楽器の良し悪しを見分けるには? 品質を分かることがその第一歩 | ヴァイオリン技術者の弦楽器研究ノート

ヴァイオリン技術者の弦楽器研究ノート

クラシックの本場ヨーロッパで職人として働いている技術者の視点で弦楽器をこっそり解明していきます。

こんにちはガリッポです。

ヴァイオリン職人がなぜニスにそれほどまでにこだわるかと言えば、楽器の印象を大きく左右するからです。もし、可もなく不可もなくという出来のヴァイオリンにオイルニスが塗ってあるのとラッカーのニスが塗られているのとでは全く印象が変わります。
作者の名前が分からなくても、ラッカーであればその時点で大量生産品ということになり、オイルニスであれば職人のハンドメイドの楽器ではないかと予想されます。ラッカーとオイルニスは質感が違うので専門家が見ればわかります。

ハンドメイドでもニスの塗り方が汚ければ下手くそな職人だとみなされます。ハンドメイドの楽器の中では最も安い値段になります。

弦楽器は白い木で作られているのでニスには色を付ける必要があります。ピアノと違って木目が透けて見えなくてはいけません。そのためニスを塗るときは均一な厚みで塗らないと色ムラができてまだらになってしまいます。
ヴァイオリン製作コンクールではこのニスを均一に塗る技能が競われます。色ムラが全く無ければ高得点となるのです。きれいにニスを塗ればオイルニスでもアルコールニスでも違いはありません。アルコールニスでは刷毛で塗った跡が縞になって残りやすいです。オイルニスはぼやぼやしたような感じになりやすいです。高い技能で塗ればどちらでもきれいに塗ることができます。

色ムラができないようにするためにもう一つ重要なのは楽器の表面を滑らかに仕上げておくことです。緩やかなカーブでなめらかな面であると塗りやすいのです。このため現代の楽器製作ではいかに表面をデコボコや傷や小さな割れの無いように仕上げるかが肝心になってきます。弦楽器に使う木材は裂けたり割れたりしやすいもので、上等な木材ほど顕著です。特に裏板に使う楓は繊維がうねっているため、杢と言われる縞模様が出るのですが、木目に逆らって刃物を入れると割れやすくなってしまいます。ヴァイオリン職人として修業をしないと全く手も足も出ない材料です。

割れないようにするためには一度に削る厚みをできるだけ薄くすることです。

このようにきわめて慎重に作業をする必要があり、その結果きれいな現代の楽器ができるのです。作業には時間がかかるため高級品として高い値段になります。
仕上げの完璧さとニスのムラの無さによって安価な楽器とはすぐに見分けることができます。一方安価な楽器は加工は粗く、表面はデコボコしていて、ニスはムラがあって汚らしいものです。そのため私たちはすぐに安物だとわかるのです。

このような見方ができることは楽器の良しあしを見分ける基本としてとても重要なことです。前回もニセモノの話をしました。ラベルの偽造は食品産業などではとても大きな問題になりますが、弦楽器については9割以上が偽造と考えておいた方が良いでしょう。
日本でも企業の不正に厳しい目が向けられるようになってきましたが、弦楽器の業界はまだ何十年も前のままです。ということは何十年も前に楽器を買ったならニセモノが当たり前のように売られいた時代です。鑑定もいい加減で世界的に有名な楽器商でも楽観的な鑑定がされていました。ちょっとでも高価な楽器に似た特徴があればその作者の鑑定書を書いたものです。当時の鑑定書は今では通用しません。
そのため年配の先生のような方が持っている楽器でも怪しいものがとても多くあります。私も怪しく思うこともありますが、指摘しても誰も得しませんからいちいち言いません。保険を掛けるとかになると厳密に対応しなくてはいけませんが、そうでなければ「先生、その楽器は偽物です」ってことは言いにくいものです。皆さんも先生に「先生の楽器は本当に本物なのですか?」とは聞けないでしょう。
有名な先生だから楽器店も敬意を払って変な商売はしないと思うかもしれません。これは大きな思い違いで、むしろ狙われやすいのです。有名な教師や楽団に楽器を納めている業者と言うと一般の人は一流の業者かと思うかもしれませんが、一流の詐欺集団かもしれません。巧みに証拠を残しませんから詐欺ということさえもできないほどでしょう。音楽プロデューサーの小室哲哉という人も大ヒットを連発して大金持ちになったはずですが、多額の負債を抱えることになりました。真相は知りませんが、ビジネスのパートナーに恵まれなかったのでしょう。有名人にビジネスを持ち掛ける人たちというのはピラニアのような人たちです。一瞬で骨になってしまいます。
特に日本の場合には営業が巧みなのです。「先生、先生」と言って敬っているように見せかけてカモにされているのです。さらには先生も知っていて業者が手を結んで生徒に楽器を売る場合もあります。「越後屋、お主も悪よのう」という具合です。

偉い先生が偽物の楽器を持っているということも問題です。
業者は古い楽器は偽物として安く買い、偽造ラベルの作者として売りました。9割以上が偽造ラベルですからそんな楽器ばかりです。
それに対して業者も1980年代から新作楽器を売り込む方向に転換したようです。作者から直接買えばその人が自分で作ったかどうかは知りませんが、少なくとも作者から買ったものだと間違いなく言えます。楽器の良しあしを見分けられない営業マンでも本物の楽器を売ることができるわけです。バブルの時代にはそれが大げさに宣伝され今の有様です。ニセモノを公然と売っていた時代に比べるとましになったとは言えます。つかまされたニセモノに比べて音が良いと驚いたかもしれません。実際には日本人の職人でもイタリアのものと同様のものが作れます。
しかし、イタリアの新作楽器があふれてくるともっといいものが欲しいという要望があって再び古い楽器も求められます。また偽物が出回るわけです。

ニセモノのほとんどは安価な楽器に偽造ラベルを貼ったものです。コレクターのような方で持っている楽器がすべてこのような安価な量産品に偽造ラベルを貼ってあるものだったりする人がいます。安価な量産品を見分けることがまず重要なことです。ニスがラッカーであることはその一つですし、加工の粗さが見分けるポイントとなります。

一方で高価なオールド楽器やイタリアのモダン楽器にも加工の荒いものがあります。音が良い場合もあります。そのため、必ずしも加工がきれいであると本物であるということではありません。そこが偽物を売る業者の付け入る隙になるのです。「安物の楽器だけど高価な楽器に似ている」ものに偽造ラベルを貼って流通するのです。

それは我々の間でも「クサい楽器」とか「面白い楽器」とか隠語で呼ばれるようなものです。私はそういう業者とつながりが無いので詳しくありませんが、そのような楽器を修理で持ち込まれるとこれは業者が欲しがるような楽器だとわかります。

もう一つ別の問題は本物であっても、イタリア人であるというだけで、ただの凡人が作った楽器を「巨匠」だの「名工」だの言うのはウソがあります。「これは凡人が作った楽器です。」と言わないとウソになります。商業をやっている人でこんな正直な人がいるでしょうか?
普通お客さんは名工の作った楽器の音が良いと思い込んでいるので、凡人が作った楽器でも売るときには「名工」と言うのです。本当は凡人が作ったものでも音が良い可能性は十分にあります。したがって「これは凡人が作った楽器です。」というのは楽器を悪く言ってはいないのです。凡人が作った楽器でも音が気に入れば良いのです。こんなことを理解してもらうのは難しいです。凡人が作ったのに高いお金を払うことは納得できないでしょう、私もです。

イタリアのモダン楽器でも有名な作者のものの多くは偽物よりも高い品質で作られています。品質が高くてイタリアの作者の名前がついていればさらに詳しい人に見てもらうことを薦めます。しかし、中には素人のような腕前のイタリアの職人もいました。ドイツの一流の腕前の職人の楽器にこのようなイタリアの作者のラベルが貼られていると「美しすぎるのでニセモノ」というふうになります。本物のほうが出来が悪いのに値段がずっと高いのです。まあ、本物の見事に作られたドイツの楽器なのですが。


しかし基本的には加工のクオリティが高ければニセモノのリスクは低くなります。並みの職人にはまねのできないような腕前の職人の楽器ならニセモノを見分けやすいのです。

いずれにしても高価な楽器の場合には権威のある鑑定しか証明するものはありません。しかし明らかに違うものはクオリティの低さでわかります。オリジナルでも荒い加工の作者のニセモノはそれよりも低いクオリティであることが多いです。そのため加工のクオリティを見分けることが一番の基本になるということです。それがあれば偽造ラベルの量産品ばかりを買ってしまうということは無くなります。


当ブログは当初技術面から楽器を見ていくという方針だったので、「加工精度が高いほど音が良い」という考えは間違っているということを指摘してきました。職人の中では勘違いされていることで設計図に対して誤差なく正確に加工したことを誇示する職人の楽器も弾いてみないことには音はわからないと指摘してきました。自分の加工精度の高さから、ストラディバリやデルジェズよりも自分のほうが優れていると考え古い楽器に興味もないのです。

長年ブログをやってきてそのような技術的な見方では狭いものの見方であることを最近は歴史や文化全体のものとしてとらえようとしてきています。楽器の構造上の違いと音の法則性について当初は言えると思っていましたが、甘かったです。解明していくなんて言っていましたが、難しいことが分かってきました。


重要なのは一定の水準に達している楽器で音が気にいることです。作者の名前などは必要ないのです。作者不明や無名な作者の楽器でも職人が楽器を見てクオリティによって値段を付けます。予算の中で試奏して気に入ったものを選ぶのが合理的なのです。
これが有名な作者の偽造ラベルが貼られた粗悪品なら粗悪品とともに音楽家の人生を歩むことになります。指導者がそれでは音楽教育の質にも影響することでしょう。



ニスを自分で作って塗る技能が高いということは安物ではないという証明になるということです。それでいてヴァイオリン製作学校のようなところでは十分に教わることができません。師匠も簡単に教えたりしないかもしれません。これもまた職人の習熟度を測る目安になるのです。

アンティーク塗装された楽器にも技能の高さがあります。
汚いだけのアンティーク塗装と見事なものがあります。いずれにしても専門家が300年前のオールド楽器と間違えるようなものは作れません。したがって楽器自体が高い品質で作られていることが重要です。その時点で一流の腕前の職人によるアンティーク塗装の高級品となるからです。

多くの場合は、安価な楽器に偽造ラベルを貼ったものですが、高い品質の楽器を作ることができない人が「オールドイミテーションに逃げる」ということがよくあります。基本ができていないので下手くそなイミテーションだとすぐにわかります。やはりアンティーク塗装をする場合でもうまい人と下手な人が分かれるわけです。私は下手くそなアンティーク塗装ならやらないほうがましだと考えています。やるからには真剣にやるのです。まともな職人が見れば見事なオールドイミテーションの楽器だとわかるはずです。

オールドイミテーションを作る場合に必要な知識や技能は、現代的な新品の楽器を作るよりもはるかに多くのものが必要になります。みな初めに新品の楽器の作り方を学ぶからです。

見事なオールドイミテーションの楽器は不勉強で不真面目な職人に作るのは無理です。
結果として高く評価されるということは前回も紹介したことです。
前回のドゥッチュという作者のストラディバリのコピーを何人かの職人に見せました。みな「とても美しい」と言っていました。現代の楽器の加工の正確さに風合いの良い塗装がなされ、100年経過していることも相まってまともな職人ならそれが美しい楽器だということが分かるのです。

そのうえで21世紀に作るならもっとリアリティのあるものを作りたいと思います。リアリティの高さが「上手さ」になるのです。とはいえ300年前のものと見分けがつかないようなものを作るのは無理です。そうでなくても十分腕の良い職人による「美しい楽器」となるのです。



皆さんいろいろな楽器を持っていますが、もったいないと思うのはひどく粗末な楽器です。熱心に練習して見事な演奏をする方がひどい楽器を使っているともったいないと思います。
それに対してお目が高いと思うのは、まともに作られた楽器を使っている人です。別に個性的である必要はありません。ごく普通にまともに作られていれば楽器としてちゃんと機能します。それが古いものであればより音が出やすくなっています。また、低音と高音とか、音の美しさと音の強さとか相反する要素を両立しやすくなってくると考えています。まともに作ってあれば作者は有名である必要も値段が高い必要もありません。音はみな違い自分が好きなものを選べばOKです。

その一方で古くなるほど「普通の楽器」を見つけることは難しくなってきます。作り方が次第にマニュアルとして定まってきたからです。
古い楽器でも構造に問題のある楽器は余計にひどい音になるかもしれません。骨董品としての価値で値段は高くてもあまり変わった楽器はまともに機能しないこともよくあります。

たとえばフランスのモダン楽器はみな似ていて個性が無いということができます。でも音が気に入ればそんなことはどうでもいいと思います。もしフランスの楽器は個性が無いので価値が無いと考えていて損することはあっても得することは無いでしょう。

何が普通で何がまともなのか、それが分かるのが一番難しい応用編です。
職人が楽器作りを習うとき、師匠からたった一つの模範を教わります。しかしそれは単なる一つの模範でしかありません。意外ともっと幅があります。師匠に激怒されるようなものを作っても思っているより音響的には大丈夫です。
私は「ひどくなければなんでもいい」と言っています。板の厚みであれば厚すぎはダメ、薄すぎはダメ、でもこれが最高という厚みはありません。厚めと薄めでは異なる性格の音になるでしょうが、好みの問題です。それぞれ一長一短があります。すべてにおいて優れているものはありません。一般に古くなるほど有利にはなってきます。

職人が師匠から教わった答えは狭すぎるので、普通というのは現代に正しいとされているうような楽器でなくても良いのですが、全体としてはひどい粗悪品が多いので普通のものというのは限られてきます。

仮にニセモノでもまともに作られた楽器なら音楽家としての人生を損なうことはありません。そういうものを持っていれば私は「余計にお金は払ったけども、全然悪くない、良い楽器だ」と思います。場合によっては本物のほうが音が良くないこともあります。

楽器の本質を見分けるというのは作者名でも値段でもありません。まともに作ってあるかという点です。これはとても経験がいると思います。加工の品質を分かることがその第一歩です。ニスもまたその一つです。