。

これがストラディバリやデルジェスのような上の上に行くとそうでもないのです。しかし初めの段階ではプロの職人として通用するものを作らなくてはいけません。


フランスの楽器製作がいかに重要かというのはこういう事です。
音響面でも研究されていて特にソリスト向きの楽器として優れています。



このように私も多少進歩していますが、演奏家にとっては興味のない世界の話です。15年前に作ったヴァイオリンの音の良さで満足してもらえました。




もう一つ進歩しているのはニスです。これはいまだに進化の途中です。前回の終盤くらいに思いついた方法を今回は初めからやっています。

私もアンティーク塗装は面白い点もありますが、たいへんなのでやらなくて済むならやらないほうが楽です。ストラディバリもアンティーク塗装で作っていないのですからやらなくても良いことです。
ムラなく均一にニスを塗るのが苦手なのでアンティーク塗装に逃げる人が多くいます。そのため汚いだけのアンティーク塗装のものがたくさんあります。私はそのようなものを作るのは嫌なので均一に塗るよりもはるかに緊張を強いられることになります。

石の中から化石を取り出す仕事があります。ちょっとずつ石を削るなりして化石を出して来るわけですが、半日仕事しても進展はわずかでしょう。アンティーク塗装もそれに近いかもしれません。本来なら数百年かかる所をやるわけですから気の遠くなる作業です。
私はそのような作業が好きなので、化石を取り出す仕事も向いているかもしれません。しかし給料をだれが払うんだとなると難しいこともありそうです。

黙って細かい作業に集中してお昼ご飯を食べて休憩してまた夕方まで。良いですね。そんな暮らしは最高です。

私のような変わった楽器職人の場合にはそれは理想ですが、実際には時間をかけるほどお客さんに請求する金額が高くなってしまうので早くやらなくてはいけません。また別の用のお客さんもひっきりなしにやってきて、仕事の途中で急ぎの仕事をしなくてはいけなくなります。職場にはおしゃべりな人がやってきては集中を妨げます。西洋には日本人とはケタ違いにおしゃべりな人がいて次から次とやってきます。すぐに工房がパーティーになってしまいます。

私は早く仕事をするのが向いていないので手間暇かけてそれなりの値段の楽器を作っていきたいと考えるようになってきました。そんなに高い楽器は買えないという人もいるので心苦しいですが。また日本の同業者から見れば「そんなに高い値段?」と非難されるでしょう。しかしクオリティと手間暇がかかっていることが分かれば、納得してもらえるでしょう。日本人の楽器の値段が安すぎるのです。それでも楽器商が天才だの巨匠だのと言ってるような物よりは安くなるはずです。私は高いから音が良いわけではないと訴えていきます。音だけを求めるなら他の楽器に良いものがありますよと宣伝していきます。

アンティーク塗装は化石を取り出すような地道な作業です。
初めのうちは訳が分からなくて、今でも訳が分かりませんが何とか予定したクオリティまで持ってこれるようになってきました。合理的に作業するというのはまだまだ無理です。最初に作業工程の予定を立てるのですが、翌日には変更が必要になります。大雑把な予定通りには来ています。


アマティ兄弟の楽器はストラディバリやデルジェズとは違って400年くらい経っているので古いのです。同じくらい古いシュタイナーも修理しましたが、表板などはニスがほとんど残っておらずフレンチポリッシュという手法で表面の木材が向き出ているところにコーティングを施しました。それから何年も経っていますがコーティングは持っています。これは刷毛でニスを塗るのではなく、布に染み込ませて磨きながら塗っていくものです。家具の修理でも行われ、コントラバスなどはよくやります。
ニスは全くと言っていいほど残っていませんが、薄いコーティングを施すだけでオールド楽器特有の色になりました。木材が古くなった色とむき出しになった木材に付着した汚れの色でしょう。また傷やアーチの深いくぼみの部分には汚れがたまっています。

シュタイナーと比べるとまだまだ新しい感じがするのでしっかり汚さなくてはいけません。さらに汚れを取ると下から表情が出てきます。ニスが乾いたら細かい磨き粉で研磨します。削れ過ぎたところを直せば終わりです。修理でも古い楽器は汚れを掃除すると過去に塗られた補修ニスも一緒に取れてしまい補修も必ず必要になります。

写真は塗りたくったところなので乾いたら研磨して少し明るくなります。下に塗ってあるニスは表面に凹凸をつけてあるので削るとくぼみに塗られたところだけが残って細かい点のようになります。肉眼で見えるほどの色の差はないのでやってあることには気づかないでしょう。それでもベタ塗りをしたような新品らしさは避けられるでしょう。

先週との変化はほんの少しですが、古い楽器のようになってきているでしょう。


音についてはすでに完成していても見た目は改善の余地があります。アンティーク塗装の完成度は今なお進歩の途中にあります。しかしわざとらしい物さえ作らなければ楽器が歳を重ねて行くほどそれらしくなっていきます。新しい手法を導入するならテストは必要です。私はさんざん工場製の白木の楽器で練習してきました。ビオラはちょっと大きいのでヴァイオリンに比べるとごまかしがききにくいですね。

音楽家にとっては見た目は重要ではないでしょう。
他にも良い楽器はあると思います。

私も作れる楽器の数も限られていますし、どうせなら自分の能力が生かせるものを作るほうが良いのでしょう。
高いアーチの楽器も近代では作れる人は少なく作られた数も少ないです。

フラットなアーチや新品のような塗装も苦手では全くありません。フランスのような楽器が今日では作られなくなってきています。過去について知らないために、自分を天才だと信じている自信過剰な職人も多いです。
19世紀にフランスの職人たちが限界まで楽器製作の技術を高めた事が忘れ去られています。モダン楽器の再現も重要性が増してきました。

とはいえ実際にモダン楽器はそんなに高くない値段でもありますからオールド楽器の再現に力を使って行くことでしょう。